245.茶会
全ての手筈が整った とエイラの報告を受けて、ヴィレッツは口の端を上げた。
国が復興を遂げ 豊かになると共に、悪しき者たちが私服を肥す。そろそろ 粛清の頃合いだ。
ビッチェル派の急先鋒を粛清し、サウザニアに与するもの達を排除した。次は中枢に巣食い、国を私欲の餌食にする者たちの制裁だ。ナルセル王太子の御代に持ち越してはならない。
いつも浮べている美しい微笑みではない。
ヴィレッツは猛禽の目で獲物を捕える、ハンターの顔だった。
「…ライルは よく納得したな…」
ニックヘルムはヴィレッツに対して、苦虫を噛む潰したようなを表情を向けた。
あれは、納得など しないだろう?
ニックヘルムに向けて爽やかな笑みを向けた。
「説明すれば、反対することが目に見えている。事後承諾だ」
…だろうな…
ニックヘルムは溜息をついた。あの堅物の息子が、真緒が危険に晒される、いや、それ以前の問題でフロイアスやシェリアナと接触することを許すわけが無い。
「…彼の姫の安全は守られるのですな?」
ヴィレッツは、勿論だ、と不敵に微笑んだ。
マリダナの力添えを得て、大陸でのエストニルの立ち位置が定まれば、次は国内での安寧を強固にしていく必要がある。
国内を纏めるためには体外的な仮想敵国は必要だが、サウザニアもユラドラも、既にその役割を成し得ない。貴族たちの関心は、国内での権力争いに向いてくるのは必定だ。
ヴィレッツにその意思が無くても、反宰相派は先々王の息子であるヴィレッツを旗印に宰相派との対立姿勢を強めるだろう。
マオとライルの婚姻は、宰相派と反宰相派を結びつける為に重要なものだ。
死亡したと公表されている国王のの娘である真緒を ヴィレッツの縁戚の娘にし、王妃後見の元、宰相の息子であるライルと婚姻を結ばせる。
双方の立場からみて、争う意思がないことを示す必要があるのだ。それが無くても、想い合う二人が結ばれることは喜ばしいことだ。
そして、異世界から独りやってきた真緒に居場所ができること。ヴィレッツはそれが何よりも大切なことだと思っていた。
だから、これは譲れない。
たとえ ライルが反対しようと、これは遂行する。
上手く立ち回っているつもりだろうが 不正の実態は白日のもとに晒されるのだ。私利私欲の塊の筆頭である大物貴族の制裁は、ナルセル王太子の婚約披露に朗報となるだろう。
「…想い合うふたりの仲を裂くようなことはしない。彼の姫とライルの婚姻。その意味は充分わかっているつもりだ」
ヴィレッツはニックヘルムに意思を込めた強い視線を向けた。ニックヘルムも正面から受けて立つ。
「…それならば 宜しいかと存じます。私もふたりの幸せを願っておりますから」
しばらく静かに視線を交え、どちらかはともなく視線を外す。 二人は 再び書類へと視線を落としたのだった。
見事な薔薇が咲き誇る庭園の東屋で、シェリアナは公爵家から連れてきた侍女と共に、真緒の到着を待っていた。エイラはフロイアス殿下をタイミングよく誘導するために、この場には居ない。
企みを含んだお茶は既に用意されており、この後起こるであろう事態への期待にシェリアナの顔には自然と微笑みが浮かんでいた。
ライルからの連絡がないことで、この数日は特にヒステリックに当たり散らすことが多かった主人の 機嫌よい姿に侍女たちはホッと胸をなでおろしていた。この機嫌が崩れないことを願うばかりだった。
約束の時間通りに、真緒はルーシェを伴い庭園を訪れた。
シェリアナの誘いなど、気が進まない。全力でお断りしたかったのに、ヴィレッツは淑女教育の成果を試す良い機会だからと勝手に承諾したのだ。
ライルとの事を知らない訳では無いと思うが、高貴な身分の方の考えることは全く理解できない。東屋を視界に捉えたところで、真緒は盛大に溜息をついて、やっぱりいかないとダメ?とルーシェに視線で訴えた。
「…さぁ お嬢様 、テルロー公爵令嬢がお待ちですよ」
それはそれは 素敵な笑顔でルーシェは応え、真緒の手を取り導いた。
東屋を囲むように色鮮やかな薔薇が咲き誇っており、クリーム色のドレスを纏ったシェリアナを彩っていた。艶やかな薔薇に囲まれた美少女の姿は、一幅の絵のようだった。
…うわぁ… 憎らしいほどに 絵になるなぁ…
たとえ恋敵でも、可愛いものは 可愛い。
小首を傾げ、こちらの様子を伺う姿は、物語の中のお姫様そのものだ。
反則だよ…。こんなに可憐な姫様相手に、悪態もつけない。嫌味のひとつも言ってやりたいが、瞳に涙を浮かべられたら、虐めているようで居た堪れない気持ちになりそうだ。
このお茶会をやり過ごしてさっさと帰ろう、うん。
散々貴族のマナーなるものを叩き込まれたが、お世辞にも優秀な生徒とは言えない。兎に角 ボロが出ないように、動かず 喋らず、微笑むだけだ。
よし!
