231.懺悔
何かに取り憑かれたように、皿を洗い、野菜の皮を剥く。その姿は鬼気迫るものがあった。
エイドルの予想していた通り、真緒は働かせて欲しいと詰め寄った。ダンは厨房だけだ、フロアに出るなよ、とあっさり許可した。説得は時間の無駄だと思っているようだった。厨房なら真緒がひとりになることは無い。部屋は離れているから、店に居てくれるのは護りやすさの面からも好都合だった。
しかし、何かから逃れるように仕事に没頭しようとするからタチが悪い。
エイラもどう接していいのか戸惑っているようだった。
「おい、何なんだよお前。なにかやらかしたのか?」
ん?
真緒の手が止まった。ちょっと 待て。
「…ねぇ、そこはさ、何かあったのか、じゃないの?なんでやらかした前提なのよ!」
エイドルはニヤニヤと笑いながら、真緒の手に新しい芋を載せた。
「だって お前、酒癖悪いだろ?」
夜会で何かやらかして 王宮追い出されたんじゃないの?からかい半分でエイドルが茶化す。
エイドルだってここに匿っている本当の理由くらいは知っている。
「まぁ…ハズレではないけど…」
言葉は尻すぼみで よく聞こえなかった。真緒の手は完全に止まり、芋が桶に転がり落ちた。
思ったような反撃がこなくて、エイドルの方が面くらった。
そんな深刻なことなのか?
俺でよければ 聞くぞ?
誰に何をやった?
少し焦ったようなエイドルの口調に真緒が吹き出した。
本当に良い奴だね、あんたは。
ふたりして手が止まっていた。物を取りに来たダンに注意され、再び 黙々と手を動かす。
ダンがフロアに戻り、厨房に二人きりになると、エイドルが口を開いた。
「本当にどうしたんだよ?」
ここに来て元気が無いのは二日酔いのせいだと思っていた。しばらくすればいつも通り、よく食べ、よく笑う。でも それは作られたものにみえる。作業の間で見せる心ここに在らずの表情とため息が、今の本当の真緒に思えた。
「う…ん」
言い出しにくいのか口が重い真緒に代わり、エイドルが口にした。
「ライル様と喧嘩したか?」
真緒の身体がビクンと震えたのがわかった。図星か。
誤魔化すように手を動かしているが、手元を見ていないのか、実を削っていることにも気づかない。もはや皮むきではない。新しい芋と交換してやる。
「売り言葉に買い言葉、ってやつ? 酔っ払っていたのもあって … 言い過ぎたというか…」
真緒らしくないハッキリとしない喋りに、横顔を見れば、憂いを帯びた女の表情だった。
ドキン、胸が強く打った。
見たことのない 大人の女性の表情。
エイドルの手も止まった。
こんな表情をさせるライルが 羨ましい。
それが 自分でないことが 悔しい。
また胸が強く打った。
「…で、何言っちゃったのさ?」
覚えてるんだろ、だから落ち込んでるんだろ?
エイドルが尋ねれば、真緒は深いため息を漏らした。
「…大嫌いって…、消えちゃえって…」
…はい?
なんだ その可愛い口喧嘩は。
エイドルの手から芋が落ちそうになり、我に返る。
心配して損した。何なんだよ、その口喧嘩は。呆れていることが伝わったのか、マオは頬をふくらませて反論した。
「だって あのライルにだよ?エイドルにじゃないんだよ?馬鹿とか、あっちにいけ、とか…」
自分で言って 再び落ち込んだ真緒になんでそんな会話になっなのか、きっかけをきいてみる。
それはエイドルに衝撃を与えるのに十分だった。
「…ライル…婚約するの…。可愛いひと。本当のお姫さま」
え…
真緒の言葉が脳内で繰り返され、会話が入ってこない。
ライル様が婚約…? マオ以外の女性と…?
「隣の国の王様が 、 お似合いの二人だ って祝福して。ライルは王子様みたいにエスコートして…。幸せそうに寄り添って…。ダンスして…」
私にはできないよ、乾いた笑いを浮かべながら真緒は手元の芋を握りしめた。
「それでね、お酒の勢いでいっちゃったの。
━━━ あのひととお幸せにって」
ライルは高位貴族なんだよ。婚姻に関して、隣の国の王様が口添えするほどの。
笑っちゃうよね…
そんな人と、上手くいくと思っていた自分がおめでたいわ。自虐的な言葉に自身で傷ついているようにみえた。
サウザニアの王太子に狙われているから、ここで匿うのだと、父さんは言っていた。連れ去るか、無理に婚姻を結ぶ可能性があるからだと。
ライル様の婚約については、何も教えてくれなかった。それは、オレのマオへの気持ちを知っていたから…?
確かに 悪魔が囁いた。 心に悦びが湧いた。
もし、ライル様がほかの女性と婚姻を結ぶなら…?
自分は この気持ちに向き合ってもいいのではないか?
… いや 駄目だ。
目の前のマオは、力なく膝に顔を埋めている。肩が震えているのは、泣いているのだろうか。
マオの隣で 支えるのはライル様だ。
想い合うふたりの姿を、これまで何度も見せつけられてきたじゃないか。マオが求める相手はオレじゃない。
真緒の肩に手を置き、背を撫でる。
その華奢な身体を抱き締めたい、そんな衝動に駆られる。
ふと視線を感じて視線を向ければ、入口に腕組みして立つエイラと目が合った。エイドルはその視線に、後暗いことは何もない、とばかりに応えた。
エイラの存在に気づいた真緒が、顔を洗ってくる!と洗面台へと向かった。
「外の害虫駆除してたんだけど…、中も必要なのかしら?」
エイラも視線を外さず、エイドルに鋭い視線を送る。
「…ライル様が婚約って 本当ですか?」
エイドルの問いには答えず、エイラは真緒の後ろ姿を見送った。
「その気持ちにケジメが着いている、そうよね?」
釘を刺すつもりだったのだろうか。エイドルの返答は求めてないのか、エイラはそのまま真緒の後を追って奥に消えた。
決着は着いている。
ただ、傍で慰め、支えてやるくらいは許されるのだはないか。
自己弁護しながら、ひとり皮むきを再開する。
「エイドル」
名前を呼ばれ振り返れば、父だった。
「剥けたら、酒を頼む」
何か言おうとして、口を噤む。そんな様子を見せたダンが結局口にしたのは、仕事の話だった。




