272.見えない糸口
足の速い馬を選んだ。
駿馬はまだ夜の明けない暗闇の渓谷にある街道を駆け抜けてゆく。
真緒につけていた影からの報告がきたのは、日付が変わってすぐだった。ベッドに入ったが、酒の力を借りても寝付けないでいたライルは、飛び起きた。
真緒が倒れ、ベルタの手前の村にいるという。
なぜ、自分の帰国を待たずにベルタに向かったのか…
歯痒さと苛立ちに無駄に鞭を振るい、闇を裂く馬の嘶きに すまない と首筋を撫で詫びた。
エストニルに向かう ユラドラの渓谷は深く、両側が切り立つ崖となっており 奇襲に優れている。立場を変えて見れば、通る者にとって最も襲われる危険が高い場所であり、逃げ場がない。反撃のしょうがないのだ。
ユラドラとは同盟関係にあるが、それでも復興途上のこの国では野盗や反政府軍が根強くあり、治安維持のネックとなっているのだ。
テリアスはもちろん止めた。
酒も入っている。 朝を待て、と。
だが、真緒が倒れたときいたライルを止めることは 最早 不可能だった。
せめて護衛を付けろ。
その手配中にライルは馬を選んで駆け出していってしまったのだ。
こうなれば無事を祈るしかない。
護衛を命じたもの達の背を見送りながら、盛大なため息をついた。
朝日が地平を染めはじめる頃、ライルは渓谷を抜けてエストニルの見える場所まできていた。夜通し駆けた甲斐があった。この街道を進めば、大河を挟んでエストニルである。
同盟を結んでから2つ大橋がかけられ、商人の往来も盛んになった。夜間の橋は封鎖されており、大地が鴇色に染まり始めているが、開門の時間まではまだいくらかあった。
馬首を返すと、山へと向かった。
そこは山神の使いの領域だ。
ユラドラの王太子であったアルタスを追い詰めた場所に近い。
山神の使いはエストニル建国の始祖の末裔だ。
始祖ほどの力を有する者はいないが、精霊の気配を感じ、始祖の化身とされる渡りの樹を護る一族だ。
彼らなら。
生命の力について何か知っているのではないか。
解決策を知っているのではないか。
ライルは縋る思いであった。
どんなことでもいい。些細なヒントでもいい。
とにかく 解決への糸口が欲しかった。
山へと馬を進めれば、直ぐに周囲の空気が張り詰めた。
囲まれているな …
高まる緊張感に、皮膚がピリピリと 反応する。
緊張を解けば、すぐに殺られる。
できるだけ刺激しないように、馬の速度を落とし、木立の切れ目で 少し開けた場所で馬を止めた。
履いた剣を 鞘ごとゆっくりとした動作で腰から外すと、それを両手で捧げるように掲げて、声を張った。
「私は エストニルの騎士 ライルだ。
族長のリュード殿に お会いしたい」
剣を地に置き、そこから数歩前に進む。
両手を広げ丸腰であることを示すように立てば、正面の木立から現れた男が発した合図で、周囲の緊張は一瞬で解かれた。
「…ライル 随分と可笑しな登場だな」
「…タクラ、すまない。騒がすつもりはなかったのだが」
ユラドラから戻ってきたその足で来たんだ。ふたりは言葉を交わしながら、固く互いの手を握った。
地に置いた剣がライルの手に戻り、素早く腰に履くとライルも深く息を吐いた。その姿に、苦笑いを浮かべたタクラはライルの肩を叩いた。
「正面からちゃんと来れば、要らぬ緊張などしなくて済むものを。我らには良い訓練となったから良いがな」
「さすが山神の男たちだ。その殺気に皮膚がピリついた」
言葉と併せ腕をさすれば、タクラは お前にそう言って貰えるなら合格だな、と笑った。互いの視線が 会話の切れ目に重なった。
「…来ると思っていた、マオのことだな?」
ライルは頷いた。
「来い。長の所へ案内する」
周囲の気配は既にない。
若い者の訓練を兼ねた斥候だ。タクラはライルに並び表情を固くし、声を落とした。
「…戦になるかもしれない。備えはしなければならない」
━━━ 渡りの姫という抑止力が無くなれば 戦が起こるかもしれない
兄の言葉が、脳裏に蘇る。
山神の使いも 渡りの姫の血を継ぐ者を望むのだろうか。
横に並ぶ男の顔をみつめた。
「我らは エストニルと並び歩む者だ。それは、渡り人の存在の有無で変わるものでは無い」
イヤーカフに触りその手を胸に当てる。それは山神の使いが自身の生命にかけて行う誓約だ。
タクラは次期長だ。
その男の言葉は重い。ライルは無言で頷いた。
山神の使いを纏める長・リュードは、祈りの間で、ライルを迎えた。
聖殿の空気は心地よい緊張感に満ち、自然と姿勢を正す。大きく息を吸えば、乱れた心が落ち着いてゆくのがわかった。リュードの前に進み出て 深く 礼を取る。
「…よく来たな 」
リュードの低く穏やかな口調は、息子を迎えるように愛情に溢れていた。ライルはゆっくりと姿勢を戻し、誘われるままに席についた。
リュードはライルの正面に腰かけると、その後ろにタクラは立ったが、リュードは目配せし、お前も座れ と促した。そこへヤシアが現れ、揃ったな と、全員の顔を見回した。
リュードはライルに視線を向けて、話を促した。
「…突然の来訪を お許しください。ご存知かと思いますが ━━━ マオ のことです」
リュードは目を閉じ、小さく頷いた。それを確認して言葉を続ける。
「渡りの樹から生命の力が得られないことで、マオの生命は近いうちに尽きる …」
既に王宮医師・サルドから報告は受けているのだろう。ヤシアをみれば、その視線は床に逸らされていた。
「…生命の力を得る方法はないのですか?
