260.梟と鼠
無事に配置していた護衛と合流を果たしたフォルスは、ローゼルシアを侍女に託すと 報告のためフロイアスの元へ向かった。
ヘルデハーク公には、既に伝令を出している。
後はフロイアスだ。
マオが拉致された事実がフロイアスの耳に入れないようにしなければならない。控えの間に当てられた部屋の前で大きく息を吐くと、扉をノックした。
フロイアスは背もたれに身体を預け、リラックスした様子だった。その姿に胸を撫で下ろす。まだ情報は得ていないようだ。
「あれを 保護したらしいな」
フロイアスの感情の籠らない声色が事実確認をする。敢えてその事には触れず、はい と 事実認定に留めた。
今はそれでいい。
マオが消えれば 時間は要しても手を取る相手は決まってくるのだから。
フォルスは淡々とその経緯を報告してゆく。
真緒の存在だけを除いて。
お見舞いなされては?
そう口添えすれば、珍しくフロイアスが頷いた。物分りのいいフロイアスに警戒心を抱いのは一瞬だった。
「私がサウザニアを治めるのに ヘルデハークの力添えは必要だからな」
そうフロイアスが口にしたからだ。
フォルスにも想像以上に上手くいっている手応えがあったからだろう。
ようやく 覚悟を決めたか…
フロイアスの言葉を、そのまま素直に受け止め、喜びの笑みを浮かべ、恭しく礼を取るのだった。
フロイアスはゆっくり立ち上がると、ローゼルシアの元へ案内するように告げた。
フロイアスと入れ替わるように、ローゼルシアの部屋から出てきたのはヘルデハークだった。
フロイアスの後ろを歩くフォルスは、意図ある視線を受け、フロイアスを先に行かせた。そして、ヘルデハークへ一礼すると、その言葉を促した。
「…先ずは礼を。娘を救い出してくれたこと 感謝する」
目礼を受け、フォルスは頭を下げた。
ヘルデハークは目を細め、その肩に手を置くと、フォルスの耳元に顔を寄せた。
「…彼の姫のことは 任せよ。手は打ってある」
その囁きに、ピクリ、と身体が反応した。
視線を上げれば、ヘルデハークの指先は フォルスの首筋を真一文字になぞり、反対の肩へと移った。
交わす視線は雄弁に語る。
『マオを葬る
あれは 害をなす者。
あやつらの手に落ちたのだ。
我々は ほんの少し その背を押してやれば良いのだ』
ヘルデハークはすっと身体を引くと、何事も無かったように その顔に微笑みを浮かべた。
離れてゆくヘルデハークの背を見送っていると、扉が開き フロイアスが現れた。
随分と 早いな…
そんなフォルスの思考を読んだのか、フロイアスは苦笑いを浮かべた。
「まだ眠っている。起こす必要もないだろう?」
戻るぞ。早足で部屋へと向かうフロイアスの後を追った。
疲れたから休む。
そう言って部屋へと入ったフロイアスを見送り、フォルスは影からの報告を得るべく、回廊へと足を向けた。
「フォルス殿」
不意に名を呼ばれ、全身を緊張が走る。まるで気配がなかった。こんな近づかれるまで気付けなかったとは。背筋に嫌な汗が流れる。そんな心理を悟られぬように、意識してゆっくりと振り向いた。
ライックは柱の影から音もなく現れた。回廊灯りに照らされた横顔からは感情は読めない。鋭い視線がフォルスに向けられているが、その口元には笑みすら浮かんでいた。
宴の警護をしている男が、何故ここに…?
フォルスは警戒心を顕に、ライックの視線に応えた。
「警邏ですか?ご苦労様です」
努めて平静を装い声を発したつもりだが、語尾が震えた。それに気づかないはずが無い。口の端を歪め、間合いを詰めてきた。
「…わざわざ他国で 自国の華を所望し、それを手折ろうとするとは。少々 品に欠けますな」
まぁ、ご無事なようで何よりです。間合いを詰められ、低い声がフォルスを捕える。金縛りにあったように身体が動かない。荒くなる息遣いを、大きく息を吐く事で無理矢理抑え込んだ。
「…今宵は宴につられた鼠が騒がしい」
国境を超えて狙うのは 至高の冠か… 復讐の焔か…
鋭い視線を向けながら、どこか愉しげなのは何故だろう。冷たい含み笑いがフォルスに向けられる。
「フォルス殿はご存知かな?
