256.闇に蠢く思惑
ライルが立ち去った部屋でひとり、真緒はライルとの逢瀬が自動再生されて 悶えていた。
人気がないことをいいことに、ベッドへとダイブする。優しく受け止めてくれたベッドに、思い切り頬を填めた。
「ゔ~ … 」
唸り声にも似た声が漏れ出る。
反転して仰向けになると 両手で顔を覆い火照りを逃した。
嬉しさと 恥ずかしさに 身悶える。
冷静になれ、私。
目を瞑れば、宴での出来事や 月明かりの逢瀬が蘇り、真緒の気持ちを掻き乱した。目を見開き、天井を見つめて深呼吸を繰り返す。頬にあたる硬い感触に目をやれば、青紫の石が目に映る。同じ色の瞳が見つめているようで、興奮がぶり返し、落ち着かない心を枕を強く抱いて窘めた。
「マオさま…」
控えめなノックと共に扉の外から声がかかる。
…悶えている場合ではない。
真緒は返事をすると、慌ててベッドから起き上がり、枕を手放した。あまりの動揺に、返した返事は脳天から出た声のように裏返っていた。自分の声に 思わず吹き出した。
やだ、テンション高め…
ひとりで盛り上がっているのが、とてつもなく恥ずかしい。そんな動揺を知らずか、入室してきた侍女は至って平常運転だった。
「王妃様がお呼びです」
お支度なさってください。淡々と告げると、真緒の手を引き鏡の前で手直しを始めた。
王妃様付きの侍女だろうか?
真緒の知らない顔だった。
全ての侍女を知っている訳では無いのだから、知らない人がいても当たり前よね。それに、未だに動揺して落ち着きのない状態で受けるお世話は、知らない相手の方が気が楽だった。
ウィッグを手直し して、ドレスの皺を直すと真緒の手を取り、扉へ向かう。
侍女がひとりでことに当たるのは珍しい。
宴が催されているから、人手が足りないのだろう、真緒は単純にそう思った。開かれた扉の先には、見慣れた護衛騎士がふたり立っていた。
真緒に続きその数歩後を、騎士が付き従う。
真緒は護衛騎士たちに軽く会釈をして、案内の侍女に手を引かれ ゆっくりと回廊を進んだ。
「マオさま、御髪に…」
不意に立ち止まった侍女に声を掛けられ、示された髪に手を遣る。背に回った侍女がその髪に触れながら、真緒のその白い項に手を添えた。
チクリ…
それは、違和感。
何かに刺されたような感覚に無意識に手を遣るが、特に指先に触れるものは無かった。
(…気のせいかな…?)
真緒は気を取り直し 、首筋を摩りつつ、止まっていた足を踏み出した。
途端、地面が歪み、視界に闇が落ちる。
(やだ、気持ち悪い… 目が回る … )
自然と荒くなる息遣いに、立っているのが辛く、その場に座り込んだ。口元を押さえ、襲ってくる吐き気に耐える。
護衛騎士が近づいてくる気配に、大丈夫だから、そう伝えたいのに目が開けられなかった。
「…だ…だい…丈夫…だから…」
何とかそれだけ口にした。こうしていれば、じきに収まる…。固く目を閉じ、襲ってくる苦痛に耐えた。
真緒の気持ちを代弁するかのように、侍女が騎士へと説明した。
「…どうやら貧血のようです。王妃様に伝令をお願いできますか?…もうひと方は、医務室の手配を」
真緒の身体を労りつつ、手際よく指示を出す姿を疑うことなく、護衛騎士はその場を離れていった。それは、近くに近衛騎士が現れたこともあるのだろう。
侍女は離れる護衛騎士の背に、冷ややかに一瞥すると、真緒の首筋に迷うことなく手刀を落とした。近衛騎士は、力なく崩れた真緒の身体を抱えた。
頷き合う近衛騎士と侍女の間に言葉はない。
静かに夜闇に消えていった。
ライックは宴の音が漏れ聞こえる庭園の影に身を置いていた。
梟が報告のために現れ 消えてゆく他は、動きはない。灯りの少ない庭園に訪れる者は、人知れず忍ぶ逢瀬か、後暗い者たちぐらいだろう。
各国の要人が集まるだけに庭園や宴のホール近くは特に 賑やかだ。
勿論、それは暗部の視点に於いて、である。
小競り合いは無いものの、牽制しあう殺気が満ちていて、煩い。己の主人を護る者だけなら良いものを、よからぬ事を企む奴らが紛れているのだ。
それらを炙り出すため、ライックはここに居る。
動き出したか …
真緒が拐かされた。そんな報告を受けた。
真緒には 梟をつけている。まずは問題ないだろう。フロイアスはローゼルシアのことでは動かない可能性がある。引きずり出すためには、極上の餌が必要だろう。真緒を囮に使うとは、奴らは良く心得ているようだ。
大きく息を吐き出し、目を閉じる。
気を引きしめ 集中を高めてゆく。そして、離れたバルコニーの影にある人物へ視線を向けた。
ライルは真緒を部屋へと送ると、庭園近くのバルコニーに身を潜めた。そこはフロイアスの控え室だ。
サウザニアで第一王子派の粛清にあたっていた第三王子が窮地に立たされているらしい。
情報によれば、第三王子は怪我を負い、国内の統制に乱れが生じているという。勢いのついた第一王子派の一部が、エストニルに潜入している。ヘルデハークがフロイアス支持を示したことの報復に、この宴で何かしらの動きがあると思われた。
何故、自分がこの男の護衛なのか。
ライックの命令だから従うが、腑に落ちないでいた。フォルスが傍にいるはずだ。それなら自分ではなくとも暗部の人間が付けば良い話だ。
そもそも、狙いはヘルデハーク親子ではないのか?
いや、マオを手に入れようとするなら今夜だ。
明日には、サウザニアへ帰国することが決まっている。
それを防げということなのだろうか…
早く国へ帰ればいい。二度とマオに手出しはさせない。
先程までこの腕に在ったその存在の温もりを、身体が覚えている。瞼の奥に鮮やかに蘇るその姿に、瞑して浸る。
静かに見開いた瞳は、獲物を狙う猛禽と同じ光を宿していた。