可能性でもいい、何か知っていることを教えて欲しいのです」
ライルは唇を固く結び、組んだ指を組み替えてぐっと力を込めて握りしめた。
沈黙が支配する中、時間が過ぎてゆく。
重い空気を破ってタクラが口を開いた。
「…我々も 精霊の力を得ることができないのか、大樹から得られないのか、様々なことを調べた。しかし、生命の力を得る方法は 無かった。それを知る者もいなかった」
渡り人の存在自体、未久が現れるまで伝承の中の架空のものとして認識されていた。渡りの樹が力を失うことなど、想定外のことだ。
渡りの樹は消失し、今は まだ小さな息吹がその根に芽生えたところだ。リュードであっても、精霊の気配を感じ取ることがきできない程なのだ。
「… マオ に生きて欲しいと願うか?」
リュードが射抜くような視線をライルに向けた。静かな口調。決して大きくない声だが、不思議と祈りの間に響いた。
「もちろんです!」
ライルが身を乗り出すように答えれば、リュードは目を細め、告げた。
「では 元の世界へ還すが良い」
…還す…? 元の世界へ …?
心の声が 口をついて 出ていたのだろう。喘ぎにも似たライルの掠れた声をリュードは拾っていた。
「そうだ。元の世界へ還れば、マオは定められた生命を全うすることができる筈だ」
生きて欲しいと願うなら 急がねばならない。
生命の力が弱まれば、元の世界に辿り着けず、違う界に落ちてしまうこともある。そしてこれにはマオ本人の 還る という強い意志が必要だ ━━━ わかっていると思うが、これは一方通行だ。
還ったら 戻ってこれない。
… 口が乾く …
喉が張り付いて、声が出ない。
リュードの言葉を、感情が理解を拒む。何遍も頭を巡り、ライルの思考を乱す。
リュードは真っ直ぐライルを見ていた。
「… 我々ができることは限られている。それも完全では無い。渡りの樹の力がない中で、果たして成功するのか、それすら保証できないのだ」
ライルは耐えられず、リュードから視線を逸らした。それが合図かのように、リュードは静かに席を立った。
「… 口惜しい… 」
そうつぶやいた言葉が、ライルの心に深く 深く 刺さった。
「… ニックヘルムの手の者が、マルシアの元を尋ねたようだが、結果は、同じであろう」
残された時間を どう過ごすのか
それを マオと共に考えよ
リュードに諭される形で、謁見は終わりを告げた。
立ち去るリュードの背に、深く礼を取る。その背が視界から消えると、ライルはそのまま膝から崩れた。
「…力になれず…すまない」
タクラはライルの肩を抱き、座らせた。
ヤシアがライルの足元に膝を折り、深く頭を下げた。
「…私は…諦めたくない」
ヤシア!
タクラが咎めるように妻の名を呼ぶ。期待を持たせることは、かえって罪なことだ。
「わかっている…わかっているんだ。でも、諦めたくない…」
絞り出された声は震えていた。ヤシアをみれば力なく落ちた肩は震えていた。
ライルは顔を上げ、視線をタクラに向けた。
「…俺は諦めない」
ありがとう。そう告げると席を立った。
もう行くよ、マオが待っている。
見送ろうとしたタクラを視線で制した。 傍にいてやれ と ヤシアに視線を向ける。
外へ出ると、深呼吸を繰り返した。
マオの所へ急ごう。
そう思うのに、足が動かなかった。
視界がぼやける。目を擦れば指先に温かいものが伝った。
…少しだけ 遠回りしてゆこうか…
こんな顔は見せられない。
重い足を引き摺るように動かし、厩へと足を向けた。




