273.違和感
幸いなことに真緒の熱は翌日には下がった。
解熱後の気怠さを持て余し、のっそりと身体を起こした。じっとりと湿り気を帯びた肌に布地がまとわりつく気持ち悪さに眉をひそめた。
… お風呂 … 無いか …
はぁ …
自然に漏れた ため息に更に気が重くなる。ベッドから這い出ると窓辺に向かい、窓を開け放つ。
冷気を含んだ風が心地よい。湿った肌を優しく撫でてゆく。目を細めて風を受けた。
外に行きたい。
… もっと 風を浴びたい。身体が欲している。
内から湧く衝動に勝てず、窓枠を越えた。
土の感触が足裏から伝わる。ふらつく足もとは心許ない。
思ったよりも体力を消耗していることに驚いた。今までだってこれくらいの熱を出すことはあった。でも、ここまで体力が奪われることは無かった。やはり怪我の治りかけだからかな…。
ようやくたどり着いた木の根元に 崩れるように倒れ込むと、大きく息を吐いた。
手足を投げ出し、幹に身体を預けて空を仰ぎ見る。
少しだけ…
そよ風が全身を撫でる。その心地よさに誘われるままに目を閉じ、眠りに落ちた。
「おいっ!しっかりしろ!目を開けろ!」
強く身体が揺さぶられ、無理矢理意識が引き上げられる。
…煩いなぁ…
せっかく気持ちよく寝てたのに …
寝かせてよ …
しばらくすれば諦めるよね …
腹が決まれば 身体の怠さも相まって 眠りに落ちるのは容易い。沈む意識に逆らうことなく 落ちてゆく。
余裕のない声が 落ちる真緒の意識を捉える。
…い…な!
…いく…な!
━━━━ 逝くな!
逃れようとしても その声は執拗に意識を絡め 離してくれなかった。
ようやくその声に 真緒の意識が向く。
恐怖に震えたその声は、真緒の心を震わせる。意識が引き寄せられてゆく。急速に覚醒に向かう意識が、その声の主を捉えた。
━━━━ ライル … ?
ライルなの?
確かめたくて、重い瞼をこじ開ける。薄目の視野に青紫の双眸の輝きが映った。その輝きは 逃れることを許さなかった。更に強く身体を揺さぶられ、頬に痛みが走る。
その痛みが、真緒を現に呼び戻した。
「…痛い」
頬に手を添えれば その熱が伝わり、身体に温もりが戻ってきた。
不意に奪われた身体の自由は、強く抱き締められているから。
鼻腔を擽る 愛しいひとの香
肌に伝う温もり
「…ライル」
真緒の唇が その名を紡ぐ。
双眸の青紫が見開かれ、優しい色を湛えて潤んだ。
「…おはよう…」
なんとも間抜けな 言葉だ。
自分で言っておいてなんだが、空気読めてない感 半端ない。非常に気まずい。感情溢れる瞳から逃れるように 視線を逸らした。
明らかに安堵した表情を浮かべるライルに、違和感を感じる。うたた寝していただけなのに、感動的な再会になっているのは何故だろう。確かにお久し振りだ。
人の気配に視線を動かせば、自分を見つめる視線は、どれも不安と安堵をたたえていた。
「…みんな どうしたの?」
そんな瞳で見つめられたら、逆にこっちが不安になる。強く握るルーシェの手は震えていた。その手を握り返し、尋ねればルーシェの瞳が揺れた。
なんて返そうか迷ってる…?
初めて見るルーシェの動揺した態度を問い詰めようとして、阻まれた。
「また抜け出しやがって!お前はバカか!?」
大声を出すエイドルは、駆け付けてきたのか、息が荒い。探し回っていたのか、額に汗が滲んでいた。
さすがに申し訳ない気持になり、バカ発言は聞き流すことにする。
「おいっ!窓は玄関じゃねぇぞ。何度抜け出せば気が済むんだ!いい加減 学習しろよ」
エイドルの怒りは治まるどころか益々ヒートアップしてゆく。それに気を取られているうちに、ライルやルーシェの違和感を覚える行動はなりを潜めていた。
「…エイドル、煩い。ちょっと木陰で寝てただけじゃない!」
ぶすくれて言い返せば、エイドルの目が吊り上がった。
「いい加減にしろ!どんだけ脱走すれば気が済むんだっ!」
人の気も知らないで お前は!
エイドルの言葉に、真緒が抱いていた申し訳なさは吹き飛んだ。
「何度も出し抜かれる方がマヌケなんじゃん!ひとのせいにしないでよ!だいたい あんたは …」
ライルの腕をなぎ払い 立ち上がると、エイドルに噛み付いた。勢いだけは立派だったが、言葉途中で視界が闇に閉ざされた。ライルが息を飲むのがわかった。
ふわり と身体が浮き上がる。
浮遊感の中、抱くライルの胸から早鐘の鼓動が真緒を包んだ。あまりに強く抱かれて 苦しさに胸を押し返す。それすらも力が入らず、藻掻いた程度だった。
それがライルの不安を煽ったとも知らずに。
真緒をだき抱え、足早に立ち去るライルの様子にエイドルは違和感を覚えた。あんなに動揺する姿は珍しい。同意を求めて姉を見れば、こちらも険しい表情に顔色を失っていた。
なんだ …?
