278.繋ぎ止めるもの
……堕ちたか ……
腕の中の力ない存在に、力を緩めた。
身体を起こして抱き直せば、まつ毛が涙に濡れ、頬に走る涙の跡が痛々しかった。浅いが落ち着いた呼吸だ。穏やかさを取り戻した表情に胸をなでおろした。
目覚めたとき、
マオは どんな反応をみせるだろうか …
どんな反応でも 受け止めるつもりだ。
絶望に 過去の住人となったマージオの姿が、ライルの不安を煽る。それでも、離れるつもりはない。
マオの世界へ かえりたい。 そう願うのだろうか …
死への恐怖に耐えられず 殺してほしい。
そう願うのだろうか …
マオを失うなんて 自分がどうなってしまうか わからない。己を保てるか 自信はない。
…だから ライックは自ら来たのだ。
俺を手にかけるのは 自分の責務だと考えているのだろう。俺も ライックを望む。
抱き締める真緒の身体の熱が冷めてゆく。毛足の長い絨毯であっても床は冷える。
抱き上げて、暖炉前のカウチソファに横たえると、真緒の身体を包み込むように自身も横になった。腕枕をすれば、真緒の柔らかい黒髪がライルの頬を擽る。愛しさに頬擦りすれば、イヤイヤと振られ、逃したくなくて胸にギュっと抱き締めた。
何故 彼女にだけ こんなにも苦しみを与えるのだろう
代われるものなら 代わってやりたい
この国の平和?
大陸の安定?
民を護る?
━━━━ どうでもいい。
そのためにマオが 望まない使命を果たさなければならないのなら。
マオのいない世界など 滅びてしまえば いい
彼女が 生命を削り 助ける必要など ないじゃないか
もしかしたら
生命の力を得る方法が 見つかるかもしれない、
だからそれまで 今ある力を少しでも長く持たせるんだ
「…ライル…」
吐息混じりの声が抱く胸に伝わる。
「…ライル。もう大丈夫…」
身動ぎ、腕から抜けようとする真緒が なんだか腹ただしくて力を込めて抱き締めた。
そうやって また独りで 抱え込むのか!
これは 私の問題だから 。
そう言って 俺を 拒絶するのか!
「…い、痛いよ、苦しい…」
一段と力を込めて胸を押すその腕を掴み、組み敷いた。荒々しく唇を奪えば、身体に力が入ったのがわかる。それが拒絶された錯覚を生み、ライルはその力が抜けるまで執拗に求めた。
俺をみろ。俺を必要としろ。俺を頼れ。
掴んだ手首の力が抜けて、ライルはようやく自分を取り戻した。抑えられなかった醜い心を真緒に向けてしまった。自責の念に顔をみることができず、視線を外した。
「…手を退けて?」
請われるままに 真緒の腕を離し、身体を起こして背を向けた。醜い酷い顔をしている。こんな顔を見られたくなかった。
ふわり
羽衣に包まれた感触が、ライルの背に温もりを与えてくれる。ドキリと、心臓が脈打つ。
真緒がライルの背に縋る。回りきらない腕は胸元に届かず、ギュっとシャツを掴んでいた。
「…ライル 話してくれて ありがとう」
背中越しに伝わってくる声の振動が、ライルのこころを揺さぶる。更に強まる握り込む手には、言葉にならない想いが込められている。そんな気がした。
「…こんなこと 言わせてごめん」
辛かったよね。でも、知れてよかったよ。
…知れてよかった…?
「そんな訳ないだろう!」
思わず両肩を掴み、真緒の身体を揺すった。
死にますよ。
そんなことを告げられて ありがとうって何なんだ!
苛立ちに声を荒らげれば、真緒はまだ涙に濡れた瞳に凪いだ光を漂わせて、微笑んだ。
「…悔しいよ、怖いよ…。でも、自分のことだから。ちゃんと 知っておきたい」
ライル、ちゃんと教えて? 私には知る権利がある筈。
肩を掴む手をそっと剥がして、自身の手で包む。ライルの指環をなぞり、真緒は自分の胸へと導いた。
「ねぇ、今、私ちゃんと生きている。
この先 その力が尽きて死んでしまうのかもしれない。でも、いつかは誰でも迎えるもの。だから。
だからこそ、今を 精一杯生きていたい」
貴方と。
「ライル、貴方と生きていたい」
全身の力が抜ける。
━━━ あぁ。
この言葉が 欲しかったんだ。頬に温もりが触れ、真緒の手が添えられていた。黒曜の瞳は潤み より深く凪いでいた。その瞳に魅入られる。真緒の指先が 目尻をなぞり、自分が泣いていることに気づいた。
マオに求められたかった。
必要だと 認められたかったのだ。
共に生きたいと、言って欲しかったのだ。
求めるだけの想いは 切ない。
互いに求め合うことで、報われる想いが あるのだと知った。
「…マオ、ずっと一緒だ。どんなときも この手を離さない」
頷き返す真緒の唇を、今度はそっと奪った。
優しく啄むように、その感触を確かめるように。
交わす吐息に笑い声が混じる。
鳥の囀りのように、互いの名を呼び合い返事を交わす。
そして深く 互いを求め合った。
夜の静寂に、艶のある吐息が散る。
隙間のないほど寄せ合い、沿わした身体を更に引き寄せた。
耳朶を含くんだ唇は、首筋に沿ってデコルテをなぞる。その下にある双丘を想像させる膨らみを夢中でなぞれば、ナイトドレスがそれを阻んだ。
互いを遮る布が、ライルの理性を繋いだ。
今は、王宮に着く前に 話しをしなければならない。
「ライル?」
ふと 離れた身体に不安げな瞳がみつめる。安心させるように 額に唇を落とし、真緒の身体を引き起こすと 胸に抱き込んだ。
「マオの全てを … 。 誓いの日に」
耳元で囁けば、寄せた唇にもわかるくらい耳朶が熱を帯びた。羞恥に染まる顔を見たくて、頬に手を当てれば、イヤイヤと胸に擦り寄せてくる。その仕草に 理性で押し込めた熱が再び篭もり、それを逃すように強く抱き締めた。
「…私、どうなるの?」
ポツリ と零れる本音。
でも 実感ないなぁ。だって身体、なんともないよ?
