237.密約
ユラドラと国境を接するマリダナ。
海洋を挟み、サウザニアと面する大国である。
マリダナ国王・ヤーデンリュードは賢王として名高く、海軍は列強国の中でも抜きん出ていた。サウザニアから王妃を迎え、安定した治世を築いており、列強国の中でも一目置かれる存在であった。
その賢王の妃・ステリアーナは、ヒルハイト、アルマリアの実妹である。
アルマリアとは互いに嫁いだあともやり取りが途絶えることはなく、そのため、ビッチェルの留学という名の幽閉先となったくらいだ。
先日、ナルセルの婚約が公示された。
山神の使いの娘を迎える。
ユラドラの政情不安を理由に、成人の儀には使者を送っただけであったが、ユラドラの事実的後見となり山神の使いを味方につけたエストニルはマリダナにとって充分脅威となる相手だった。
自ら赴くことで、エストニルの状況の把握と、国同士の繋がりを強化したいところだ。
サウザニア王が王太子指名挨拶を口実に、既に滞在している。
王位簒奪争いで荒れた国の復興を支援し、王妃の母国という立場を利用して、鉱物資源を優位に得て軍事力の強化を図るサウザニアは、マリダナにとっても警戒する相手だ。エストニルとこれ以上の結びつきを許せば、脅威となる。
そんな思惑を秘めてエストニルに向かうヤーデンリュードは、夜霧立ち込める天然の砦と評されるマリダナ国境沿いにある城に、ステリアーナを伴い逗留していた。
今夜は秘密裏に使者がくる。
ヤーデンリュードは深く背もたれに身を預け目を瞑った。
━━ エストニルからの使者。
こちらから繋ぎを持ちたいと考えていた。それを向こうから接触を図ってくるとは。その意図が気になる。
王と王太子・アルタスの確執を突いて、ユラドラの古参貴族と手を組み、王位から遠かった第3王子ヨルハルを王にした男、ニックヘルム。
相手はあの宰相だ。気を抜くことはできない。
大きく息を吐き、拳を握る。
掌の湿った感覚に 自身で驚いた。思った以上に緊張しているようだ。思わず自嘲の笑みか漏れる。
もう一度 大きく息を吐いて呼吸を整えれば、使者の到着を告げる報が届いた。
使者の男は、非の打ち所のない礼を取り目の前に控えていた。
『エストニル・宰相の息子 テリアス』
男はそう名乗った。柔らかな微笑みを口許に浮かべているが、その視線は感情が読めず見透かされているようで 心がざわめく。幾多の王と渡り合ってきたが、油断ならない相手だと、本能が警鐘を鳴らす。腹に力を入れ、視線を向けた。
非公式な場である、腹を割って話したい。
ヤーデンリュードはそう告げて 対面に座るように促した。
「エストニル国王からの親書です」
手渡された書簡に目を通す。その間もテリアスの様子を伺うが、王である自分を前にしても 悠然と構える様に 感嘆する。
これがあの名高い宰相の後継か…。
「エストニルはマリダナと力強い関係となることを望んでいます。ユラドラがヨルハル王の元、安定した国となる日はそう遠い話ではない。そう、エストニルのように。我々は復興へのノウハウを持っております」
ユラドラの復興にはエストニルが支援をし、両国は同盟関係にあるのだと示した。
「━━ 我々もそろそろ親離れの時期なのです。親の庇護から、あるべき関係へと修正したい。ヤーデンリュード王にその力添えを。我が王はそう願っております。…互いに、良い関係が結べると思いませんか?」
列強国の中でもエストニルの評価は高い。鉱物資源も魅力的だ。
その国の手を取ることに、異議はない。
だが、話がうますぎるのだ。
「━━ サウザニアからの盾となれ、と」
ヤーデンリュードはテリアスを見据えた。テリアスは臆することなくその視線に真っ直ぐ視線を合わせた。
「我々が望むのは、安寧秩序です。
ご存知の通り我が国は目覚しい復興、発展を遂げました。しかし、国力はこれ以上のものは難しい。領土を広げるための戦争も、それを維持することも難しい。
サウザニアからだけではなく、列強国と呼ばれる諸国と交渉する後ろ盾となっていただきたいのです。
ユラドラ、山神の使い、そして我が国が手を組むことで、この大陸の勢力図は変化した。
更にマリダナと関係を築くことで、その地位を確固たるものにし、不可侵の条件を整えたいのです」
テリアスは胸元から、もう一通書簡を取り出した。
ユラドラ王・ヨルハルからの親書だ。
それに目を通すヤーデンリュードにテリアスの言葉が追い打ちをかける。
「ユラドラ王が手を取りたい相手も、賢王と名高いマリダナ王です。━━━ それとも、サウザニアが力を得ることをお望みですか?」
ヤーデンリュードはゆっくりとした手つきで書簡を畳むと 閉眼した。
長い沈黙のあと、ヤーデンリュードは目を開きテリアスを見据えた。
「わかった。エストニルの後ろ盾、引き受けよう。その交渉のテーブルにつくことを約束する」
テリアスは立ち上がり、膝をついて深々と礼を取った。そして、恐れながら と言葉を続けた。
「…もうひとつ、力添え願いたいことがございます。 婚姻に、口添えをいただきたいのです」
意外な申し出に、ヤーデンリュードは眉をひそめ続きを促した。
「…詳しくは王妃様からお話させていただきたい」
決してマリダナの不利益になることはございません。深々と礼を取り、この話をこれ以上するつもりがないと言外に示した。
まぁ、いい。
ヤーデンリュードはユラドラ王・ヨルハルとの密談をこの旅程中に希望し、テリアスは既に手筈は整っております、と口の端を上げた。
根回しの良い事だ…。
エストニルは良い駒を揃えている。次期国王となるナルセルの治世も安泰であろう。
ヤーデンリュードが再び瞑したのを終わりの合図とみなしたテリアスは、来た時と同じように静かに退出していった。
人払いされた室内には、帳の降りた闇夜の静寂に満たされていた。背もたれの軋む音が、その存在を示すのみ。
ヤーデンリュードは、この先に待ち受けるサウザニアとエストニルの攻防に思いを馳せ、マリダナが優位にたつにはどう動くべきか思考に耽るのだった。




