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290.女狐

煙草の煙に霞む。

酒の勢いが男たちの口を滑らかにし、身の丈に合わぬ壮大な野望が飛び交う。熱く語られるそれは 所詮、絵空事に過ぎない。

その様をヴィレッツは目を細め、冷ややかに見つめた。

担がれる御輿か はたまた道化か。

抱いたこともない野望を押しつけられ、欲望の舞台で踊らされる者の苦悩など知る由もないのだろう。担ぐ者たちは御輿に隠れて 甘い汁を吸い、権力の傘の下、まるで自分の手柄のように己を誇るのだ。

深いため息と共にグラスを煽れば、細くしなやかな指がその手を止めた。

「…過ぎると お身体に触りますわ」

爪の先まで磨かれた白魚のような指を、ヴィレッツは自身の指先でそっとなぞった。


サロン全体を見渡すように高座にはゆったりとしたカウチソファが置かれ、そこでの秘事を隠すかのように幾重にも薄絹に覆われていた。ぼやけた灯りに、焚かれた香が、情慾を唆る。

双丘に誘うかのように大きく開いた胸元が扇情的だ。大きく素肌を晒した背中は腰深く切り込んだデザインで、ヴィレッツが肩から背へと指先を滑らせれば、情慾を秘めた瞳が期待を込めて向けられた。


(まるで 娼婦だな…)

「…ステリアーナ王妃殿下」

ヴィレッツはわざと 敬称をつけ丁寧に呼んだ。一国の王妃たるものが、他国でこのように男に身を寄せるなど 信じ難い行為だ。怒りに震える心を押し込めて、穏やかな瞳で見つめ返した。


壮年期にあるヤーデンリュードに輿入れしたステリアーナは年の離れた夫婦だ。まだ20代半ばのステリアーナには王女が一人いるが、後継となる王子が居ない。一夫多妻を容認しているマリダナだが、ヤーデンリュードはこの年の離れた王妃を可愛がっていた。

まだ王子を成す可能性がある、

そう言って側妃を娶っていない。秘密裏に調べればステリアーナには自国にお手付きの者たちが複数存在することがわかった。年の離れた妻の言葉を信じる王に、周りは見て見ぬ振りをしているのだ。


「そんな 風にお呼びにならないで…。今は、今だけは…」

ヴィレッツの胸元に豊かな胸を押し付けるように身 を寄せる。そして欲情の瞳がヴィレッツを捉えた。

甘ったるい香水と焚かれた香が混じり、ヴィレッツの鼻腔を強く刺激した。迫り上がるものを 息をこらえ逃す。努めて優しく髪に触れれば、満足気に身体をくねらせた。

ハルセンが作成した薬がなければ、女狐の罠に誘い込まれるところだ。さすが宰相家お抱えの男だ。(シュエット)の頭脳という訳か。


色仕掛けで 男女の関係を迫るステリアーナは、既にいく人かの男たちと関係を持っている。その顔ぶれを見れば、単に欲のはけ口ということでもない。エストニルを混乱に陥れるための手段として 確かに選ばれた者たちが相手だった。


(そして 仕上げが 私ということか、侮られたものだ)

独身であり、先代王の弟であるヴィレッツと男女の仲となれば、マリダナはエストニルに対して、切り札を持つことになるのだ。


「…とても そのような気持ちにはなれません…」

ヴィレッツは憂いを漂わせ、そっとステリアーナの身体を自身から離した。

「大切な黒曜の光が 失われてしまうのです…

無実であるのに 私には助け出す手段がない。

あの宰相が、息子との婚約破棄するために 企んだに違いないのに…」

ステリアーナから顔を背け、肩を落とす。続く言葉を飲み込むようにグラスを煽ってみせた。

「…いっその事 他国に逃そうか…」

向けられた背に頬寄せ枝垂れかかるステリアーナにはその掠れ声の呟きが しっかしと聞き取れた。

「━━━ 貴方が望むのならば 叶えましょうか」

背中越しに囁かれる潜めた低い声に、ヴィレッツはピクリと身体を震わせた。

「━━━ 良いのです。貴方が望むものを手に入れた暁には ━━━ 私の望むままに」

ステリアーナの指先がヴィレッツの腰から男性の象徴へと滑り、耳朶に唇を寄せ吐息を洩らした。ヴィレッツはステリアーナの手を素早く握り込み、自身へのタッチングを回避した。


