261.助け人
動き出したか…
夜闇に紛れるように森へと向かうフロイアスの姿を、ライルは物陰から見送った。暗闇に蠢く気配がその後を追うのを確認して、ライルは近づく気配に身体を向けた。
「動きだした」
そう告げれば、その気配は頷いた。
「こちらも だ。古狸が一枚噛んでいる。本国の劣勢をここで一掃する気だろう ━━ 我々の力を使ってな」
食えない狸だ。ライックは肩を竦めた。
「この騒ぎに乗じて、何やら企ててる害虫どもは駆除した。蜘蛛も良くやってくれる」
月明かりに照らされたライックの顔は愉悦に満ちていた。対照的に、ライルはその表情に何も映さない。怒りの焔を巡らせ、静かに気炎を上げていた。
「…マオは?」
「ルーシェとエイドルがついている」
エイラも合流する筈だ。
問いに 淡々と答えるライルに、ライックは意地の悪い質問をしてみた。
「お前はマオの傍にいかないのか?」
フロイアスが消えた闇を凝視していた視線を、ライックに向けて言い切った。
「護ると決めた。邪魔する者は徹底的に排除する」
必ずこの腕に抱く。
だから今は、信じて 仲間に託す。
自分の使命は、害する者を排除すること。
指先に熱を感じて目線を移せば、無意識に惹き合いの石を埋めた指環に触れていた。
共に生きる
そう誓い合った。
マオが帰る場所はオレの腕の中だ。
軽く目を瞑れば、胸に 腕に 華奢な彼女の柔らかい身体を生々しく感じた。息を吸い込めば、その香りさえ再現されてくるから不思議だ。
ライックはライルの肩を軽く叩くと、その場を去っていった。
肩に置かれた手の重みが、ライルを現実に引き戻した。再び目を開ければ、熱を持たない双眸が暗闇を射貫く。
ライルも 闇夜に紛れ 溶け込んでいった。
「居たぞ!追えっ!」
期待通りの声に追われ、真緒はドレスの裾を胸に抱き、大胆に足を出して走っていた。
元の世界では、制服のスカートは膝上が当たり前。パンツスタイルが多い真緒でも抵抗はない。
だが、裾を絡げて死に物狂いで走る姿に、美しさは皆無だ。
こんな姿をエイドルに見られたら、絶対馬鹿にされる。涙流して笑いそう…。
追われる恐怖を、くだらない思考で誤魔化し生き残るための気力を維持する。
負けるもんか!
バイトと通学で鍛えた脚力を舐めてもらっては 困る。
必ず ライルの元へ帰る。
その想いだけが、真緒を支えていた。
追っ手を巻くため、今度は暗闇を選び 逃げる。
地表に太く張り出した根が、足元を攫う。何度転んだか分からない。きっとドレスの色は茶色に変わっているだろう。
身体に合わない汚れたドレスで髪を振り乱した姿は、ハロウィンの仮装だな …。イベント感満載だ。
リアル鬼ごっこ ?
いや、 逃走中 か。
いやいや、これは遊びじゃない。 捕まったら人生終わる。
でも、すでに体力は限界を越えている。靴はいつ脱げたのか分からない。足は傷だらけだろうが、痛みも感じなかった。
… もう駄目。もう限界。
このまま身を隠して朝を迎えたい。
森の中は意外と身を隠す場所がなかった。
高い位置で茂る葉は地上まで十分な陽射しを通さず、下草くらいしか育たない。太い幹は間隔が開きすぎ、身を隠すには不向きだ。丁度いい岩場もない。
ようやく見つけた茂みは、人ひとりがようやく隠れるくらいのものだった。茂り具合が疎らで心許ないが もう一歩たりとも歩きたくない真緒は、即決で朝まで隠れることに決めた。
その茂みに身体を滑り込ませ膝を抱えて横になると、無駄に厚いドレスは良い寝袋になった。身体に巻き付けるように包まれば、ようやくひと心地ついた。
そういえば、静かだな…
目を瞑り とめどない思考を巡らせていたが、ふと 周りの音が気になった。葉の摺れ合う音や風が吹き抜ける音だけが していた。
…違和感の原因はこれだ。
追い迫る声がしないのだ。
先程まで真緒を常に囲んでいた多くの人の気配が、感じられないのだ。
逃げ切れたの…?
