236.決意
━━━ ライルじゃない
やだ私、何を期待していたの?
「大丈夫か?良かった、間に合った…」
安堵するその声色に嘘は感じない。それでも真緒が求めていた腕は これじゃない。
強く胸板を押せば、容易に身体は離れた。
「顔をみせて…」
その手は真緒の両頬に添えられて、掠れ声は震えていた。フロイアスはそっと慈しむように、頬に指を滑らせた。
「た、助けてくれて ありがとう」
熱を帯びた視線に、狼狽える。それでもお礼の言葉を口にすれば、フロイアスは微笑んだ。
「やっと…、やっとだ…」
それはフロイアスの吐息と共に漏れた。
「私と共にあれば、こんな思いはさせない」
その存在を確かめるように 強引に胸元に抱き寄せた。
「フロイアス様!ひとりで行かれては危ないと…!」
追いついたフォルスは、フロイアスの腕の中に在る人物に釘付けになった。
剣を片手に駆けてきたフォルスの言葉が止まった。
真緒の居所を突き止めて向かった先は、王都の外れにある木立の中にある作業小屋だった。
小屋を囲むように配置された兵とすぐに交戦状態となったが、小屋から火の手が上がると、フロイアスは眼前の敵よりも 燃え盛る炎に向かって駆け出したのだ。
手応えのある相手と交戦中であったフォルスは、すぐにフロイアスの後を追えず、苛立ちと焦りの中 追いかけてきたのだ。炎に飛び込む姿に肝が冷えた。
(━━ やはり この女はフロイアス様にとって害になる)
フォルスはフロイアスの腕の中にあるマオに射殺すような視線を向け、心にある疑念を確信に変えた。
「フロイアス様、早くこちらへ」
勢いを増す炎は風に煽られ火の粉が舞う。フォルスはフロイアスの腕を引いた。身を攀じり腕から逃れた真緒を逃すまいと、フロイアスは強引に引き寄せようとした。
そのとき、真緒は背後に熱風を感じ 振り返った。
不気味な音を立てながら炎の塊が迫ってくる。
(━━ 崩れる!)
真緒は咄嗟に フロイアスの胸を強く押した。
「危ないっ!」
フォルスが腕を引くのと真緒が押したタイミングが相乗効果を生み、フロイアスの身体は大きく飛んだ。
フォルスごと地を転がる。爆ぜる勢いから護るようにフォルスはフロイアスに覆い被さった。
フロイアスの衣服も所々に火の粉を浴び、動きに合わせて焦げた匂いが漂う。
「殿下、怪我はっ!」
フォルスがフロイアスの身体を確認しようと身体を離した瞬間に、その手を跳ね除けるようにしてフロイアスは起き上がった。
「離せっ!」
崩れ落ちた炎の塊に向かおうとするフロイアスの腰にタックルして引き倒した。
「なりません!」
なおも暴れるフロイアスをフォルスは絞め落とした。
力なく崩れた身体を安全な場所まで引き摺ると、撤退の指示を出した。
冗談じゃない。
王となる身を、あんな女のために簡単に危険に晒すとは。 フォルスの心が決まった瞬間だった。
崩れた壁は真緒を襲った。
熱風に包まれて、身体は地に崩れる。柱の石が妨げとなり 直撃は避けられたものの、周囲は炎に包まれ、チリチリと肌を焼く。熱せられた空気は熱を帯びて苦しく、無意識に喉を掻きむしった。
(…さすがに もうダメ…かな… 会いたかったな…)
ライルの笑顔を思い出したいのに、脳裏に描くことができない。 残念だな…
真緒の意識は次第に遠のいていった。
火の粉を払いながら濡れたマントを被ったエイラが真緒にたどり着いたのは、意識が落ちた直後だった。
「マオ、しっかりして!」
呼吸を確認し、身体を揺する。濡れたマントで真緒を包むと、続いて現れたエイドルに真緒を託した。
全てを焼き尽くすまで勢いを弱めることの無い炎が、仁王立ちするダンを照らす。騎士団によって拘束されたのは、とある貴族の私兵だった。その中には影と呼ばれる暗部の者も含まれていた。
(ついに 父親も本腰を入れたか…)
捕らえた暗部の者に見覚えのある顔がいた。テルロー公爵の護衛を務め、王宮に出入りする者だ。
護送用の荷馬車に放り込まれる様を睨みつけ、背後に現れたエイドルとエイラの言葉を待った。
「マオを救出しました。気を失っていますが 大きな怪我はないようです」
エイラの言葉にダンはギロリと鋭い視線で一瞥した。
「…言い訳は後だ」
エイラもその視線に 諾 の意を込めて視線を返した。
力及ばず 真緒を危険に晒した事実に、エイラは自分を許せないでいた。ダンも思いは同じである。
「あれらは?」
「崩壊から逃れたようです。馬車が走り去るのを確認しています」
ダンはエイラにいくつかの指示を出し、その姿を見送った。
「エイドル、宰相家の別邸に運べ」
感情を排した声色で告げると、背を向けた。
放たれた殺気にエイドルの身体が震えた。
エイラの報告を受け、騎士団を連れて木立の作業小屋へ向かえば、既にフロイアスの兵がテルロー公爵の私兵と刃を交えていた。エイラも闘いの中で刃を振るい、小屋に兵が近付かないように防いでいた。
たとえ格下の相手でも、多人数の有利さは侮れない。放たれた火矢によって 炎が上がると、夜風に煽られて炎は一気に拡がったのだ。
エイドルも応戦の中で、激しさを増す炎を止める手段を持たなかった。
炎の中にマオが居る。
その事実が焦りを生み、剣筋を鈍らせたのだ。
己の未熟さが 憎らしかった。
叱責され、責められたらどんなに救われることか!
それすらも与えられないことが、辛かった。
腕の中で、真緒が苦しげに藻掻く。キュウと小さく喉が鳴る。
エイドルは父の背から視線を移し、真緒を抱き締めた。早く医師にみせなければ。
己のちっぽけな矜恃よりも、今はマオの苦痛を取ってやりたい。
そっと抱き直し、馬車へと向かった。




