254.縁戚の娘
華やかな色彩が ホールに舞う。
奏でられる調べに合わせ、ホールではダンスに興じる者たちが華やかさを演出していた。
人々の騒めきは 柔らかな調べに乗せて心地よく真緒の耳を撫でていた。
王族専用のサロンから、宴の華やぎを夢うつつで眺める。緊張感は薄れてきたものの、映画のワンシーンのような光景の中に自分が居ることが信じられずにいた。
先程まで、フロイアスとローゼルシアの婚約に沸いていたフロアも、主役たちの退室によって、興奮から醒めて落ち着気を取り戻していた。
「マオ、フロアに降りてみない?」
ナキアに声をかけられて、真緒は首を横に振った。
憧れはある。が、場違いだ。
先程までの浮き立つ心が急速に萎んだ。
人々の視線に晒されることが…怖い。
ぎゅっと 握りこまれた拳に、ナキアはそっと手を添えた。
「無理強いはしないわ … でも …」
耳元で囁かれて、示された視線の先を追った。
壁際に佇み、そっと見上げている視線に囚われた。
(…ライル…)
漆黒の詰襟の礼装は白銀の髪がよく映えていた。細身の身体に添うように仕立てられており、その姿は黒狼を彷彿させる 。孤高の騎士の姿がそこにあった。
「…貴女を 待っているわ」
ライルは名門貴族であるが、王族ではない。真緒の居るサロンへは立ち入れない。真緒は、誘いの視線から目が離せなかった。
「…うん…」
熱に侵されたように うわ言のような返事を口にし、真緒は引き寄せられるかのように、腰を浮かした。
「私が エスコートしよう」
不意に背後から声をかけられ、真緒は弾けたように身体を大きく揺らした。言葉と共に差し出されたた手に、戸惑いと期待を込めて見つめれば、ヴィレッツは眩しいほどの貴公子スマイルを浮かべ、どうした?と小首を傾げて見つめ返した。
うわぁ… こんなキラキラした人と一緒なんて、とんだ見世物じゃん!
一向に手を取らない真緒の様子に、ヴィレッツは笑みを深めて真緒の手を握り込んだ。
「さぁ お披露目だよ」
柔らかな微笑みとは裏腹に強い力で掴まれて、真緒の身体はサロンの階段に躍り出る。一斉に集まる視線に身体が動かない。背に隠れるように顔を埋める真緒に気付き、 ヴィレッツは足を止めた。
「ライルが待っている。彼の手を取るんだろう?並びたち、共に歩むのではないのか?」
侍従が持ってきたベールを真緒に被せる。そして、ベール越しに真剣な瞳を向けた。
「この世界で生きてゆくのだろう?」
━━━ そう この世界で ライルと生きてゆくんだ
左薬指の指環をそっと撫でる。
約束の証は 真緒の心を映すように 淡い青紫の輝きを放ち熱を帯びた。埋め込まれた惹き合いの石が指先に触れる。何度も指先でなぞり、その熱を取り込む。
自然と凪いでゆく心と高まる鼓動が、真緒を後押し した。
「━━ はい」
真っ直ぐにその瞳に応えれば、ヴィレッツは満足気な笑みを浮かべ、真緒の背にそっと手を添えてフロアに身体を向けた。
差し出された手に自身の手を添えて、愛しい人に視線を向けた。背筋を伸ばし、前を向く。
貴方に相応しい 私になる ━━━━━━
震える足を叱咤しながら、一段、また一段 と階段を降りてゆく。視線の集まりを感じて鼓動が早まるが、真緒はその歩みを止めることは無かった。
モーゼの海割りのように人の波が割れる。
その中心を 同じようにゆっくりと歩み寄る黒狼の姿に 視線が逸らせない。絡み取られるように 引き寄せられてゆく。
フロアに降り立ったヴィレッツは、騎士の礼をとり出迎えたライルの前で足を止めた。発言を許されたライルは、短い挨拶のあと ヴィレッツの後ろに立つ真緒に視線を向けた。
「…殿下、そちらの令嬢をご紹介頂けますか?」
色香漂う熱の篭もった視線が 真緒を射抜く。身体の熱が一気に高まるのを感じ、軽く身震いする。ベールがあって助かった。今、顔真っ赤だ…。
「私の縁戚の娘だ、縁あって引き取り、私の養女となった。この宴が社交界デビューとなる。目をかけてやって欲しい」
周囲を取り囲む貴族たちに聞かせるような、やや演説じみた紹介を経て、真緒は精一杯のカーテシーを取った。下腹に力を込め、できるだけ優雅にみえるように丁寧に腰を落とした。
ベール越しにみえる黒髪に息を呑む者もいたが、口に出すものはなかった。真緒の正体を知っているものは皆、口を噤んだ。
ヴィレッツが『縁戚の娘』だと公言した以上、この娘は 『渡りの姫』ではないのだ。
そして、宰相の息子 ライル。
彼がテルロー公爵令嬢との関係をサウザニア王に祝福されたことは記憶に新しい。
しかし、テルロー公爵が自身の反逆行為と娘が起こした事件により失脚したことを、この宴にいる者で知らぬ者はおらず、口を挟むことなく 静観した。
