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267.真緒の事実

ルーシェにより真緒が運ばれた先は、王宮内に居を構えるヴィレッツの離宮だった。

老齢の医師は全身の傷の多さに眉を顰めたが、言葉にすることはなく、淡々と治療を進めていく。

ルーシェによってコルセットが外されると、ようやく深呼吸ができた。痛みで早くなる呼吸を落ち着かせるように、それを逃すように ゆっくりと長く息を吐いた。

両腕の傷は 身体を拘束したロープがくい込み、更に傷を深くしていた。胸に受けた傷はコルセットがなければ致命傷となっただろう。コルセットから逸れた傷がそれを示していた。背中に走る傷も同様であり、ルーシェの表情が一層厳しいものとなっていた。

「…うっ…… くっ …っ…」

襲う痛みに声も出ない。

シーツを握りしめる指は、あまりのりきみに白んでいた。

激痛に何度も意識を飛ばすが、次々襲う痛みが真緒の意識を呼び戻す。治療に際して薬が投与されたが、焼け石に水 。生身を焼かれる拷問のような時間は終わりなく思えた。治療を終える頃には、力尽き 気絶するように意識を飛ばしていた。


「ごめん……マオ。こんなに酷い傷を負わせてしまって。あなたを護りきれなかった…」

血と土で汚れた身体を丁寧に拭ってゆく。

傷を受けた影響で、身体は酷く熱を帯びていた。真緒の呼吸は荒く 浅い。

真緒の髪を梳く ルーシェの手が止まった。


慢心はなかったか…?

己に問う。


影 としての自分を知っても

『ルーシェはルーシェだから』

真緒は そういって態度を変えることはなかった。

だから…これは任務だと 思えない。

自ら 護りたい と思う、護るべき相手なのだ。

「…ごめん …」

ルーシェから零れたのは謝罪の言葉と涙だった。

己が 至らなかったばかりに、真緒にこんなに辛い思いをさせてしまった。何かに縋るように彷徨う真緒の腕を引き寄せて、強く握りしめた。


「…懺悔など 自己満足なだけだ」

幾重に重なる肉厚なカーテンから 影が抜け出し人の形をなす。振り返らずとも 解る。 (ダン)だ。

気配なくルーシェの背後に立つダンは、真緒の姿に眉間に皺を寄せた。

「…悔しいなら 己を鍛えよ。強くなれ。万能な人間などいない。目の前のことに万全を尽くす、それだけだ」

突き放したようなダンの言葉とは裏腹に、肩に置かれた大きな手は、優しい温もりがあった。

「…致命傷に至るものはなかったときいた。お前が仕込んだコルセットは役に立ったようだな」

よくやった。

大きな手はルーシェの髪を撫でる。幼いころ、店の隅でダンはよくこうやって髪を撫でてくれた。剣を取り、父を師と仰いだときからそれは無くなったが、ルーシェにとってそれは懐かしさと愛おしさの詰まった行為だった。自然と溢れる涙が頬を伝い、ルーシェは強く目を瞑った。

「…エイドルも無事だ … ルーシェ、お前が無事で良かった」

ダンはそのひと言と共に 部屋を去った。父の痕跡は無い。でもルーシェには、肩と髪に温もりが残っていた。

父の 期待に、真緒の 信頼に 応えたい。


真緒の手を両手で包み、祈るように額を当てる。


どうか マオが これ以上苦しむことがありませんように


神など信じない。

それでも、 マオのために 願わずにはいられなかった。



暑いな…

お水が欲しい… 喉が乾いた …

暗がりの中を彷徨う自分がいる。

ここは森だろうか…。そういえば ずっと逃げている。


走って 走って 追われて 逃げて …


もう追い詰める声は聞こえない。

もう走らなくていい?

休んでも いい?


何かに躓き、身体が地に沈む。泥沼に引き摺り込まれるように身体に何かが纏わりつき その重みに動けない。沈む恐怖に腕を伸ばして必死に縋るが、虚しく空を切るだけだった。

(…駄目か …)

諦めが心に影を落としたとき、ふっ、とその手を掴まれた。左手の指環に触れる感触が妙にリアルで真緒の意識を繋いでいった。

浮上する意識と反対に、身体に掛かるGは半端ない。その重みと焼かれるような痛みに、掴む手を逃すまいと握り返した。

「…マオ… わかるか?」

低い耳に心地よい音色が、名を紡ぐ。その声が合図のように、真緒は重い瞼をゆっくり開いた。

ぼんやりとした視界に映るシルエットは、白銀の髪に青紫の瞳を持つひと。


見なくてもわかるよ、

その声、この手の温もりは ライル、貴方でしょう?


