279.言葉にすれば
「マオ…帰れるなら元の世界へ帰りたいか?」
ライルの緊張が背中越しにに伝わる。
だって 後ろから回してきたライルの腕に力が篭ったから。
私を見ないのはわざとなの?
「チキの村で、長に会ってきた」
マオが元の世界に還れば、天寿を全うすることができるだろう。還るだけなら、チキの村の大樹の力とマオが帰りたいと願う強い気持ちがあれば可能だろう、そう長はいっていた。
━━━ 答えて。
真緒の背中に顔を填め、ライルは答えを求めた。
「…渡りの樹の力が失われている今、違う界に落ちてしまう危険もあるんだ」
それでも … 帰りたいか?
震える声がライルの言葉を代弁する。
いくな… 帰るなんて言わないでくれ…!
ライルの腕は 小刻みに震え、真緒の腕を痛いくらいに掴んでいた。
「帰らないよ。帰りたいなんて思わない」
迷う必要も無い。そんなこと決まっている。
震える腕をそっと解き、正面に向き合う。瞳を重ねて、宥めるようにゆっくりと語りかけた。
ライルの傍で生きるのだと、そう言ったじゃない。
聞いてなかったの?
頬を膨らませ おどけて見せれば、ライルの不安に翳っていた顔は 泣き笑いに変わった。
…… ありがとう ……
真緒の胸に顔を埋め、肩を震わすライルから聞こえた気がした。
…うん…
そっとその背に 呟いた。
何する訳でもない。
身体を寄せ合い互いの存在を確かめながら、時間が過ぎてゆく。そんな中、ライルがポツリと呟いた。
「…朝が来たら、王宮へ向かう」
きっと君は眠りの中だ。
その言葉に疑問が浮かぶ。それを察知してライルは苦笑した。
「何回も逃走したのに 信用あると思う?」
…心外だ。非常に心外だ。
確かに 心当たりはある。でも、それにはちゃんと理由があるのだ。第一 こんなに警戒されていたら、逃げたくても逃げられない。真緒の不満げな様子に、ライルはフッと笑った。
「…信用が無いのは俺もだ。マオを連れて逃げるか、悲観して手に掛けるか … ライックは見張り役だ。そして、何かあれば俺に手を下せる唯一だ」
なんでもない事のように話すけど、ライル、結構凄いこと言ってるよ?そんな気がライルにあったのかと疑いの視線を向ければ、爽やかな笑顔で どうだろうね とはぐらかされた。
「俺は、陛下と殿下にマオとの婚姻を申し出る。反対されようと これは揺るがない。勘当されようが、罪人になろうが 他の男にマオを渡さない」
でも、子を成すのは別の話だ。
「生命の力を削ることになる。そんなこと認められない。子は望まない」
俺はマオが居ればいい。
マオのいない世界に 希望などない。
そう言い切るライルに、真緒は一抹の不安を覚えた。
ねぇ、生き急いでいるのは あなたの方じゃないの?
言葉にすれば 確かめてしまうようで 怖くて言葉を呑み込んだ。この穏やかな時間を失いたくなかったから。
生命の力が 尽きるまで。
どうやら 数年単位での猶予はあるらしい。
生命の力を多く消費することがないようにって、どうするのだろう。
病気や怪我に注意すれば いいのかな?