マオの身に なにか起きているのか …?
あのふたりは 何か隠している。
━━━ 副団長もか!
だからあんなに慌てて 雨の中 やってきたんじゃないのか? それなら医師であるハルセンも何か知っているのか?
知らないのはオレだけか?
…マオは? あいつは知っているのか …?
ライルの後を追ってルーシェも立ち去ると、木陰にはエイドルだけが残された。ひとり残された様は、事情を打ち明けられてない現状と重なり、エイドルを苛立たせた。
「…くそっ…」
拳を打ち付け、怒りを逃す。自分でもわかっているのだ。この怒りの先は自身なのだと。ハルセンの言葉がエイドルに重くのしかかる。
『エイドル、大人になりなさい。
剣の腕が上がっても、身体に宿る精神が高まらなければ 騎士として認められない。━━ 大人として 騎士として認められれば、ルーシェも貴方を頼りにするのではないでしょうか』
「…あぁ くそっ!」
幹に額を打ち付け更に拳を振るった。重い痛みは 幼く未熟な自分への喝だ。その痛みよりも、心の痛みがより鋭く深く エイドルを傷つけた。
「…熱はないようだな」
ライルは真緒の額から手を離すと、安堵のため息をついた。
心配しすぎだよ … 全く過保護だ。
心の中で毒づく。あくまでも 心の中で、だ。
それなのに なぜか伝わるらしい。ライルの瞳が鋭さを帯びた。なぜ!?
慌てて上掛けを被り、その視線から逃れた。
大きなため息と共に、上掛けの上から頭を撫でる感触は どこまでも優しく、戸惑いを含んでいた。
いつもなら 強引に 唇を奪いにくるのに…
残念な訳では無い。決して。
掛物の中でブンブン頭を振る。期待してた訳じゃない。そう、なんとなく 習慣というか?
いつもと違うライルの行動に 正直戸惑っている。
さっきの 取り乱し方も そうだ。
━━━━ 違和感
「…少し 休むんだ」
ライルはそう言うと、部屋から出ていった。扉の閉まる音に、目だけを出して扉を見つめた。
なんなの?
通常営業はエイドルだけ。
なんか 腫れ物に触る感じ?
私 何かした?
全く 心当たりがない。
これじゃあ 気になって眠れない。
大きなため息とたもに、身体を起こすと軽い目眩に襲われて、目を瞑った。おかしいといえば、この体調もだ。いくら怪我の後でも、こんなに体調が優れないのは何故なんだろう。寝込む程じゃないけど、すっきりしない。動けない程じゃないけど、身体の何かが足りない、そんな感じ。
怒りっぽいからカルシウム?
それとも ビタミン系?
この怠さは ミネラル系?
うーん、カロリーは足りてると思うんだよね …
控えめなノックと共にやってきたのはエイドルだった。第二ラウンドかと思いきや、ゴングは不発。何か思い詰めたような表情に、真緒はふざけた気持ちを押し込めた。
「…さっきは悪かったな」
おっ?どうした エイドルくん?
あなたも 違和感バリバリですけど。本当にみんなどうしたんだろう。思考に夢中になって 返事も忘れて見つめていると、エイドルは真剣な表情で見つめ返してきた。
「…なぁ、オレに言うとはないか?」
なにを? 悪口言い放題ってこと?
疑問詞が浮かんだ真緒の顔を 食い入るように見つめていたエイドルは大きく息を吐いた。
「… だよな …」
ん? だから なに? 何が 『だよな 』 なのさ
怪訝な顔つきでエイドルを見れば、もういいと自己完結していた。ちっとも良くない。私は消化不良だ。
「何が言いたいの?」
「…いや、忘れてくれ」
強引にこの話を終わりにしたいエイドルの身勝手な態度に堪忍袋の緒が切れた。
「何なのよっ!みんな おかしい!エイドルまで何なのよ!」
エイドルの服を掴んで、猛抗議した。
反撃に備えて腹に力を込めて備えれば、エイドルは拍子抜けするような落ち着いた口調で 同意してきた。
「…そうだよな、やっぱりおかしいよな」
そうだよ、あなたもおかしい。
エイドルの視界に、真緒は映っていないようだった。何かをブツブツとつぶやきながら部屋を出ていってしまった。
「…本当に なんなのよ…」
どっと疲労感が襲う。真緒はベッドに背を投げ出すと目を瞑った。
直ぐに睡魔が襲ってくる。
何もかも おかしいよ。みんなも この眠気も。
でも、考えるのは目が覚めてからだ。




