265.救出
引き摺られるように 屋内へ連れ込まれると、暗い廊下を進んでゆく。 投げ縄のように身体に打たれたロープは真緒の身体を強く拘束し、負った傷を容赦なく痛めつけた。ロープが擦れるたびに生温かいものが手を伝う。
声を出したら … 駄目だ。
弱みを晒したら 駄目。こいつらを 喜ばせるだけ。
真緒は歯を食いしばり、その痛みに耐えた。声を殺し涙が零れないようにギュッと目を瞑った。
絡む足に何度も躓くが、この男が気に留めることは無かった。ロープの身体近くの結び目を持ち、躓いても力づくで引き上げる。
(… 家畜じゃあるまいし、縄打って引き摺るなんて…)
悔しい。
そして、この人たちは 誰?
━━━ 味方でないことは確かだ。
ある扉の前で立ち止まると、男は一層強くしめつけた。
「ぐっ…」
思わず声が漏れた。痛みに遠のきかけた意識を必死で繋ぎ止める。気を抜く訳にはいかない。意識を失ったら、いつの間にか永遠の眠りに着くことになりかねない真緒は下唇を噛み締めた。鉄の味が口腔内に満ちる。その刺激に胃が競り上がり 嘔吐いた。
「━━━━ お父様!」
扉の向こう側から、余裕のない声が聞こえてきた。
「何故なんですの!? 第一王子派を粛清するだけの筈でしょう?何故渡りの姫を攫うようなこと!」
興奮した女性の声が扉から漏れてくる。嘔吐きの中、意識をその声に集中させた。聞き覚えのある声だ。
「ローゼルシア、これもサウザニアのためなのだ。第一王子が廃嫡となった今、フロイアス様を王太子としてしっかりお支えしなければ、サウザニアはエストニルだけだなくマリダナにも付け入れられる。国として生き残るためなら、私は悪魔だと謗りを受けても構わない」
「だからといって、渡りの姫を亡き者にすれば、エストニルは黙っていません。我々はエストニルを敵に回してはいけないのです!」
「… フロイアス殿下はあの姫に執着しておられる。それをつけ込まれる。第一王子派が侵した罪とすれば、それを粛清した我々は、義が立つのだ」
「━━━ 廊下まで声が漏れております」
男から低い声が発せられ、真緒は開いた扉の内側へ引きづりこまれた。足元が覚束無い真緒は床へと叩きつけられた。見上げた先にいるこの男は、わざと私に聞かせたのだ、お前は殺されるんだ、と。感情の宿らない冷たい瞳は、真緒を見下していた。
この視線に殺されそうだ。
だから、せめて負けないように瞳に力を入れて睨み返した。
「━━━━ 木戸のところで 捕らえました」
真緒の背中を踏みしめ、髪を掴み頭を引き上げる。痛みと息苦しさに眉を顰めながらも、真緒はヘルデハークを睨みつけていた。
「…気の強い娘よのう…」
ヘルデハークは真緒の視線を受け止めると、真緒の前に進み出て、見下ろした。
「…渡りの姫よ、なぜこの世界に留まる?己の世界へと帰ることもできたであろう」
現にお前の母親は帰っているだろう。
「… お前は、この世界に存在しないもの。
渡りの姫よ、お前の目的は何だ?何故、この世界へとやってきたのだ?」
ヘルデハークの表情は読めない。淡々とした口調で独り言のように言葉を口にした。
「…し、知らない。私だって望んで来たわけじゃないっ!」
目的?なにそれ。そんなの 知らない。
なぜ この世界に呼ばれたのか。
私だって 教えて欲しい
「お前は、この世界に必要のないもの。ただ混乱を招くだけの存在 ━━━━ だから その存在が消えることは この世界を正しき道に正すこと」
ヘルデハークは淡々と言葉を紡ぐ。反発する気持ちは勿論あるが、それをどう言葉にしていいのか。
自分の意思でこの世界に来た訳では無いのに、存在自体を否定されることに強い反発心が湧く。
この世界に来て、苦しくて 辛い思いをした。
それでも、ライルと共に在りたいと この世界で生きていくことを決めたのだ。
私は この世界に 確かに存在する
何かを 成し遂げられなくても この世界に生きる存在なのだ。
「サウザニアを混沌に落とし入れたお前は 害悪でしかない」
━━━━ 殺せ
ヘルデハークの唇の動きを 呆然と みつめた。
ヘルデハークに縋り必死で止めるローゼルシアの声も、真緒の耳には遥か遠い。
嫌だ。
私は 死にたくない。不要な存在なんかじゃない。
私を求めてくれる人がいる。
共に 生きよう、そう言ってくれる人がいる。
━━━━ ライル っ!
引き摺られるように立たされながら、必死で身体をひねり抵抗する。
このまま殺されてたまるか!
後ろ手に縛られている指で、惹き合いの石に触れる。
ライル…助けて!
