240.策略
いい加減目を覚まして貰わねばなるまい ━━━━━
ヒルハイトに呼ばれ、王太子としての資質にまで言及されたのにだ。
そんなことはどうでもいい。
フロイアスは意に介さなかった。
他国で失態を重ね 叱咤されることよりも、
王太子としての資質を問われることよりも、
フロイアスの関心はあの女にあった。
フロイアスの行動が常軌を逸していく中、フォルスは焦っていた。
自ら手を下し、マオを葬る
そう決意してチャンスを伺っていたフォルスにもたらされたのは、真緒がダンの店に戻されるという情報だった。
どうやら王宮に滞在することになるマリダナ国王夫妻の警護のため、梟を集中させるようだ。手薄になる真緒の警護をあの店で補うつもりなのだろう。
街道沿いの安宿の二階の部屋から、フォルスは独り その機会を伺っていた。王都へ続く石畳を見つめる。
夕暮れどきの石畳の道は鮮やかな茜に染まり、まるでレッドカーペットのようだ。
そう、非業の死を遂げる姫に相応しい。
フォルスは口の端を上げた。
行き交う馬車も疎らな茜の石畳を、前後左右を騎馬に囲まれた馬車が王都へと向かっていた。
馬車の右隣を併走するライルは、カーテンの隙間からマオの姿を確認した。差し込む夕陽に頬が色付いておる。居眠りしているのだろうか、馬車の揺れに合わせて身体が揺らいでいる。船を漕ぐ姿は無防備で、壁に頭をぶつけ、寝ぼけ眼で辺りを見回す姿に思わず笑がこぼれた。
そんな真緒の身体が大きく前に傾ぐのと同時に、馬車を引く馬の嘶きが響いた。
「何事だ!」
急停車した馬車の中で真緒が座り直す姿を視界の隅で確認しつつ、前方に叫ぶ。
脱輪した馬車の御者が助けを求めて走り出てきたのだ。自身は馬車から離れず、護衛の騎士に指示を出した。
「何かあったの?」
真緒が心配顔で馬車から覗く。心配しなくていい、そう返したが薄暗くなってきた外を覗き込んでいた。
様子を見に行った騎士が戻ってきて、ライルに報告する。車軸が折れているようで、走行は難しい。怪我人はなく、乗っていた老夫婦は近くの民家で保護していること。その老夫婦の名を聞いて、ライルは難しい表情になった。
「…それは、ご挨拶に伺わない訳にはいかないか…」
王権争いのとき マージオに味方した貴族で、ニックヘルムも懇意にしている大公である。
「…マオ、暗くなる前にダンのところまで行くんだ。オレは後から必ず行く」
そう手短に言うと、御者にこのまま進むように伝え、護衛騎士をつけて出立させた。
いつもなら 心配して離れないのに…
こんなあっさり離れるなんて…。ライルの行動に違和感を覚えながら、遠ざかるライルの姿を窓越しに見つめた。余程大切な人なのだろう。そう自分を納得させる。きっと、薄暗さが不安にさせるんだよね。ほら、外国の映画にあったじゃん。トワイライトゾーンとかいうんだよね、昼でも夜でもない 曖昧な時間。何かが起こりこうな ちょっとホラーな時間帯のこと。
車窓から見える地平線には茜と闇に落ちた空とのグラデーションが描かれていた。
大きく深呼吸をして、下腹に力を入れた。
自分で想像して怖くなってどうする!
気合を入れて自分の両頬を叩けば、目を剥いた護衛騎士と目があった。
そんな驚いた顔しないでください…
ちょっと恥ずかしくなって 俯いて誤魔化した。
突然の衝撃に、真緒は床に投げ出された。
「なっ、なに?」
お尻を擦り慌てて立ち上がる。既に夜の帳が降りた木立の中では闇より暗い黒い影が蠢く姿しか分からない。しかし、何が起きたのかは判る。響く剣戟の音が、襲撃を告げていた。
「出ないでください!」
護衛騎士の声だ。
その声に、ドアノブにかけていた手を反射的に引っ込めた。そうだよね、出ちゃダメだ。自分の身一つ守れない。頭を抱えて身体を丸めて床に伏せる、闘いの様子が衝撃となって小刻みに馬車を揺らし、真緒の身体に伝わってくる。衝撃が伝わる度に恐怖が波のように打ち寄せる。悲鳴を必死で噛み殺し、ただ納まることを待つしかできなかった。
扉の開く音と共に生ぬるい風が吹き込む。
鉄の臭いを含んだそれに、真緒の胃がせり上がる。思わず顔をあげれば、ギラリ、と光る双眸とぶつかった。
「…あなたは…」
喘ぐように呟く。真緒はその男をみつめた。
「覚えていただけてたようで光栄だよ」
言葉と共に外へ引き擦り出され、真緒の身体は地面に叩きつけられた。背中に受けた衝撃に息ができない。逃げたいのに身体が動かない。
抜きみの剣が、雲隠れの月の光に怪しく煌めいた。
あぁ、綺麗だな…
こんな場面なのに、ふと 思ってしまった。
…死ぬ直前って こんななのかな。
走馬灯のように駆け抜ける記憶…ないな。
雲から抜けた月がその男の横顔を照らした。
「…名前…なんだっけ?」
顔は判る。名前は…聞いた気もするけど、忘れた。
殺される、こんな場面で口から出たセリフがこれか。
現実逃避にも程がある。
リアルな現実を認めたくないのかな。
こういうときって、泣き叫ぶのかな?
助けて、とか、殺さないで、とか。
妙に凪いだ思考に、自身で呆れていると目の前の男は口を開いた。
「知ってどうする?変わった女だな…」
どうでもいいことだ、フォルスは吐き捨てるように言うと、迷いなく剣を振りかぶった。
「お前は 要らない」
シュッ、空気を切る音が真緒の耳に残った。
痛みに耐えるように強く目を瞑る。無意識に念仏を唱えていた。
んんん?
静寂を裂く低い唸り声と足音が、真緒を現実に引き戻した。
襲ってこない痛みに、薄目をあけてそっと見上げれば、綺麗な夜空が視界に飛び込んできた。
何が起こったのか…
呆けた思考を叱咤し、しっかりと目を開けて現実と向き合う。月光に照らされて立つその姿に目が奪われる。
「…ライル…」
なぜ ここに…?続く言葉は、別の口から語られた。
「…なぜ、お前がここにいる?」
フォルスはライルの向ける剣の先に居た。苦しげな声が、言葉を紡ぐ。
「説明の必要があるのか?」
感情のない低い声で言い放つと、フォルスを強く拘束した。
「取引しようじゃないか」
ライルの発した言葉に、フォルスは茫然と見返した。
その言葉の真意を探る、というよりも何を言われているのか理解できない、そんな表情だった。




