284.裏で糸を引く者
国王の名のもとに、ライルと真緒の婚姻は正式に認められた。
終始渋い顔のニックヘルムと 上機嫌なマージオは対照的であったが、それよりも、アルマリアの独壇場だったことの方が記憶に残る。真緒の養父の立場であるヴィレッツは、その執り成しに終始苦慮させられたのだった。
本来ならば 真緒は宰相家で過ごし、女主人から教育を受けながら婚姻の準備を進めていくものだ。
しかし、宰相家の正式な女主人がいないことを理由に、王妃は自身がその役割を行うといって譲らなかった。
宰相家には次期当主であるテリアスの妻がおり、正確には女主人がいない訳では無い。実際、邸を取り仕切っているのはテリアスの妻だ。
そんなことは十二分に承知しているアルマリアだったが、真緒の世話を譲る気はなかったのだ。
「あの者たちは あてになりません。貴女に碌でもないことを平気でさせようとしたのですよ。
婚姻の日まで私が一切をお引き受け致します、宜しいですね?」
一切の反論を許さず、アルマリアは居並ぶ男たちに扇を向けて、それぞれを差し示すと ふん と鼻を鳴らしたのだった。
そんなやり取りからひと月。
宣言通り王妃の指示のもと、3ヶ月後に控えた婚姻の儀に向けて 教育や衣装合わせなどが進められていた。
アルマリアは王妃邸で真緒が過ごすことを望んだが、それをヴィレッツが阻止した。
婚約者であるライルが自由に会えないということも理由にあるが、王妃邸に滞在しているマリダナの王妃・ステリアーナの存在を警戒してのことだった。
ステリアーナは アルマリアの実妹であるが、あのヤーデンリュードの妻である。そして、アルマリアと同じく油断ならない存在だった。
表向きは 姉妹の親睦のための滞在だが、実際はヤーデンリュードがサウザニアの第一王子派に加担したことへの報復処置としての軟禁である。
夫であるヤーデンリュードが帰国してから、ステリアーナが水面下で何やら巡らしているとの情報を、ヴィレッツは得ていた。
近頃ステリアーナは、頻繁に気に入った者たちに声を掛け、男性にはサロンを解放し、令嬢たちには 茶会を催している。
そのお気に入りの貴族や令嬢たちの顔ぶれが問題だった。
かつてビッチェル派に属していた者。
更に辿れば、かつてマージオの兄たちを支持し、失脚した者たちだ。今はナルセルを支持し、表面は恭順を繕っているが、蜘蛛を使えばすぐに分かることだ。
現王政に異議はなくとも、反宰相派も含まれる。
その顔ぶれには、ヴィレッツの王位継承復権を願うものも少なくなかった。
ビッチェルが大罪を犯し、王位継承が望めない現状、ナルセルの対抗馬はヴィレッツしか居ない。
それはヴィレッツも十分承知している事だ。
だから、アルマリアが真緒を養女にするというのを、強引に己の養女としたのだ。
裏で真緒とヴィレッツの婚姻を押す動きがあるのを察知していた。真緒と婚姻を結べば、王配として担ぎ上げられる恐れがあったからだ。
ヴィレッツは、王位に関心があると匂わせて自らを餌に 思惑のある者たちを引きつけ、その動きを監視しているのだ。
ステリアーナが催す集いは、巧妙に参加者の顔ぶれは変えられているが、そういった意図が透けて見えるような顔ぶれだった。
ステリアーナの意図はどこにある?
ヤーデンリュードの思惑が動いているのか?
内乱、革命を起こさせるには、彼らには力が無さすぎる。エストニル国内に混乱、あるいは対立を生むことで国力の低下や国内の平定に集中させるのが狙いである、というところが妥当だろう。
マリダナにとって、エストニルは目の上のたんこぶだ。どうにかしてエストニルに首輪を付けてマリダナに従わせたいのだろう。
━━━━ そうは させない。
だが、こちらも渡り人である真緒の 生命の限りが迫る、というアキレス腱が存在する。
この 他国が容易に手出しできないカードを失えば、エストニルは危機にさらされかねない。今のユラドラだけでは心許ない。容易に攻め込まれない策が整うまで、真緒のことは知られる訳にはいかないのだ。
ヴィレッツは手元の書類に視線を落とす。
文字は視界に映るが、気掛かりが邪魔をして内容が認識できないでいた。
大きなため息と共に、書類を机に投げると天井を仰ぎ見た。
(…マオ、上手く乗り切って欲しい…)
いま、ステリアーナ主催の茶会に、マオは参加しているのだ。他国の王妃主催する茶会への招待を再三断る訳にもいかない。
しかし、タイミングが悪い。
ユラドラで反乱鎮圧に時間がかかり、ライルとルーシェはそちらに援軍を連れて向かっている。王妃は兄であるヒルハイトと共に王宮を離れて諸国との外交中だ。
意図的にこのタイミングなのか?
