244.企み
「ライル様からお返事はまだなの!」
公爵邸にヒステリックな声が響く。
宴以降、ライルがシェリアナのもとを 訪れることはない。シェリアナにとって、時折届く定型文のメッセージカードと花だけが、唯一の繋がりだった。
苛立つ心を抑えることができず、シェリアナは手近にあるクッションを床に投げつけ、爪を噛んだ。
ナルセル王太子の婚約披露はもう間近だ。
ライルのエスコートで参加する。
決定事項だと思っていた。しかし、幾度も連絡を取ろうと試みたが、ライルからエスコートに対する返答は得られなかった。
フロイアス殿下に不敬を働いた罪で投獄されたこと、先日放免されたが、謹慎の身であることが理由のようだ、いずれ返事はくるであろう。父であるテルロー公爵はシェリアナにそう告げ 窘めた。
しかし、これではドレスの色も決められない。エスコートの約束がないことが シェリアナを酷く不安にさせた。夜会が迫る中、苛立ちと不安が増してゆく。
「お鎮めください。せっかくの爪が傷んでしまいます」
ほら、美しい唇に傷ができてしまってはいけませんよ。
八つ当たりをおそれ、遠巻きに狼狽えることしか出来ない侍女たちの中で、唯一シェリアナを諌められるのが、 雇われて日は浅いが落ち着いた雰囲気のこの侍女だった。
そっと、シェリアナの手をとりソファへと誘うとその手を優しくタオルで拭った。
さぁ、お手入れを致しましょうね
壁際で怯え控える侍女たちに目配せした。この場を離れられることに、明らかにほっとした様子の侍女たちが、慌ただしく部屋を出て行く。
それを横目に捉えて、シェリアナの背を優しく撫でた。
「シェリアナ様がお気に病むことはございません。ライル様とはサウザニア王から祝福をお受けになった仲ではありませんか、自信をお持ちください」
こんなに美しいシェリアナ様。
ライル様だけでなく、誰もがお嬢様を放っておける訳がありません。
「…エイラ、貴方だけよ、私の気持ちをわかってくれるのは」
エイラの言葉は魔法のように、シェリアナの荒れる心を落ち着かせてゆく。エイラはシェリアナの乱れた髪を直し、用意されたお茶をシェリアナに差し出した。
シェリアナによって エイラ以外は人払いされ、シェリアナは甘えるようにエイラに縋った。
「不安で仕方ないの。ライル様の心は渡りの姫にあるの。死んだなんて嘘。宴で見つめあっていたあの女がきっとそう!」
フロイアスがあの姫を娶れば、ライルは手出しができなくなる。そのフロイアスに動きがなく、そのこともシェリアナを苛立たせていた。
「…もしかしたら…シェリアナ様のお力添えが必要かもしれませんね。フロイアス殿下は他国の方。高貴な身分であっても、他国の姫を好きにできる権限はございません。婚姻以外の道が取れぬよう、シェリアナ様がおふたりの仲をもたれるのが よろしいのでは」
エイラはそっとシェリアナの手に小瓶を乗せた。
「媚薬です」
シェリアナの瞳が一段と開かれた。その瞳がエイラを捉える。エイラはその瞳に近強く頷いた。
「ヴィレッツ殿下の縁戚の姫が、今度の宴のために王宮に滞在しています。その姫は 黒髪黒目 だとか…」
シェリアナの瞳は怒りを含み ぎらり と光放った。
「ナキア様の話し相手として招かれた姫だと 聞いております。シェリアナ様がお近づきになっても、不自然なことではございません」
シェリアナの瞳を捉えたエイラは、囁いた。
「お茶にお誘いしてはいかがかと … 薔薇の庭園など如何でしょう、見頃でございます。そこの東屋を利用されては?」
━━━ そこは フロイアス殿下の滞在されている場所にも近いですわ。
偶然|、殿下とその姫がお会いになる。おふたりの間に何かが起これば、いえ、そう周囲の者に思わせれば、それは既成事実ですわ。
シェリアナの耳元に為される吐息のような囁きは、甘美で心躍る誘惑だった。
「…そうね…、それは素敵な考えだわ…」
惚け、うわ言のように呟く。そうなれば、渡りの姫は殿下のもの。ライル様は諦めるしかないのだ。
シェリアナの惚けた様子に、エイラは更に囁いた。
「これを その姫のお茶に。彼の姫の誘惑なら、殿下は部屋へ伴われる筈。…あとは、殿下におまかせすれば良いのです」
シェリアナ様が何かする必要はございません。
ことは自然と成就するでしょう。
シェリアナの手に小瓶を握らせ、エイラは両手で包み込んだ。そしてぎゅっと押さえ込んだ。
「シェリアナ様の幸せを願っております。その笑顔が曇ることの無いよう お手伝いさせていただきます」
エイラは真っ直ぐにシェリアに視線を合わせ妖艶に微笑んだ。その瞳に魅入られたように、シェリアナは恍惚とした表情を浮かべ、頷く。
「わかったわ…。お父様にお願いして、フロイアス殿下が東屋へおいでになるように致しましょう。そう、偶然のことは どうしようもないですわね」
夢見るように恍惚とした表情の中、妄想に耽るシェリアナの傍をそっと離れる。エイラは扉に手を掛け、そっと振り返り、その背中に冷ややかな視線を向けた。
精々 都合のいい夢を見ていれば いい。
視線を戻すと、振り返ることなく 部屋を後にした。




