283.誓いの場所
「…やはり ここに居たか…」
そう背後から声を掛けられて、ニックヘルムはゆっくりと視線を動かした。気配には気づいていたが、警戒する相手ではない。
「…王たるものが、こんな寂しいところに まともに護衛も伴わず足を踏み入れるのは、いかがなことかと思いますが?」
ニックヘルムがため息混じりに諌言すれば、マージオは気にするな、と悪びれることなく、並び立た。
「お前が護ってくれるだろう?…それにあれが居れば、十分であろう」
視線で示す先を見遣れば、確かにライックが控えていた。
それでもだ。
この王は、いつまで経っても御身を大事にしない。
いつ果てても良い、そう考えているのだ。
「…ここからの眺めは いいな」
ニックヘルムの視線を追って、マージオも目の前の展望を見つめる。
ここは 簡素な中庭だ。
下草は綺麗にかられているが、咲き誇る花もなければ、飾る彫刻もない。積まれた石垣が囲み、木立の中にひっそり その空間は存在していた。
王宮は背後に山を背負い、その勾配を利用して高台に造られているが、この簡素な中庭は柵越しに王都を一望できた。
かつて 王位継承権を争い国が荒れたとき、兄たちの諍いを止めることなく、その現実に背を向けていたマージオを、ニックヘルムは ここに連れてきた。
『よく見ろ。貴方は、この広がりの中に暮らす民を護る責務がある。王となり民と国を護る盾となり剣となれ。俺が一緒に血を流す。お前の苦しみも辛さも共に引き受けてやる。この国を救うために 立ち上がってくれ!』
ニックヘルムに 王族として責務を果たせ、貴方が王だ。マージオがニックヘルムと 共に茨の道を進む覚悟と誓いを立てた場所だ。
「…あぁ。あのときと変わらないな。いや、豊かで穏やかな空気が流れている」
ニックヘルムの口調は苦味が混じっていた。その理由をマージオは知っている。
この景色を護るために、この男が失ったものの大きさを。
それは自分にも責がある。
自分がミクを諦められなかった為に、ニックヘルムはミクを匿おうとしたことが、自身の妻を自死に追いやったのだ。
浴びるように呑む酒と共に 、ニックヘルムが独り 泣き明かす夜を過ごしたことを知っている。妻の面影を映す子どもとの接触を避け、政務にのめり込んでいたことも。
妻を自死に追いやった自責の念に、妻の実家への処断が決断できなかったことを。
処断する決断を下せないニックヘルムに代わって、王である自分が、決断すればよかったのだ。
しかし、できなかった。
盟友の傷に触れるのが怖かった。
好きにさせよう、ニックヘルムの気が済むまで。
そうやって逃げてきたのだ。
「…すまない…」
沢山の思いに胸が張り裂けそうで、マージオが言葉にできたのは短いものだった。それでも 友には伝わったようだ。
ゆるりと頭を横に振り、
なんのことでしょう 、私が考え、決断してきたことです
そう言ってマージオの手を握った。
マージオもそれ以上 言葉にすることはなく、握られたた手を強く握り返し、固く握手を交わした。
「先程、お前の息子から、謁見の申し出がきたぞ」
マオとの婚姻を願い出るつもりなのだろう。お前も来るのであろう?
マージオは目の前の景色から視線を動かさない。同じくニックヘルムもマージオを見ることなく、ええ、不本意ですが、と応えた。
「…我が娘では 不満か?」
マージオがおどけた口調で言えば、ニックヘルムは苦笑いを浮かべ、初めてマージオに向き直った。
「不満など…。ただ、息子も私と同じく拠り所を失うのだと思うと…。親としては 残された先の方が長い息子の人生を憂いているのです」
私は、息子という見失っていた拠り所に気づくことができ 今までを過去にすることができましたが、あれはどうでしょう。
静かに語る言葉は、マージオに対してというよりも独語に近かった。
…確かにそうだ。
私は、アルマリアという確かな存在に気づき ミクは思い出の中の女性となった。 もう囚われることは無い。しっかりと今、手を取り 共に並び立つ存在があるからだ。
あの者は、マオを失ったらどうなるのだろうか。私のように過去の住人となるのか…。
若く才があるだけに、世捨て人のような生き方は惜しい。抜け殻のように過ごした私を知っているだけに、ニックヘルムはその姿を、息子に重ねてしまうのだろう。
「ニック、お前はこの婚姻、反対か…?」
これは王として聞いているのではない。無二の親友としてだ。
マージオは限りある生命だからこそ、マオの想う相手と添わせてやりたいと思っていた。でも、ニックヘルムの思いも分かるのだ。
「いいや、反対ではない」
ニックヘルムそゆっくりと頭を横に振り、ふぅ、と大きく息を吐き出した。
「その先を生きてゆくために、ライルの思うようにさせてやりたい。思い出は多い方がいい」
まるで己に言い聞かせるかのように、噛み締めるようにゆっくりと口にした。
「…そうか…」
マージオにはそれしか言えなかった。
そのタイミングでライックから声がかかり、マージオはニックヘルムの肩を軽く掴むと、何も言わずに立ち去った。
再び独りとなって、王都を眺める。
自分がやってきたことの『答え』が目の前にある。
胸を張ろう。
そして、いつか妻に会うときには 真実の想いを告げよう。そんなに遠い未来では無いはずだ。
「…父上…」
下草を踏む足音と共にかけられた声は、やはり警戒する相手ではなかった。
今日は良く人が来る…
苦笑いと共に振り向けば、ライルが互いの距離を詰めていた。穏やかな満ち足りた表情に、決意を秘めた眼差しは、息子の成長をみたようで、なんだか眩しかった。照れを隠すようにぶっきらぼうな返事になったが、ライルは気にした様子もなく、柵までやってきて、その展望に目を細めた。
「宴の夜に、マオをここに連れてきたんです」
ここは 私にとって父上との大切な場所ですから。ライルは恥ずかしそうに口にした。
「…父上、心配には及びません。
私は、ここでマオと誓い合ったのです。共に生きる、と。
マオとの別れがきても、彼女が 護りたい と願った意思を私は継いで生きていきます」
心配は無用です。
「でも。そもそも諦めておりません。マオを死なせない。きっと解決方法を見つけてみせます」
そういってニックヘルムに真っ直ぐな視線を向けた。
「ですから、マオとの婚姻を認めてください。私は、父上に祝って欲しいのです」
その真剣な眼差しに、ニックヘルムは亡き妻の面影を重ねていた。
面白みもない権力だけはある男の求婚に、真剣な眼差しで応えたくれた。
『つまらない男?そんなこと誰が決めたのです?私が貴方を選んだのです。貴方が自分を卑下することは私を侮辱することと同じです』
宜しくって?
そういって耳まで赤く染めて顔を扇で隠し、求婚を承諾してくれたことが、鮮やかによみがえった。
あぁ、貴女はちゃんと私の記憶の中に生きていた。
ニックヘルムは湧き上がる悦びに、目を閉じた。
「…父上?」
ライルの訝しげな声に、何でもない、と手で制し 息子と向き合った。
「お前が、そこまでの覚悟なら、私が言うことは無い。そもそも、反対などしていない。相手の父親が気に入らないだけだ」
マージオと縁戚となるとは…いかにも嫌だという渋面を作りながらも、瞳は正直だった。
嬉しさに潤んだ瞳は、息子に悟られぬように、広く広がる王都の景色に向けられていた。
ライルはニックヘルムの瞳の変化に気付かないふりをして、自身も眼下に広がる王都の景色を見つめるのだった。




