235.監禁
カビ臭さが鼻を突く。
その香りにむせ込むが、猿轡が邪魔をして上手く息ができない。転がされた床で身悶えれば、月明かりに埃が舞って煌めいて降り注いだ。遠目にみたら綺麗かもしれないが、煌めきの正体が埃なんて 興醒めだ。
どれくらい眠っていたのだろう。
月の位置はかなり高い。ということは夜もだいぶ更けているといことだ。
ヤバい。
自分が居ないことに、もうダンは気付いているだろうか。
気付かれないうちにこっそり戻りたかったが、時すでに遅し。せめて、自主的に帰って心象を良くしたいところだが、誰に襲われて ここが何処なのかが、全く分からない。
噎せが落ち着くように、鼻で大きく息を吐き出す。埃を吸い込まないように身体を起こすと、壁に背を預けた。
石造りの柱と床はひんやりとしていて、風のない蒸し暑く感じる夜には有難い。そして縄を切るのにも丁度良かった。背中に石の出っ張りが当たるように移動する。そして後ろ手に縛っている縄を、無心で擦り付けた。
地味に痛い。そして、擦れる摩擦で熱いのだ。
前にもやったなぁ、これ。
洞窟みたいなところで アルタスに捕まったときだ。あのときは、スプレー缶が爆発して助かったけど、今日は何も持ってない。
やはりヒロインじゃないと、助っ人だけでなくアイテムも無しか…。
神様は手厳しい、つくづく思う。
思考を明後日に飛ばしながら 痛みと熱さに耐えた甲斐があって、比較的スムーズに縄は切れた。猿轡を外し立ち上がると、まずはストレッチで身体を解した。
さて、ここはどこでしょう。
異世界あるある のこのセリフ、何度言えばいいのだろうか。答えが返ってくることのないこのセリフの答えを求めて、窓から外をみた。はい、解りません。
森の中という程では無い。
まばらな木立の中にこの家はあるようだった。
月明かりに目が慣れてきたら、部屋の様子もわかってきた。家具が殆どない室内は生活の営みが感じられない。簡単な家具に、簡素な寝台がひとつ。
入口と思われる扉の近くには、使い道の分からない道具が無造作に置かれていた。
作業小屋か何かなのかな。
近づいて触れてみる。錆びたそれは、鎌のようなものや、火かき棒のようなものなど様々だった。
何かのときに武器になるかな…
重さも長さもバールに似ているその棒をひとつ手に取り、扉の向こうの人の気配を探る。
あれ、誰もいない?
こんなのは初めてだ。まぁ、逃げるのには都合がいいけど。
扉はしっかり鍵がかかっていて開かない。
まぁ、そうだよね。そんな上手い話はない。
大きく息を吐いて、壁伝いに室内を一周する。狭い室内はあっという間に一周できた。出入口は玄関にあたる扉と、月明かりの差し込む窓くらいしか無かった。
窓を割るか、扉を壊すか…
逃げ道は二択だね。
助け出してくれる白馬の王子様なんて 期待していない。流石に何回も修羅場をくぐり抜ければ、現実ってものがわかるようになる。
自嘲すれば ふっ、と脳裏にライルのことがよぎった。
━━ ないない
大きく頭を振って、脳裏からライルを振り払った。
期待しちゃ 駄目。
ライルはあの可愛い人と 今頃 仲良くやってるよ。
私が生命を狙われているのも本当の事だろうけど、案外、結婚まで私が邪魔をしないようにダンの店に監禁されているのかもしれない。
たとえ そうだったとしても。
酒の勢いで、売り言葉に買い言葉での喧嘩別れのままは嫌だ。
ちゃんと 話がしたい。
ライルの口から ちゃんとききたい。
元の世界に戻れないなら、この世界で生きていかなくちゃいけない。自分がどうやって暮らしていくのか 考えないと。
ライルのいない人生か…
気付けば 歩む足は止まり、探る腕は力なく垂れていた。
あぁ、私、思ってた以上に堪えてるな…
頬を伝う生暖かいものが、真緒を慰めてくれる。
そういば 泣く行為はメンタル安定に欠かせないんだってネットにあったな。
どれくらいの涙を流したら、
私は ライルの幸せを心から願えるだろう
ライルのいない自分の人生を 考えられるだろう
誰もいないのをいいことに、月明かりの下 流れる涙と向かい合う。静かな時間が 真緒を優し包み込んでくれた。
そんな静寂を破ったのは、荒々しい蹄の音だった。
そっと窓から覗き込めば、木立の奥に見える灯りが大きくなってきた。近づいてくる!
慌てて壁際に身を寄せて後ろ手に縛られているフリをする。床に横になると目をつぶった。
でもさ、熊に出会っても死んだフリはダメだって言ってなかったけ? 熊じゃなくて 誘拐犯か。
でも、今は動いたら不味いよね。寝たフリ?するしかないよね…。
焦る気持ちを唇を噛み締めて堪える。
そとの騒がしさが増した。
扉が開く気配はなく、中に入ってくるつもりは無いようだ
神様、さっきは手厳しいとか言ってすみません。
神様は とっても優しいです。
信じてます!だから あの人たちを さっさと追い返してください!
目を強く瞑り、心から願った。
外の騒がしさが、剣戟の音に変わったのだ。
助けがきたの?
期待に喜んだのはほんの一瞬で、燃える扉を前にその気持ちは霧散した。 扉に火矢が放たれたのだ。
床と柱は石造りだが、扉や壁は木造だ。
瞬く間に 炎は壁から天井へと駆け登り、燃える炎は妖しく室内を照らした。
逃げなきゃ…!
震える足で立ち上がり窓へ向かうが、炎に阻まれて近づくことができない。室内を炎と煙が競り合い、業火となって真緒に迫ってきた。
こんなところで 死にたくない!
真緒の中に闘志にも似た強い感情が芽生えた。
生き抜いてやる!
そう思うと自然と力が湧いてくる。姿勢を低くして、羽目板の壁の隙間にバーベルもどきを力一杯差し込んだ。そして、壁に足を掛け 突き刺したバーベルもどきを力を入れて押し倒した。いわゆる てこの原理 である。
鈍い音を立てながら、羽目板の壁に亀裂が入る。更にバーベルもどきを押し込んで何度か繰り返せば、何とか抜けられそうなくらいの避難口ができあがった。
真緒は躊躇うことなく、開いた穴に身体を入れた。
悲しいかな、胸でなく お尻で引っかかった。
舌打ちする暇も、気持ちの余裕もなかった
スカートが引っかかり、上手く抜け出せない。
木が燃えて爆ぜる音が近づいているのを感じ、真緒は諦めまいとスカートを破こうと手をかけた。
生命が大切。乙女の恥じらいは二の次だ。
「マオ!」
抱きしめらるのと同時に、身体が引き摺り出された。
炎に照らされる金髪が視界を掠めた。
助けられて嬉しいはずなのに、ガッカリしてる。そんな自分に気づいて、驚いた。
━━━ ライルじゃない
やだ私、何を期待していたの?