真緒は腹を括った。
どうせ逃れられないのだ。ライルの婚約者の人となりを知るチャンスだだと思えばいい。
真緒はゆっくりと深く息を吸い込み、下腹に力を入れた。
「マオ。これ」
緊張したときによく効くわよ。
ルーシェが励ますようにマオの口に小さな丸薬を放り込んだ。さあ飲み込んで。凄みのある笑顔を向けられ、思わず飲み込んだ。それは金平糖のように甘いものだった。甘さに満たされ、なんだか落ち着いた気がする! ありがとう、ルーシェ!
真緒が歩みを進めれば、シェリアナが立ち上がった。
「お待ちしておりました、マオ様。楽しみにしておりましたのよ」
さぁ こちらへ。
シェリアナは真緒を東屋に招き入れ、自身の向かいの椅子を勧めた。動く度に栗色の髪が揺れ、微かに甘い香りが漂う。女子力 高いな。これが本物の実力か。
シェリアナ自らお茶を注ぐ姿はあまりに優美で思わず見惚れてしまった。シェリアナの微笑みに思わず頬が熱を帯びた。
どうぞ、お召し上がりになって?
くすっ、と零した笑みと共に勧められたお茶に手を伸ばす。
がっつくのも 如何なものか…
カップにかけた手を止めた。淑女、私は淑女。
シェリアナと視線がかち合う。
何故そんなに必死な視線を送られてるのかしら?
カップにかけた手を離せば、明らかな落胆が瞳に映った。
あれ?
すぐに飲まないと失礼なのかしら?
どうしたものかとカップに手を伸ばし思案していると、シェリアナは自らカップに口をつけた。
「毒など入ってませんわ。それとも疑ってらっしゃるのかしら?」
そこまで言われたら、口にしないのも失礼な気がしてきた。真緒は意を決してカップに口をつけるとひと口含んだ。ミントのよう芳香がなスっと鼻に抜け、喉に残った清涼感が心地よい。
「とても美味しいです」
真緒が素直な感想を口にすれば、シェリアナは安堵したように微笑んだ。
「お口にあって良かったわ」
シェリアナは機嫌が良さそうだった。てっきりライルの話をされるのかと身構えていたが、他愛もない世間話ばかりで、真緒も肩透かしを喰らった感じだった。過度に緊張していたのだろうか、ほっとしたら身体の力が入りにくくなっていた。漂うような軽い浮遊感の中で身体が揺れている感じ。
あれ?
お酒飲んだときみたい。私、酔ってる…?
シェリアナの声が遠くに聞こえる。手元が霞んだり、二重に見えて覚束ない。
やだ、どうしよう。 しっかりしなくちゃ。
必死に手の甲を抓り、意識を呼び戻す。お茶会が終わるまでしっかりしなくちゃ。
目を擦ったり、頬を張ったりはできないから、必死に手の甲を抓り、揺らぐ意識に抗った。
「おや、これは…。ご一緒してもよろしいかな?」
…この声!
真緒は遠のきかける意識と抗いながら、声の主へ緩慢に向き直った。
…フロイアス殿下!