今度は集中して周囲の音に聞き耳を立てた。
静寂の中に自然の奏でる音が、真緒の心を解していった。
寝ちゃ駄目…。
いつあいつらに見つかるか分からない。
まるで授業中の居眠りのようだ。駄目だと思うほど、瞼が重くなり、意識が保てなくなる。そんな真緒の抵抗を揶揄うように 夜風が心地よく頬を撫でる。
夢うつつ。
その言葉がびったりな まどろみの中に、真緒はいつしか流されていった。
「…オ!マオ!しっかりしろっ!」
━━━ 誰…?
「おいっ!」
…まだ 寝ていたい。そんなに激しくゆり起こさないで欲しい。まどろみから意識が急浮上して覚めていく感覚を残念に思う。
せっかく気持ちよく眠っていたのに。
ひとの睡眠を邪魔する奴には天罰が下ればいい。
かなり本気で、真緒は神様に願った。睡眠を邪魔する不届きな者に制裁を! そして 重い瞼を開けた。
もう!眩しいよ!
顔近くに寄せられた松明が眩しくて 不届き者の正体を睨めない。
眉間に皺が寄るのは、眩しいだけだは無いのだ。
ひとの眠りを妨げる者は、地獄に落ちればいい。
エイドル、あなたのことですけど!
真緒は 堪えきれず叫んだ。心の中 ではあったが。
叫ぶ気力も体力も残ってないのだ。
ジト目で睨むことが精々だった。相手がエイドルだと分かったら、緊張で張り詰めていた気持ちが緩んで、眠気の波に攫われ 瞼が重くなる。
「マオ?おいっ!」
再び強く揺す振られ、マオは耐えきれず、今度こそ叫んだ。
「もう!いい加減にして!寝かせてよ!」
肩を掴む手を容赦なく払い、ドレスに顔を填め、背を向けた。
「…なぁ、どういう状況か わかってるよな?」
呆れを隠そうともせず、大きな溜息のおまけ付きだ。
わかってます。散々走ってようやく逃げ切ったのだから。ご褒美の睡眠ぐらいいいじゃないか。そんな気持ちを込めて呟いた。
「ケチ、エイドル!」
「ケ、ケチ?!」
…けしかけると面白いように乗ってくるエイドルの相手は本当に飽きない。眠気が薄らいできたので、茂みから這い出た。
「よくわかったね」
真緒の言葉に、エイドルは呆れ果てたと言わんばかりだった。
「…お前 馬鹿じゃないの? こっちから丸見えだぞ。それで隠れてると思ってたのか?」
指さされた方は真緒が這い出た反対側だった。
茂み?いや、垣根にもなってない。申し訳ない程度にしか枝も 葉の茂りもない。
頭 隠して 尻 隠さず ━━━━━━
はい。反論の余地もありません。
押し黙った真緒に掛かる声は勝鬨のようで、なんかカチンときた。
神様、睡眠妨害のコイツにきつい天罰を 頼みますよ
突然、エイドルの表情が変わった。
憎たらしいその顔を睨みつけていたから、表情の変化に真緒は直ぐに気づいた。
どうしたの?
そう声を出そうとしたところに口を塞がれる。周囲を警戒するその姿に、真緒は身体を固くした。見つかった…?
「…行くぞ…」
低い声と共に抱き起こされ、有無を言わさず背を押された。
「どこへ行くの?」
「決まってんだろ?逃げるんだよ」
少し苛立ちを含んだ声に遊びはない。周囲にその気配を感じ取っているのだろう。ちょっと待って、と立ち止まるとドレスの裾を巻き上げると胸に抱き込んだ。
「準備OK!いいわよ」
膝までしっかりと露出したその姿に、エイドルの動きが止まった。口元を隠し真緒から視線を外した。
「おい!足…」
「このドレス借り物だからブカブカで長いのよ。こうでもしないと走れないじゃない」
どうでもいいでしょ、足ぐらい。減るもんじゃないし。ほら、行こう?
「…ライル様に殺される…絶対姉ちゃんに叱られる…」
さっさと歩き出した真緒の背には、ブツブツとしたエイドルの声が追いかけてきたのだった。




