247.手駒
フォルスは与えられた居室で、絶えず襲う吐気と脱力に悶えていた。ヒルハイトの前を辞してから、冷や汗が止まらずふらつく脚を叱咤して倒れるように居室にたどり着いたのだった。
控えめなノックとともに、侍女を伴い医師が現れた。
丁寧な診察のあと、医師は侍女にいくつかの指示を出し、フォルスに頭を下げると 退出した。
ヒルハイト王が寄越してくれたのだろうか…
自分は口に含んだだけで、この有様だ。
フロイアスはカップを舐めたようだが、大事無いだろうか…
ぼんやりと医師の背中を見送り、汗ばんだ身体の気持ち悪さに眉間にシワを寄せてると、室内に残った侍女がタオルと着替えをサイドテーブルに置いた。
その姿を何気なく見つめたとき、見覚えのある人物だと気づいた。それは吐き気も飛ぶほどの、驚きだった。
見開いた視線に気づいたのか、その侍女はフォルスと視線を合わせて、口の端をあげた。
「期待通りの働きでした」
ご苦労さま、細めた目は表情と違い笑っていなかった。フォルスはその侍女 ━━━ エイラ に手を伸ばした。
どういうことだ、説明してもらうぞ。
そう 口にしたのに 掠れ声は 言葉にならなかった。
それでも意図は通じたらしい。エイラはフォルスの腕を軽くいなして自身から離すと、距離を取った。
それは偶然耳にした会話だった。
フロイアスと庭園沿いの回廊を歩いていた時のことだった。物陰から、侍女たちの 立ち話が聞こえてきたのだ。
「本当に そんなことを?」
「…私、怖いわ。いくらシェリアナ様の言いつけだからって媚薬を盛るなんて…」
潜めた声なのに、よく通る。まるで誰かに聞かせるかのようだ、フォルスは警戒心を露わにして、フロイアスを遠ざけようと先を急かした。
「…お茶会にお誘いしたマオ様の想いを叶えるためだといわれて…」
媚薬…、マオ…、このキーワードだけで充分だった。
フロイアスの歩みは止まり、その会話に囚われているのは明らかだった。フォルスはフロイアスの背を強く押し、その場を離れようと試みたが、フロイアスはそれを振り払い、庭園へ足を向けた。
「フロイアス様!」
「…姿を… 見るだけだ」
喘ぐように呟き、フロイアスは取り憑かれたように東屋へと向かった。
荒い息遣いで、伏し目がちに何かに耐える真緒の姿が、フロイアスの雄を刺激した。
「おや、これは…。ご一緒してもよろしいかな?」
思わず声を掛ければ、緩慢に向けられた瞳は熱を帯びて潤んでおり、その表情は恍惚としていた。
膝の上で組まれた手は、自身の甲を抓りあげ、小刻みに震える身体は、何かに必死に耐えていた。その姿はフロイアスを捉えて離さない。
無意識に唾を飲み込む。席を立とうとする真緒の手首を掴み、腰を抱いて 引き寄せた。
華奢な身体がピクリと自身の腕の中で反応する。
更に荒くなる息遣いに、耳元に唇を寄せて囁くと
「…くぅっ…!」
真緒は、吐息と共に声を漏らした。
(…媚薬か…。楽にしてやる…)
喉が乾く。置かれたカッブを手に取り口元に運ぶ。
抱く腕に力を込めると、真緒は身を捩ってそれから逃れた。
「殿下!」
フォルスの緊迫した声と同時にカップは奪われ、フロイアスは我に返った。腕をすり抜けた真緒は侍女に抱き抱えられ、鬼気迫る表情のフォルスが立っていた。
フォルスは、失礼、と形ばかりの声を掛けてそれを口にした。一瞬で顔色を変え厳しい顔つきとなり、それをナプキンに吐き出す。
「殿下を部屋へお連れしろ!」
咄嗟に真緒に手を伸ばしたフロイアスを遮えぎるようにフォルスは立ちはだかった。フロイアスにも流石にわかった。カップには何かが混入されていたのだと。
「上々の結果となり お礼を申し上げます」
淡々とした口調ながら 恭しく礼を取り、エイラは徐にフォルスの口に丸薬を押し入れた。