ローゼルシアが男の腕に取縋り、柄にかかる手を止めていた。
…チャンスだ。
ギュッと目を瞑り、身を屈めて全身に力を入れると、男の腹を目掛けて体当たりした。
必死で、男の緩んだ腕から抜け出した。追う腕を躱して 距離を取る。
「早く行きなさい!」
その男に振り払われ 床に崩れながらも、ローゼルシアは尚も男の脚に取縋り続けた。その声に押され、真緒は背を向け扉を目指した。
ローゼルシアの悲鳴に思わず振り返れば、剣が真緒の胸元を横薙ぎした。
「!!!」
声が出ない。呼吸も忘れその衝撃と 鋭い痛みが身体を走り抜け、それに 耐える。胸元に火がついたように熱が生まれた。
(… ごめん ライル …)
死ぬ前に もう一度会いたかったな…
遠のく意識に身を委ねる瞬間、強く抱き込まれた。途端愛しい人の香に包まれて、至福に満たされる。
「マオ!!」
(… あれ…ライル…?)
それも音声付き。
私、ライルに名前呼ばれるの 好きなんだよね…
身体の力が抜けてゆく。その温もりに身を預け、意識が揺らいでゆく。やっと得た安らぎがすり抜けしまいそうで、真緒は必死に意識を繋いだ。
「やめよ!」
低く重い声が、荒々しく開いた扉と共に室内に響いた。なだれ込む騎士たちに、室内の動きが止まる。真緒に向けた剣を納める間もなく、男はライルの向けた刃の前に伏した。一顧だにする価値もない。そう言わんばかりに峰打ちにして切り伏せると真緒を片腕に抱き、迷うことなく、ヘルデハークに剣を向けた。
「やめよ、ヘルデハーク!」
「ヒルハイト王!?」
一喝した主は、エストニルの兵に囲まれ ニックヘルムと共に現れた。ヘルデハークは膝を折りローゼルシアもそれに倣った。
「…ライル、納めよ」
ニックヘルムの言葉に従わず炯々と光る鋭い双眸が、ヘルデハークを捉えていた。
「ライル!」
再三の叱責に ようやく不承不承といった体で剣を引いたが、その双眸は変わることはなかった。
ルーシェはライルの腕から真緒を抱き受けると、拘束をとき傷を確認してゆく。
「…直ぐに手当を。深いものはなさそうです」
その言葉にライルは視線を動かすことなく頷いた。
「…まって…」
ルーシェの腕の中から必死でライルを求める。自由を得た腕を精一杯伸ばして、ライルに触れた。
「マオ…こんなに傷を負って…」
その声には悲愴感が漂い、慈しむ瞳の奥に怒りの焔が揺らめいていた。
ライルはゆっくりとヘルデハークに向き直った。
「…国が荒れたのは、己の欲にまみれた者たちのせいではないのか?それを収めることもせず、渡りの姫のせいにするのか」
一歩踏み出し、ヘルデハークとの距離を詰めてゆく。
「…この世界に不要な者だと?この世界を乱すのはマオじゃない ━━━ この世界に住むお前たちだ!」
吐き捨てるように言い放ち、ヘルデハークの胸ぐらを掴んだ。
「こんな少女が、この世界の何を狂わせるというんだ?この世界はこんな少女の存在ひとつで崩れるほど脆いものなのか?」
胸ぐらを掴む手に更に力が篭もり、ヘルデハークは小さい呻き声と共に苦しげな息遣いとなってライルの双眸に晒されていた。
「━━━ マオは。
俺にとって全てをかける価値がある。決して不要な存在では無い!
害悪なのは全ての原因をマオに押付けた お前たちだ!許さない。」
ニックヘルムはライルの腕に手をかけ、弁えよ、と諭した。離せ そう告げるとライルの掴む手をゆっくりと引き離した。解放されたヘルデハークは大きく息を吐き、その場に崩れた。
「…ニックヘルム。このことの始末は 私に任せて貰えないか。サウザニア王の名にかけて、エストニルに反することはせぬ ━━━ 」
「…私の一存ではなんとも。フロイアス殿下のこともありますので」
ヒルハイトの言葉にニックヘルムはにべも無い。
「我らエストニルにとって、彼の姫の存在は多くのものをかける価値のあるもの。それを努努忘れることのなきよう願います」
慇懃無礼に礼を取ると、ニックヘルムは挑戦的な瞳を向けた。
「…ライル、手当を」
ニックヘルムに促され、ライルはルーシェに目配せした。ルーシェに肩を抱かれた真緒は不安げにライルをみつめた。
「大丈夫、すぐに傍へいくから」
ライルは 真緒の頬に手をよせて、言い聞かせるように優しい声色で語りかけた。これ以上、己の中に渦巻くどす黒いものを真緒に晒したくなかった。だから努めて優しい笑みを貼り付けた。
こんなにも不安気な表情で縋る真緒をみたことがない。貶められ、殺すための剣を振るわれたのだ、無理もない。
できることなら、このまま胸に強く抱いて不安を拭い去りたい。全てのものからこの手で護りたい。
ルーシェに促され、何度も振り返りながら立ち去る真緒の姿を 扉の向こうに消えるまで見送ると、ライルは表情を消し、ニックヘルムに視線を送った。
これから先、マオ共にあるために。
こいつらに手出しさせないようにする。