蜘蛛を配置したが、不安が拭えない。
再び書類を手に取るが やはり集中できず、諦めて目を瞑った。
(…何事もなければ良いが…)
その頃、ヴィレッツの心配を他所に お茶会は和やかに終わりを迎えていた。
真緒にとっては、お茶の味も、会話の内容も朧げな程 の緊張の時間であり、楽しさなんで微塵も感じなかった。只、緊張と苦痛の時間であった。
(…やっと 終わった…)
扇を広げ、隠された空間で大きく息を吐いた。チラリと視線を動かせば、ステリアーナが立ち上がる姿がみえた。それに合わせて、衣擦れの音がさざ波のように耳に届く。真緒も慌てて立ち上がり、周りの令嬢と共にカーテシーを取った。
ステリアーナとは、招待に対するお礼の挨拶を交わしただけで、特段、会話も接触もなかった。
ステリアーナが退席すると 順次解散となり、真緒は緊張から解放されて小さく息を吐いた。
「マオさま」
令嬢の殆どが席を立ち、賑わいが薄れた庭園に残って寛いでいた真緒に、そっと声をかけるものがあった。
優しげな微笑みを口許に浮かべた質素なドレスに身を包んだ女性だ。綺麗にまとめられた髪は白髪が混じる。どこかの令嬢の付き添いの者だろうか?見覚えのない人物を前に、真緒は固まった。
「…少しお話しをしたいと…」
そんな真緒の様子を気にかけることも無く、その女性は視線をある集団に向けた。つられて真緒もその視線を追えば、視線の先にはナキアと数名の令嬢が歓談していた。
(ナキアかな?…新しい付き添いの人なのかな?)
「こちらでございます」
さぁ おいでください。
「あ…待って…」
誰かに言付けて…と辺りを見回すが付き添ってくれていた侍女が見当たらない。こんなときルーシェなら直ぐに駆けつけてくれるのに…と思うが生憎 ユラドラに向かっている。
「…ご心配には及びません。お伝えしておりますよ」
さぁ。
強い口調に強引さを感じながら、真緒はその女性の後に続いた。
「こちらでございます」
案内されて行き着いたのは、湖畔の離れであった。
独立した建物は、散策の休憩スペースとして存在するようだ。一室しかないその空間にはソファとテーブルといった調度しかない。幾らか古い、傷みも見える。ただ、それらは細かな装飾が施されており、ひと目で高級なものだと分かった。
湖畔に向かって開かれた窓は大きく開けられており、肌寒く感じた。
「お飲みになってください、温まりますよ」
そういって差し出されたカップからは湯気が揺らいでいた。震える身体が求めるように、そのカップから熱を補給する。甘い香りととろりとした味覚が真緒を虜にし、気づけばひと息に飲み干していた。
身体の芯から熱が生まれる。
震えの止まった身体にホッと息をつくと、緊張を強いられた反動か、瞼が重くなってきた。
「…しばらくお待ちください」
呼んで参ります。カップを下げながら退室していく気配を、モヤのかかる意識の中でぼんやりと聞いた。
静かになった室内で 真緒は全身の力を抜くと、背もたれに身体を預けた。
少しだけ…
重く閉じかかった瞼を押し開ける力はなかった。背もたれに寄りかかった身体はそのまま横に滑り座面へと倒れた。しかし、その衝撃にも身動がない。
真緒は深い眠りへと誘われていた。
しばらく後、静かに扉が開かれた。
真緒の様子を確認すると、案内した女の口許は、醜く歪められた。
「…呑気なもの!愚かなこんな女のために、お嬢様は過酷な環境での生活を強いられているというのに」
忌々しい!
吐き捨てる言葉と共に、手持ちの桶を真緒に向けて開ける。途端にドレスは冷水を吸い上げ色を変えた。
真緒の眉が顰められたが、目覚めることは無かった。
「シェリアナ様のお辛さはこんなものでは無い!あの白い手は赤切れ、寒さの中、耐えてらっしゃる」
お前も味わえば良い。お嬢様から婚約者も地位も…全てを横取りした 泥棒猫がっ!
呪いの呪文のように口にすると、扉に鍵をかけず立ち去った。
ここはね、『捨てられた庭』。
かつての側妃が身を投げた呪われた湖。誰も近づかない。
濡れた身体に湖畔からの風は、さぞ寒いでしょう?
お嬢様の苦しみは こんなものでは無い。
八つ裂きにして も足らない。
…でも。
お力を貸してくださるあの方が、お嬢様をお助けくださる。下手なことをして 救出の妨げとなってはならない。
こんな場所で眠りに落ちて、病に倒れるなど有り得ないこと。令嬢として有り得ない失態を、公にすることはできないだろう。
茶会の庭園の片付けに さりげなく合流すれば、数人の侍女が慌ただしく動いていた。それを横目に、茶器を運んでいると声をかけられた。
案の定、真緒の行方について尋ねられる。
「申し訳ありません。私は 存じ上げませんわ」
眉を下げ、心配ですねと労りの気持ちを表情に貼り付けた。
小走りに走り去るその姿を視界の隅で追いながら、手を動かした。