これは、テルロー公爵令嬢との関係を完全否定し、周知させるためのパフォーマンスなのだと。
そして、宰相とヴィレッツが対立関係ではなく、手を組む関係にあることを示すもの。その証が 『婚姻』 である。
「…ご令嬢を お誘いしても構いませんか?」
ヴィレッツの了承を得て、ライルは真緒に手を差し出し、恭しく礼を取った。伏していた視線は、真緒に向け力強い光を放ち向けられた。
心臓が強く打った。
息ができない。
乱れる呼吸を整えようと左手を胸に添える。指環が胸元で仄かに光を放つ。その光が真緒を優しく包み込んだ。
ライルの瞳を真っ直ぐに受け止め、真緒は震える手をその手に向けてゆっくりと差し出した。
もう少し。
もう少しで指先が触れる。
触れ合いへの期待感が高まり、早打ちの心臓が煩い。胸の高鳴りが伝わらないように指先に集中したとき、震える指先に 微かにライルの手が触れた。
その途端、力を込めた手が真緒の手を逃すまいと捉えた。熱の籠る瞳は、力強い光を宿し真緒を捉えた。
握られた手の熱が真緒に流れ込む。
その悦をもたらす感覚は、電流のように真緒の身体を貫き、背筋に走る刺激に身震いした。
「…今宵の貴女を独り占めする栄誉をお与えください」
ライルの言葉に、どう返していいのか言葉に詰まる。
ただ 頷いて …
ライルの囁きに、真緒は反射的に こくり と頷いた。
ライルの瞳に歓喜が満ちる。その悦びが、腰に添える手を通して真緒に伝わってきた。
そのまま、流れるような仕草で、真緒はフロアへと導かれた。再び起こったモーゼの海割りが、ライルと真緒の行く道を創る。導かれた先は、フロア中央。
なんで!?
なんでこんな目立つところなのよ!私、踊れないよ!
目線が泳ぐ。足が震える。
慌てて耳打ちすれば、涼しい顔で、口の端をあげたライルのイタズラな視線と目が合った。
「練習しただろう?」
その成果を見せてよ。
ブンブン頭を振る真緒を宥めるように、今度は真緒の頭を胸に抱いた。息遣いが髪にかかり、真緒の鼓動を一層早めた。
大丈夫だ、オレに身体を預けて。
腰に回した腕に力を込めて身体を引き寄せられ、鼓動を感じる距離感に、真緒の脳は沸点を越えた。
言葉を失った真緒に、とろけるような微笑みと色香漂う瞳を向けて、ライルはゆっくりとステップを踏んだ。
それに合わせ真緒の足が戸惑いながら動く。
上手だよ、真緒を除き込めば上目遣いの瞳とぶつかった。頬を上気させ、瞳を潤ませ見つめるてくる。肩に添えられた手は小刻みに震え、握り合う手には力が篭っていた。
わたしを離さないで …
そんな言葉が ライルの脳裏に 響いた。
もう 誰にも渡さない。
このまま奪い去りたい気持ちを押し殺し、ライルは見せつけるようにフロアを広く使い、踊りに興じた。
令嬢とダンスに興じる姿がなかったライルの豹変ぶりは、宴の話題を攫うのに充分だった。
宰相の息子を射止めた、殿下の縁戚の娘。
エストニルの二大勢力を繋ぐ婚姻となるだろう。
エストニルはより強い結束を得て 安寧の時代を迎えるのだろう。
囁かれる政治的な思惑にヴィレッツは心の内でほくそ笑む。ふたりの幸せの恩恵は、大きい。
国王の傍に控えるニックヘルムに視線を向ければ、一見無表情に見えるその顔に、歓びの表情がみてとれた。
ダンスを終え、玉座に近づいてゆくふたりのあとを追い、ヴィレッツはマージオに縁戚の娘だと、真緒を紹介した。共に礼を取る姿に、マージオはニックヘルムに視線を向けた。
「宰相の息子であったな。良き縁があったようだな」
ニックヘルムはその言葉に、肯定の意を込め頭を下げた。
「このまま 良き縁が結べればと思っております」
ニックヘルムの言葉を受けて、ヴィレッツも同意を示した。マージオは真緒を見つめた。優しい父親の視線は、真緒に問う。
『お前が選んだのは この男なのだな?』
その問に、真っ直ぐと視線を合わせた。
『はい。ライルと共に生きたい、です』
その答えを受けて、マージオは目を閉じる。
そして、ゆっくりと玉座からたちあがると、その去就に注目していた者たちに向けて告げた。
「国王の名において この者たちの婚姻を 認める!」
一瞬の静寂のあと、湧き上がる歓喜と祝福の声がフロアに溢れた。ライルは礼を取りながら、歓喜に震える自身の感情を抑えきれず、ぎゅっと真緒の手を握りしめた。抱き締めたい、その唇を奪いたい、そんな衝動を必死で抑え込む。
マオはオレのものだ
今すぐこのベールを取り去り、全ての者に知らしめたい。
ライルに仄暗い気持ちが頭をもたげる。
それを自ら打ち消すかのように、真緒の腰を抱き寄せ、御前から辞する挨拶を口にすると、真緒の腰を抱き庭園に続く回廊へと誘った。