━━━ 鼠は梟の好物なんですよ。
このまま鼠が動けば、梟は食い尽くしてしまう。 護る鼠がいなければ、他の害虫に狙われますぞ。特に至高の冠は 極上の獲物でしょうな」
━━━ お家騒動は 自国でやってもらおうか
この国を これ以上乱すなら 、サウザニアに対し 容赦はしない。派閥などエストニルには関係ない。
暗部の人間が消されては、護るものも護れなくなるのではないのかな ━━━
ライックの憫笑に無言で睨み返す。
そんなフォルスを揶揄うような口調で追い詰める。
「子飼いの鷹は、黒髪の番が見当たらなくて 気が立っている。私でも抑えられない状態だ。今頃鼠だけでなく、黄金の餌にも食らいついているかもしれない」
鷹はね、夜目がきくんだ。
あぁ、そうだ。
「狸も好物でね、狩りは上手いよ。古狸が鼠を操っているようだが? ━━ 大人しく巣穴に戻るよう伝えてもらおうか」
言葉の終わりと同時に放たれた殺気にあてられ、声も出ず、フォルスは立ち尽くした。
ライックがライルを育て上げたことは周知の事実だ。子飼いの鷹 ━━━
ライルはライック命を受け動いているということか。フォルスの脳裏にライルの射殺すような瞳が蘇った。
ユラドラの王太子 アルタスを
イヴァンを 葬った男
次は ━━━
「次の獲物は フロイアス殿下 、 ですかな?」
フォルスの思考を読んだかのように、ライックはその思考を言葉にした。
「…失礼する」
それだけ口にするのがやっとだった。喉が乾く。
かすれ声で告げ、フォルスはライックを見ることなく踵を返した。一度も 振り返らなかった。
その後ろ姿を一瞥し、ライックは闇に潜む者たちに放った。
「狩りの始まりだ」
フォルスの足音が扉から遠ざかるのを、苛立ちながら待つ。フロイアスの身体は怒りで震え、小刻みに足を踏み鳴らした。平静を保つことに多くのエネルギーを注ぎ込まなければ、怒りに飲み込まれてしまいそうだった。
フォルスが帰還したとき、フロイアスは自室の窓からその光景をみていた。その腕に抱く女性の姿が松明に照らされ飛び込んでくる。
フードに隠れ姿はわからなかったが、深い青紫の薄衣を重ねたドレスはマオが身につけていたものだった。胸が高鳴り、気付けば走り出していた。フォルスの元へ向かって回廊を抜け出したところで、足が止まった。
フォルスはその人物を騎士に託し、それに侍女が付き従った。フォルスはそのまま報告を受けているようだった。
「…彼の姫は?」
「追って報告が届くと思いますが、既に囚われた可能性が高いかと」
「構わない。後は奴らが始末するだろう。フロイアス様にとって害となる者だ。手間が省ける」
…どういうことだ…?
今のは誰だ?
なぜ 真緒のドレスを着ていた?
マオは どこにいるんだ?
確かめなければ。
居室に戻り、フォルスの報告を待つ。
その報告にはマオは出てこなかった。喉元まで 迫り上がる疑問をぐっと堪え、見舞いにゆくといえばフォルスは喜びの笑みを浮かべていた。
ローゼルシアに直接聞けば良いことだ。
ヘルデハークと入れ違いに部屋へと入れば、ローゼルシアは薬の作用で深い眠りの中だった。深い落胆の中、椅子の背に無造作にかけられている深い青紫が目に入った。所々ほつれはあるが、ドレス自体は大きな破けはなく、血痕も無かった。そのことにほっと息を漏らす。
扉に足を向ければ、ヘルデハークとフォルスの潜めた会話が薄く開いた扉から漏れ聞こえてきた。
「…彼の姫のことは 任せよ。手は打ってある」
その言葉の意味するところをフロイアスは正確に捉えた。
やつらの手にかかり 亡き者にすることを画策したのか!
それなら 自ら 赴くまでだ。
足音は既にせず、フロイアスは静かに窓辺へと移動した。松明で警邏の間隔を見計る。
やがてフロイアスは、漆黒に身を隠した。




