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287.祈り

ハルセンはベッドに眠る真緒の頬をそっと撫でると、近くにあるテーブルへと移動した。

そこにあるカルテに様子を記してゆく。

本来ならば王宮医師サルドが 真緒の治療を担当するのだが、王命が下り、渡りの樹について調べるため、山神の地へ一時戻っている。ハルセンは宰相家の医師であるが、サルドが 留守の間、真緒の主治医となっているのだ。


置かれているカップは既に冷めているが、それを口に含み喉を潤した。ひとくちのつもりが、喉越しの良さに 気付けば カップは空だった。

身体の冷えていた真緒の体温を戻すため、強めに炊かれた暖炉の炎は 室内を汗ばむ程に熱した。

上着を脱ぎ、腕まくりした状態でも じっとりと汗をかく。喉の乾きはこの部屋の温度のせいだ。


青白さを通り越し 陶器のようだった頬には赤みが差し、色を失った唇は薄桃色に色付いていた。僅かに開いた口許は、少し尖った上唇が呼吸の度に微かに震え、花びらが風に揺らいでいるようだ。額にはじんわりと汗をかき、時折見せる顔は、苦しげに歪んだ。


ハルセンは自身の汗を拭うと、暖炉の薪を減らし炎の勢いを落とした。真緒の汗を拭い、濡らしたタオルを額に置けば、心做しか荒い息遣いが落ち着いたように感じた。

濡れた身体に浴びた冬の風は、真緒の身体を容赦なく痛めつけた。薬で眠っていた真緒に辛さはなかったであろうが、発見が遅れたら…と思うと背筋が凍る。

室内に響く真緒の咳き込みと、暖炉の爆ぜる音が、室内に響いていた。

離れた窓を開けて換気する。

凍てる空気は、容赦なく肌を刺すが、火照った身体には かえって心地よい。真緒に風が当たらないことを確認して、少しの間開けておくことにした。


窓の外に目を向ければ、松明がいくつも揺れている。

闇に目を凝らせば、人影が牽制し合うように蠢く様が見て取れた。

(…始まったな…)

ハルセンは息を吐くと、真緒に視線を向けた。

(…マオ…、頑張ってくれ。お前になにかあれば、ミイラ取りがミイラになりかねない…)

国内の派閥は宰相派とヴィレッツを推す派に大別されるが、その二大勢力の対立が表面化するのだ。


「…う……ん…」

眉が一層顰められ、ギュッと一瞬強く閉じられた瞼がゆっくりと開かれた。潤んだ黒曜の瞳に近寄るハルセンがが映る。しかし認識できていないようだ。ゆっくりとした瞬きを繰り返し、ようやく焦点が定まってきたのか、瞳に光が宿ってきた。それを確認して、ハルセンは名を呼んだ。

「…マオ…、わかるかい?気分はどうですか?」

ぼんやりとした思考に、低い声が心地よく響く。ぼやけた視界が、ハルセンの柔らかい瞳を捉え、急速に焦点が定まってゆく。


「ハルセンさん…」

ハルセンの頷きを視界が捉え、額に感じた冷りと心地よい感触に手を伸ばした。

「…気分はどうですか? 」

改めて問われ、ゆっくりと首を横に振る。多少の息苦しさはあるが、どこか痛む訳でもない。強いて言うなら身体が重怠くて仕方がないことくらいだ。

ハルセンは真緒の身体をゆっくりと起こすと、サイドテーブルにあったグラスを手渡した。

飲めということかな。

液体をみれば、急に喉の乾きを感じて ひと息に飲み干した。ヒリヒリとする刺激が喉に残るが、次に差し出された水を飲めば、それも落ち着いた。


「…私、ナキアを待っている間に寝ちゃったのね…」

悪いことしちゃったな。

罰が悪そうに真緒が話すのをただ聞いた。肯定も否定も、今は必要ないだろう。

「熱があります。先ずは身体を休めましょう」

こくん と頷くと 真緒は大人しく横になった。そして直ぐに瞼を閉じた。

ハルセンはその息遣いが、寝息に変わるまで背中を撫でた。布越しにも伝わる身体の熱が、 ハルセンの胸を締め上げる。代われるものなら変わってやりたい。

このことでどれだけの生命の力が喪われるのだろうか…。無力感に苛まれ、ハルセンは苦しげに息を吐くのだった。



真緒の寝息を子守唄に、ハルセンは小机に肘をついて浅い眠りに身を預けていた。

それは小さな音だったが、ノブが回る音を聴覚が捉えた。

聴覚に神経を集中させ、微動だにせずその気配を探る。忍ばせた歩みが衣擦れと共に絨毯に擦れ、それは真緒に向かって進んでいく。右手をそっと腰に添わせ短剣を握り込んで、その正体を見極めるため薄目を開けた。


(…ナキア様?)

