230.シェリアナの闇
ヒステリックな声が扉を抜けて廊下に響き渡る。扉を守る騎士たちも顔を見合わせた。
この数日、この部屋の主は日に何度も発作のように金切り声を上げる。ときにはそれに何かが割れる音や悲鳴が混じることもあった。
「何故 ライルさまはお見えにならないの!お前たち、ちゃんとお伝えしたのでしょうね!」
シェリアナの前で怯え跪く侍女たちが哀れだ。口答えなど以ての外だ。ただひたすら怒りが収まるのを待つだけだ。
「お見舞いの花だけで、カードも無い。ライル様はなぜいらしてくれないの!」
今日はやたらと長いな…。ガラスの割れる音までする。侍女たちに怪我が無ければいいが。
騎士たちは同情の視線を扉に向けた。許可無く立ち入ることはできない自分たちがもどかしい。しかし 立ち入ったところで、シェリアナを抑えることはできない。精々侍女たちの盾になることくらいだ。
早く収まることを祈るばかりだ。
「なんの騒ぎだ?」
そんな修羅場の最中に、テルロー公爵は現れた。
テルロー公爵はヒルハイトの滞在中の世話係として王宮に詰めていることが多い。久々に屋敷に戻ってみればこの騒ぎである。何事だ?
愛娘の部屋から聞こえる唯ならぬ声に眉を潜めた。
この数日のことについて報告を受けると、テルローは大きくため息をつき、ついてこい、と騎士に命じた。
開け放たれた扉の内は惨状だった。
破かれたクッションからは羽が舞散り、天蓋のカーテンはだらしなく垂れ下がっていた。花瓶は壁際で粉々となり見る影もなかった。
侍女の中には血を流している者もおり、怯え泣く姿があった。
その原因であるシェリアナは、肩をいからせ、息を荒らげて髪を振り乱して仁王立ちしていた。
見事な栗色の巻き毛は乱れ、まるでメデューサのように広がり、愛くるしい瞳は般若のように吊り上がっていた。
愛娘の異様な姿に、テルローも言葉を失い立ち尽くした。
気でも狂ったのか?
かける言葉を失い、その姿を呆然とみつめた。そんなテルローの存在に気付いたシェリアナは 鋭い視線でテルローをひと睨みしたが、はっ としたようにその動きを止めてその場に崩れ落ちた。
「お…お父…さま…、わた…わたくし…」
憑き物が取れたように 瞳に涙を浮かべる姿は、可憐で儚げな少女だった。
細い肩を震わせ、両手で顔を覆い声を殺して泣く姿は庇護欲を誘う。ここまでの経緯を知らなければ、襲われた直後だと勘違いしそうだった。
テルローもまた、自身の知る愛娘の姿にほっと胸をなで下ろし 抱き締めた。
「怪我はないか?」
優しく背を摩り尋ねれば、コクンと小さな頷きが返ってきた。
とりあえず落ち着いて話しをか聞かなければ。
テルローは怪我人の手当と片付けを指示すると、愛娘を執務室へと連れ出したのだった。
「一体 何があったというのだ」
テルローはできるだけ刺激しないよう、優しく問いかけた。シェリアナは泣き腫らした赤い目を父親に向け訴えた。
「ライル様はなぜ会いに来てくださらないのですか?サウザニア王からも祝福された仲なのですよ!」
サウザニア王歓迎の夜会からは、見舞いの花が届けられるだけ。そのことに苛立ち騒ぎを起こしたようだった。
「シェリアナ、よく聞きなさい。ライル殿はフロイアス殿下への不敬を問われ、投獄されている。だからお前に会いに来るのは無理だ」
「投獄!?」
なんてこと…! 口元に手を当て目を見開く様は 小動物を連想させる。なんとも愛らしい仕草だった。
「今はヴィレッツ殿下の預りになっている。サウザニア王滞在中は表にでることは難しいだろう」
「なぜ…、なぜそのようなことに…?」
フロイアスとライルに通じるもの……
あの娘なの?
シェリアナは思い至った事を確かめたくて、問いただした。その気迫にたじろぎながも、テルローは そのようだ と頷いた。
「あの娘が消えた。それをライル殿がフロイアス殿下が匿われているのではと詰めよろうとしたらしいのだ」
娘の顔色を伺うように、テルローは言葉を選んで伝えた。シェリアナは声を上げることはなかったが、爪を噛み、イライラとした様子で髪を弄っていた。
「それで あの娘はみつかったのですか?」
「いや、未だにわからない」
「犯人はわかっているのですか?」
「フロイアス殿下も配下を使って調べているようだが、それもはっきと分からないのだ。第一王子派の可能性もあると噂されている」
ふーん…
第一王子派が犯人なら、あの娘を殺してくれるかしら…?
あの娘は 要らない。
ライル様のためにも あの娘には消えてもらうしかない
フロイアス殿下に協力して あの娘がサウザニアに行ってしまえば清々すると思ったが、この状況なら 消してしまっても構わないわ。
目障りだわ!
私の ライル様の心を惑わす存在は 要らない
「お父様、お願いがありますの」
シェリアナはテルローに向き直り、花が綻ぶような可憐な笑顔を向けた。
「━━ あの娘を 殺して」