どこまでも 浅ましいな …

これが あの聡明なアルマリア様の妹なのか…


落胆と抉られる癒し難い傷を心に負った ことで、ヴィレッツの腹も決まった。


「━━━━ それは 期待して良いということですか」


ヴィレッツは仕上げとばかりに、胸にステリアーナを誘い込むと、素肌を晒す腰をゆっくりと撫で上げた。

耳朶を唇で弄び、そのまま首筋を添わせれば、くねらす腰は大胆に 嬌声があがった。

その唇を 人差し指でそっと塞ぐ。

そして、艶めいた声でステリアーナに囁いた。

「━━━━ 望みが叶った 暁に」

嬌声を押し殺し、頷くステリアーナを一度抱き締めてから、身体を離し、立ち上がった。


「殿下」

ヴィレッツの動き出しと同時に、抑揚のない声がヴィレッツを呼んだ。名残惜しそうに潤ませた瞳で見つめるステリアーナを無視して、ヴィレッツは薄布のカーテンを掻き分けて 振り返ることなく室外へと出た。


木立の回廊で足を止めて、深い呼吸を繰り返す。

凍てる風も 今は心地よい。

服に 髪に あの女狐の香りがまとわりついているようで 堪らなく嫌だった。この風が、この不快感を飛ばしてくれることを願い、身体全体で風を受けた。



「お楽しみでしたな」

からかいを含む声が かかった。

その姿は見えないが、この声の主は、明らかにこちらが嫌悪しているのを知っていて 揶揄っているのだ。

「…そう見えたのなら 欺けたということか」

ヴィレッツはわざと卑下た顔を作り、自嘲して見せた。

「そうですかな?」

揶揄いを含んだ声が なおもヴィレッツに追い縋る。

「揶揄うな、ライック」

苦虫を噛み潰したように顔を顰め、心底嫌だと身震いした。


やりたくなど ない。

二度と御免だ。


しかし、ステリアーナの目的が己であるのならそれを利用しない手は無いのだ。


比較的太い幹に背を預け 目を瞑れば、頭上の茂みにその男の気配を捉えた。

「…手筈は整っております」

その声に無言で頷く。

「…あれ(ライル)に 背中を向けられないな…」

「まだまだ ()()は 私の足元にも及びませんよ」

ヴィレッツが苦笑混じりに呟けば、ライックは事も無げに応えた。


真緒を囮に、ステリアーナの手先となっている貴族の証拠を掴み、マリダナが関与していることを証明するのだ。

真緒の安全に配慮してはいるが、ライルが居たならば猛反対しただろう。

現に 女官長によって濡れ衣を着せられた真緒が収監された場所は、第三勢力となる極左貴族の企みによって秘匿され、その姿を確認するまでに時間を要したのだ。

ごく少数派で 今まで動きのなかった極左貴族が真緒の暗殺に関与したことは、ヴィレッツやライックにとって想定外であった。


この大陸内で、王政でない国は少ない。

民の代弁者だと公言して憚らない彼らは、いわゆる特権階級では無い。下級貴族、あるいは豪商などだ。

マリダナにとって 彼らを秘密裏に支援することは エストニルの内政混乱を狙ってのことだろう。いかにもヤーデンリュードが仕掛けそうな事だった。


王政自体を崩壊させるなど、現時点では机上の空論だ。民意に その思考は無い。そう主張する者たちにも実現可能な力などないのだ。

だが、ヴィレッツ派と宰相派の対立が深刻化し、民の生活に影響が出たらどうなるか。

民は20年余り前の、国が荒れたあの暗黒の時代を忘れてはいない。悪夢が再び繰り返される恐怖を煽り、民たちを蜂起させることも考えられる。


実際 ユラドラでは民の蜂起によって、クーデターを成功しているのだ。そのシナリオを書いたのはエストニルだ。

それを自国で再現するなど、有り得ないことだ。



「…殿下、程々に。毒華に溺れることの無きよう願いますよ」

くっくっ…

笑いを含んだ揶揄いの言葉を残し、ライックの気配は消えた。宰相も喰えない男だが、ライックも大概だ。関わりは長いが 掴めない男だ。


風が浚う自身から、甘ったるい香りが漂う。

眉を顰め 大きく息を吐き出すと、ヴィレッツは自邸へと 足を向けるのだった。















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