薄衣を頭から被り、その姿はシルエットでしか判別できないが、薄衣からチラリとみえたイヤーカフがその正体を知らしめた。

何をする気なのだろうか。

ハルセンはナキアの動きを視線で追った。


ナキアは真緒に近づくと、その枕元に膝まづいて手を取った。透き通った指先から手首にかけて、唇を寄せて何やら呟いた。そして、その手を両手で包み込んで自身の額に当てた。


━━━━ それは 祈り


月明かりでは無い、内からの仄かな光が真緒の手から放たれている。ナキアはそれを真緒の体内に押し込めるように強く握りしめて、詠唱する。


それは、光が収束するまで続けられ、やがて室内が月明かりだけとなると、ナキアはそっと真緒の腕を離した。


「ごめんなさい…こんなことしかしてあげられない…」

私の名を使って呼び出されたのでしょう?

ごめんなさい。貴女を巻き込んだのかもしれない。

私は… 私は 貴女を失いたくない。

それなのに 力を奪う結果になってしまった…


真緒の傍らで 伏して肩を震わせるナキアに、ハルセンは少し迷ってから声を掛けた。

飛び上がる程に驚き身を震わせたナキアは、ハルセンに弱々しいほほ笑みを浮かべた。

「熱がありますが、下がってくれば大事無いでしょう」

安心させようとハルセンが伝えると、ナキアは首を横に振りながら真緒を見遣り、そして、潤んだ瞳をハルセンに向けた。

「……生命の力が … 漏れ出ているのです」

静かな声が、冷えた空気に溶けてゆく。その空気は鋭い刃となって、ハルセンに現実を突きつけた。

「……それは…」

言葉を失い 見つめ返せば、ナキアは視線を逸らした。

「…止めることはできないのです。でも…少しでもその勢いを抑えられたらと…直接祈りにきたのです」

伏し目がちに答えるナキアは足元が覚束ず、疲れている様に見えた。


…もう 戻ります。

ナキアは目深に薄衣を被ると、扉に向かってゆっくりと歩き出した。入ってきた時とは違い、足取りは重かった。

「お待ちください。人を呼びます」

ハルセンはナキアの様子に眉を顰め、 呼び止めた。

「御無礼、お許しください。私は医師です。このまま一人でお返しする訳にはまいりません」

迷うことなく近づき、有無を言わさずソファへと誘った。口調は優しくとも、 反論を許さない強い意思を含んだ言葉に、ナキアは戸惑いつつも従い、ソファへと腰を下ろした。


医師とはいえ、王太子の婚約者に勝手に触れることはできない。

しかし、ソファに腰を下ろした途端に、崩れるように身体を横たえ 荒い息を繰り返す様は 明らかに異様だった。顔色は悪く、肌はじっとりと汗ばんでいるようにみえる。

「…ごめんなさい…じきに治まりますから…」

ギュッと目を瞑り、掠れ声は息絶えだえだ。


このままという訳にはいかない。

ハルセンが手を伸ばしたとき、乱れたいくつかの足音が、扉に近づいてきた。ハルセンは伸ばした手を一旦引き戻すと、ソファから距離を取った。

対立が表面化するこのタイミングで、宰相家の人間が誤解を受ける訳にはいかない。


「失礼。ここにナキアはいるか?」

ノックと共に開かれた扉から姿を現したのは、ナルセルだった。幾人かの護衛と侍女を連れていた。夜も更けたこの時間にも関わらず、かっちりと着こなした服装は 彼が未だ執務中であったことがうかがえた。

ハルセンは礼を取り、ナルセルを迎えた。


「はい。こちらに休まれております」

視線でソファを示せば、ナルセルの視線はそちらへ向けられた。

「お見舞いにこられて … 少しお疲れになったようです」

どう伝えようか、迷って事実を述べた。

「貴方は 確か… 宰相家の…。マオを診ている医師ですね」

王太子から発言の許可がおり、ハルセンは名乗った。

「…ナキアを診てはくれないだろうか?」


ナルセルの許可を得て診察すれば、ナキアは先程より顔色も戻り、症状も軽くなったようだった。特には異常を認めず、お疲れが溜まっているのでしょう、と告げた。明らかにホッとした様子を見せ、ナルセルはナキアを伴い自室へと向かっていった。


再び静けさを取り戻した室内で、ハルセンは先程の光景を思い返していた。


あれは なんであったのだろうか…


ナキアとマオの間に満ちた光はなんであったのだろうか。漏れ出る生命の力の勢いを抑える、といっていた。それがあの祈りの行為なのだろうか…


それは 術者にダメージを与えるもの なのだろうか


冴えてしまった思考では、容易に休息へと戻れなかった。身体を休めるのを諦めて、開いた窓へと足を向ける。

漆黒の闇に蠢くものたちに、休息は訪れない。

より熱を帯びた気配を感じ、ハルセンは窓を閉めた。












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