互いの温もりを感じていると、瞼が重くなってくる。眠りへの誘いに抗ってみるが、真緒の意識は真綿に包まれる。
「このままずっと一緒にいる。だから、安心して眠るんだ」
ライルの声さえ遠くに聞こえる。頭をる撫でる手の感触だけが妙に冴えて、ライルの存在を教えてくれる。
夜明けにはまだ早い時間だが、星の輝きは弱まり、次第にその姿を消していく。
ライルは寝入った真緒の頭に頬を寄せると、自らも目を瞑った。
今は 眠ろう。
護るために。
明日からの闘いのために。
やがてくる朝に備えて、ひとときの安息を享受したのだった。
語らいの夜が明け、再び馬車で王宮へと向かう。
宰相家の別邸を出れば 再び緊張を強いられる。
今日は、ライルが騎馬で並走していた。
王宮に近づくにつれ、不穏な動きに警戒しなければならない。
微熱のあった真緒はハルセンが用意した薬を飲み、眠りの中だ。体力の消耗を抑えるためにも身体を休ませたい。真緒の身の回りの世話はルーシェの方がいいだろう。
ライルは車窓の細く開いたカーテンの隙間から、真緒の様子を覗き見た。
近くにいる。姿が見える。
それだけで 心が凪いだ。
殿を務めるエイドルに視線を送り、ハルセンに並んだ。ライックの所へ行く、視線で伝え、頷きを確認して、視線の先にある背中に向け そのまま馬首を向ける。早駆けで追いつけば、ライックは大きな欠伸をしてライルを迎えた。
「…結局 手に入れることは無かったな」
ライックの言葉に、ライルの眉間には深い皺が刻まれた。無言で睨めれば、ライックは肩を窄めて
「若い男と女、想い合う者同士で何も無いのが おかしい」
と揶揄う。オレの指南が必要か?含みのある笑いに苛立ち見つめれば、交わった視線は真剣そのものだった。
「…マオの全てが 欲しくないのか?求め合う行為くらいでは、生命の力は減らないだろうよ」
むしろお前の力を分け与えられるかもしれないぞ。
ライックの口調は軽くても、瞳は真剣だ。だからライルも言い返さなかった。
「…マオ亡き後、お前は何を糧に生きるんだ?
マオの後を追うのか?マオの残存と共に抜け殻のように過ごすのか?」
陛下ではないが、子でもいれば違う。
お前は、陛下や国の安寧、政治の駆け引きためにマオの血を継ぐ子が必要で、利用されているような反発心があるだろうが、そうじゃない。
俺たちはマオを大切に思っている。
お前たちが幸せになることを願っている。
子を望まないのはマオの意思でもあるのか?
生きた証を 、愛する者との子を、 望んでないのか?
マオの気持ちは どうなんだ?
…子が全てでは無い。
子がなくとも、深い繋がりの絆を得ている夫婦もある。だが、マオの気持ちを確かめず、己の考えだけを押し付けるのは駄目だ。
女は、命懸けで子を産む。
それは並大抵の覚悟じゃない。愛する者との子だからこそだ。
「マオにその覚悟があるのなら、お前はそれを認めてやるんだ。男のお前が覚悟を決めろ」
ライックの言うことは最もだ。
自分でもわかっている。
マオの意思。マオの望み。
確かめたかったのに、怖くて聞く事ができなかった。
言葉にすれば、マオを失うことを認めてしまう、そんな気がしたから。
共に過ごす時間が確実に削られるとわかっていて、それを望むなど、自分にはできない。
「━━━ ほら お出ましだ」
頭ばかり使ってないで 身体使え。お迎えが来たぞ。ボサっとして殺られるなよ。
ライックの声色が変わった。鋭い眼光を遥か前方の木立に向け、口の端を上げた。手を挙げ、ハルセンに合図を送れば、後方の馬車が進路を変えるのが見えた。
「…旧街道でダンが待機している。馬車にはハルセンもいる、向こうは大丈夫だ」
だから 目の前に集中しろよ。
ライックは駆ける速度を速め、馬車と距離を置いた。
ライルもそれに続く。
ライックが口元に当てれば森の入口に、動きが見える。梟だ。
「馬鹿なヤツらだ。我々に正面切って向かってくるとは」
せめて楽しませて貰いたいものだ。せめて訓練になるくらいの手応えは欲しいところだな。
物騒な呟きは、相変わらずだ。
「…行くぞ!」
馬の腹を蹴り 砂塵に飛び込んでゆく。
一方的に思える戦況だが、油断は禁物だ。
今は目の前のことに集中しよう。この闘いが、ひとときでも、この気鬱を忘れさせてくれる。
ライルは抜き身の剣を構えライックに続いた。