名を呼びたくて口を開くが、声にならない。

伝わらないもどかしさに眉間に皺を寄せれば、

「痛むのか?」

優しく問われ、首を横に振ろうとして悶えた。全身に雷を受けたような衝撃が真緒を襲ったのだ。

「…無理するな。今は休むんだ。傷を治すことだけ考えるんだ。目が覚める頃には、全て終わっているから」

髪を撫でる手が頬に触れ、優しく撫でる。その手は魔法のように痛みに乱れた真緒の呼吸を落ち着かせていった。

「…ラ…イル」

空気の擦れのような声しか出ない。それでもライルは頷き 応えてくれた。

ライルになぞられた指環は熱を帯び、真緒の体内を満たしていく。先程まで感じていた暑さではない。包まれるような温かさ。その心地良さが真緒の意識を引き込んでゆく。


いや!

やっと やっと ライルの元に戻ってきたの

お願い…

今は私から意識を奪わないで。


━━ なのに。

「…今は眠るんだ。身体を休めて 時間を稼ぐんだ、いいね」

枕元から甘い香りがする。

(…時間を稼ぐ?… どういうこと …?)

考えたいのに、その甘い香りが思考を奪う。

イヤイヤする子供に言い聞かせるようにライルは真緒の耳元で囁くと、無意識にその香りから逃れようとする真緒を宥めるように唇を塞いだ。

ライルの吐息が、真緒の口内を満たす。


駄目、この香りは…!


再び深い沼に意識が引き込まれてゆく。それに抗うように唇から逃れようとすれば、その重なりは更に熱を込めたものになった。


濃厚な口付けに空気を求めれば、甘い香りが鼻腔をつく。その香りに囚われてゆく。

真緒の意識が沈み、その身体から力が抜けるまでライルはその唇を奪い続けた。真緒の唇がライルのそれに応えなくなり、ようやく離れたとき、分け合った熱が急速に奪われ、その喪失感に耐えられず唇を重ねた。

優しく唇を啄むような口付けのあと、ライルは真緒の指環にその唇を寄せた。


「…行ってくるよ」

腫れて潤んだ唇に、薄紅に頬を染めた真緒は 色香が漂い ライルを惑わす。その姿を瞼に焼き付けると、振り切るように立ち上がり、部屋を出た。

廊下の壁に背を預け、ライックが待っていた。ライルの姿を捉えるとゆっくりと距離を詰めてきた。

「…傍にいてやらないのか?」

ライックの言葉に、ライルは首を振った。

「オレの役割は他にある。マオなら大丈夫だ。きっと待っていてくれる」

だからその役目を果たす。ライックはそんなライルの肩を抱き、頷いた。

「━━━ 仕上げにかかるぞ」

ライルも無言で頷き、それに応えた。

ライックの背を見つめながら、その後ろを歩く。


医師から告げられた 真緒の事実 ━━━━

老齢の医師は 山神の使いの医師・ヤシアの師匠だ。マージオの祖母・ナルテシアの輿入れと共に王宮へ招かれた者だ。ナルテシア亡き後、一度王宮を辞して山神の村へと帰ったが、ナキアを王太子妃に迎えるこのタイミングで、マージオの再三の招きに応じる形で王宮に出仕していたのだった。


「渡りの姫は 著しく生命力が弱った状態にあります。本来なら渡りの樹から得られるエネルギーが、樹の消失により得られなくなったこと、このような怪我を負ったことで体内にあった生命の力が多く消費されてしまったことが原因だと思われます。


すぐにどうなる、ということではありませんが…

残された時間は数年単位。決して多くないのだと お知りおきください」


この世界に生きるための生命のエネルギーは渡りの樹から得ていたもの。その供給が途絶えれば、体内にあるエネルギーのみ。

ある日突然に 別れがやってくるのだ。


ライックの背が霞んで見えた。

それでも、限りある時間を共に過ごしたいと思う。

これからの時間を、心安らかに幸せと笑顔で埋めてやりたい。

━━━━━━ 必ず 解決策を探す。


だから 今は行く。

憂いを絶たねば。

二度と マオの生命を削るような事態があってはならない。


そして 全てに 抗うのだ。

そんな未来は 到底受け入れられない。


強く拳を握り、滲む視界を睨みつけた。



























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