「中和剤です」
信用できないなら吐き出しても結構。そういうと、振り返ることなく部屋を出ていった。吐き出したくても、口の中で瞬時に溶けてしまい残ったのは甘みだけだ。念の為に口を濯ぎ、再びベッドに身をあずけた。
やられた…
まんまと手駒として使われたのだ。
悔しさと怒りに、身が震える。
王家の縁戚の娘という立場のマオ。
あのままフロイアスがマオに手出しをしていたとすれば…、いや、人の目につき噂となれば、フロイアスを廃嫡となったであろう。廃嫡したところでサウザニアの立場はかなり危険な状態となったであろうことは容易に想像できた。
ニックヘルムにとっては、国内の粛清が結果通りなら、サウザニアがどの立場になろうと構わなかったということか…。
ヒルハイト王は 全て承知の上で、この企みを静観したのだろうか。フロイアスを廃嫡として、第三王子を後継に考えたのだろうか…。
━━━ そうはさせない。
フロイアスにはヘルデハーク公爵の娘と婚姻を結ばせ、国内の貴族を掌握してフロイアスの地盤を磐石なものとしなければならない。
フロイアスに恨まれ、憎まれて、生涯許されなくても構わない。自分が主とするのはフロイアスだけだから。
う…ん… 気持ち悪い…
意識が浮上すると、襲ってくる胃が抉られるような吐き気に悩まされる。動くのも辛いが、同じ姿勢も辛く、強くなる眩暈に堪えながら、身体を丸めた。ルーシェが落ちる額の手拭いを直してくれる。時折水に浸し絞り直してくれるのか、冷たい感触が心地よかった。
「辛いだろうけど、これを 飲める?」
ルーシェが真緒の口に何かを押し込んだ。
…あれ?これ、茶会の前に飲んだやつだ…
口腔内に甘さが広がる。 飲み込んで。ルーシェは真緒の口元にグラスを添わせると水を含ませた。反射的に飲み込めば、一段とせり上がった胃が悲鳴を上げる。
嘔吐く真緒の背中を、ルーシェは優しく摩ってくれた。
「直に楽になるわ。だから もう少し眠りましょう」
嘔吐きの落ち着きを見計らって、ベッドに横たえると、掛物の上から優しくトントンと背を叩いた。その規則的なリズムが真緒を眠りに誘う。
なんで こんなことに なったのだろう…
あのお茶に何か 入ってたの?
シェリアナに そこまで疎まれていたの…?
殺したいほど 疎まれるって…
━━━━━ ショックだ な …
目を閉じていても 視界が回る。
考えるのが億劫になり、心地よいリズムに身を委ねて深い闇に身を任せた。
規則的な息遣いが 聞こえ、身動ぎが無くなったことで、真緒が眠りに落ちたことがわかった。ルーシェは背に当てた手を止めて、真緒の前髪をそっとかきあげた。うっすらと汗をかいている額を手拭いで拭うと、絞り直して額に乗せた。
ごめんなさい…マオ。
苦しい思いをするって分かっていたのに…
その寝顔に 心の中で謝罪する。
既に帳の降りた窓の外に視線を移し、立ち上がった。
夏の風は、夜でも熱を含み肌を撫でる。それでも、じわりと汗ばむ肌には心地よかった。
ルーシェは振り返り、真緒の寝顔をもう一度確認する。そして、物陰に感じる気配に視線を向けた。
「…ライル様」
物陰に声を掛ける。影は静かに月明かりの下に現れた。何か言いかけたルーシェを手で制して、ライルは室内に滑り込んだ。
「…ヴィレッツ殿下から 全てきいている」
納得はしていない。
真緒を囮にしたヴィレッツを、それ以上に、この事を結果的に完遂させ、真緒を苦しめた自分を 許せない。
…これが最後だ。
強く唇を噛み締める。
絶対、こんなことをさせない。
マオを護る。
そのために強さと力を手に入れるんだ。
眠る真緒の傍らに腰を下ろして、髪を撫でる。
その姿を見ていたルーシェは無言で頭を下げ、そのまま立ち去った。