ライルは真緒を抱く腕を離し、瞳が合うように正面に膝まづいた。
「…王宮へ戻る。国王の命だ」
ライックがいるのはその為だ。迎えに来たんだ。
「ルーシェもエイドルも…みんな このことを知ってるの?」
あぁ、知っている。
真緒の問いにひとつづつ 答えてゆく。
「━━━ だから みんな過保護なのね …」
納得です、とばかりに呆れ顔で ため息混じりにこぼす言葉は、仕方ないなぁ と告げていた。
「…それと もうひとつ」
え?まだあるの?
苦笑いと共におどけてみせるマオの瞳には、怯えがみえた。何を言われるのか不安気にライルの言葉を待っている。ライルは真緒の指に自分の指を搦め、視線を逸らさずに告げた。
「王宮内に お前が子を宿している という噂が流れている。父親だと名乗りでた者がいるんだ。あろうことか殿下にマオとの婚姻を申し込み、国王に謁見を申し込んでいるらしい」
はい?
聞き間違えでしょうか? もう一度 お願いします
見開かれた瞳の訴えに、ライルはもう一度告げた。
「お前が懐妊していて、その相手が名乗り出ているんだ」
はい? はい? はい?
まるっきり身に覚えが御座いませんが?
フリーズしたマオを、ライルは憐れむように見つめた。その視線がとてつもなく痛いんですけど。
事実無根だと ちゃんとわかっている。
ライルはそう口にしながらも、渋面を崩さなかった。
噂でしょう?
私が王宮で否定すれば、解決なのでは?
「陛下は、マオの懐妊をお悦びだ」
ことはそう簡単では無いらしい。
「マオの 生命の限りを知った陛下は、マオ亡き後の心の拠り所をマオの生み出す子に見出したんだ」
なにそれ?
あまりの理由に言葉が出ない。
でも、渡りの樹が焼失したとき、お父さんは過去の住人になってしまった。私のこと、お母さんだと思っていたあの姿が蘇る。
私が居なくなったら、お父さんはどうなるの…?
お父さんがおかしくなったら この国は どうなるの…?
思い詰めた表情となった真緒を、心配そうにライルが見つめる。その瞳を見つめ返し、曖昧に笑った。
「笑うな! … 無理に笑うんじゃない」
ギュウ と抱き締めてくれる。ありがとう、ライル。
自分が死ぬかもしれない なんて、実感がない。
でも、周りの状況が 現実だと 知らしめてくれる。
怖いよ。
嫌だよ。
でも、そのときは 着実に迫ってきているんだ。
カウントダウンは始まっているんだね。
それなら 好きな人と 残りの時間を過ごしたい。
自分らしく その瞬間まで 抗って生きていたい。
それが 私 だもん。
「マオ、結婚しよう。帰ったら陛下と殿下に許しを得よう」
ライルの言葉が嬉しい。でも。
「…結婚はしなくていいよ。でも、一緒にいて欲しい」
だって先に死んじゃうんだよ?
そんな相手と結婚しちゃ駄目。私が居なくなったら、ライルを大切にしてくれる人が隣に立てるように。胸が ヅキン と痛む。
「駄目だ。俺から離れるのは許さない」
そんなことを口にするな。
誰の目にも触れないようにように 閉じ込めてしまおうか。
ライルの醸し出す不穏な空気に、真緒の身体がピクリと震えた。
「必ず、生命の力を得る方法を探し出してみせる。
だからマオ、長く共に生きるんだ」
いいね?
承諾しか認めない。はい と言って?
苦しいくらいの熱い眼差しから逃れることはできない。それは 真緒にとってこの上ない喜びだった。
それは、今、生きている証。
自分を欲してくれる存在が、この世界に私をつなぎ止めてくれる。
ありがとう… 私を繋ぎ止めてくれて。




