227.失せもの
荒々しい足音を立てながら 王宮の廊下を進むフロイアスを止めようとフォルスは必死に試みていた。
「離せ!」
「お待ちください!このまま向かっても、どうなることではないでしょう!」
ふたりのやり取りは 朝の廊下に響き渡り、遠巻きに様子を伺う姿が柱越しに見え隠れする。
真緒が居ないのだ。居るはずの部屋に。
脱がれたドレスと宝飾品だけが、フロイアスを迎えた。人の温もりを感じない冷たいベッドに怒りを覚え 、身体が震えた。その感情のままに 投げ散らすフロイアスをフォルスは諌めながらも、逃走の痕跡を探した。
おかしい。
素人の娘が、これだけ鮮やかに姿を消すことは有り得ない。
昨晩 暗闇のベッドにみたあの姿が本物であったのか、疑念が湧いてくる。
同じことをフロイアスも思い当たったようだった。
ナルセルのところへいく
そう叫び、部屋を飛び出した主を必死に制止しているのだった。
一国の王太子を訪ねるのに、先触れもなく突撃させる訳にはいかない。そんな非礼が許される訳が無い。
争いを好まないフロイアスは、今迄このような暴挙に出ることは無かった。しかし、頭に血が上った彼に冷静な判断が できる筈もなかった。
「フォルス!確認するだけだ、離せ!」
「いけません!」
押し問答の声は、互いの苛立ちを含み 声量をあげていく。人の目が気になるが、ここでフロイアスを行かせる訳にはいかなかった。
周囲を囲み 狼狽える自国の騎士に、フロイアスを拘束するよう命令する。冷静になるまで部屋に押し留める、フォルスは説得を諦め強硬手段を取ることにした。他国に非礼を働くより、自身が処罰される方が遥かにいい。
「早く部屋へお連れしろ!」
なおも躊躇する騎士を一喝し、率先してフロイアスを拘束しにかかった。
「どうかされましたか?」
ようやく事態を収め、部屋へ向かおうとしたところに声が掛かった。
何故このタイミングなんだ。見計らったように現れたナルセルにフォルスは内心舌打ちした。
努めて穏やかに礼節を弁えた礼を取り、その場を取り繕う。
ナルセルはヒルハイと共に、アルマリアの元へ向かうところのようだった。
「フロイアス、何を騒いでいるのだ」
苦々しい顔でフロイアスに視線を向けたヒルハイトは、続けてフォルスに視線を移した。主を拘束している姿は異様だろう。それも王宮の廊下だ。衆人環視の中ですることではない。
「ナルセル殿!ご説明願いたい。姫が居ないのだ」
フロイアスは名前を出すことを避けた。さすがにヒルハイトの前では頭が冷えて、冷静になってきたようだった。
問われたナルセルは 不思議そうに小首を傾げてフロイアスに向き直った。
「私の近衛が、丁寧に送り届けました。警護の騎士に確認頂ければわかるかと思います」
散歩に行かれたとか 。しばらくすれば戻られるのでは? ナルセルはフロイアスに微笑んだ。
ナルセルの言っていることに嘘はない。
扉前の騎士からは、昨晩のうちに 近衛がオレンジ色のドレスの女性を連れてきたと報告を受けていた。
自分たちも、ベッドに休むその姿をみているのだ。
これ以上は 公には追求できない。
「ナルセル殿下、失礼しました」
納得のいかない様子のフロイアスが更に言い募ろうとするのを挨拶の言葉で阻止して、フォルスはフロイアスの背を強引に押した。
「待て」
ヒルハイトに呼び止められれば、無視などできない。
フォルスは面倒なことにならないことを祈るしか無かった。
「フロイアス、立場を弁えよ」
凍てつくような冷ややかな声に、フロイアスの身体が強ばったのがわかった。この二人は真の親子であるが、王と臣下の関係で表す方が適確である。
ヒルハイトの考えひとつで、後継の首は簡単にすげ替えられるのだ。
フロイアスにとってはマオを手に入れるための手段としての後継争いであって、本心で望んでいる訳では無いことをフォルスは知っている。
フロイアスは王太子となり、王となる器だ。
あの娘など どうでもいい
━━ 邪魔をするなら 容赦しない
立ち去るヒルハイトの背に深々と礼を取り見送る。
その背中に決意を新たにした。
フロイアスを王位につける。
たとえ フロイアスに 恨まれ 憎まれようとも
朝議を終えて、執務室に戻るニックヘルムを追ってきたのはライルだった。
「父上!」
乱れた息を整えることもせず、その行く手に立ち塞がった。ライックがすかさずライルとの間に割って入り、鋭い視線を向けた。
「ライル、控えよ」
そんなことで怯むライルではない。
ライックを睨むように視線を合わせると、詰め寄った。
「なぜ 、居ない?」
マオを何処へやったんだ?
ライック、貴方は知っている筈だ。ライルの言葉に、ライックは片眉を上げ顔を顰めた。
「なんの事だ?」
表情からは何も読めない。苛立ちを隠すことなく ライックを睨みつければ、ライックは躊躇なくライルの襟を掴み、横へ払った。
「控えよ。宰相閣下への不敬と見なすぞ」
払われ身体が寄ろけるが、何とか体制を立て直すと、今度はニックヘルムに視線を向けた。
「父上!」
ニックヘルムはライルを一瞥すると、構うことなくその横を通り過ぎた。逃すまいと伸ばしたライルの腕をライックは掴み、引き倒した。
「いい加減にしろ!」
しかし…!
ライルが尚も反論しようと口を開いたとき、廊下の先から現れたのはフロイアスとフォルスだった。
気まずく黙り込むライルに、ニックヘルムは冷たく言い放った。
「そんな暇があるなら、テルロー公爵令嬢の見舞いをしたらどうだ」
自分の役割も理解できないとは 情けない
そう呟き、ライルに視線を向けることは無かった。
フロイアスの姿が近づいてくるのを認めると、ニックヘルムとライックは脇に控え、礼を取り迎えた。ライルもライックの横に並んで礼を取るが、隠すことない怒気が放たれていた。
それは異様な緊張感を生み出した。
フォルスがフロイアスを守るようにライルとの間に進み出た。ライルとフォルスの間で静かに視線による攻防が繰り広げられる。
「ライル、御前である。控えよ」
ライックの制止を振り切り、ライルはフロイアスに挑戦的な視線を向けた。
フロイアスもライルの攻撃的な視線に応えるように、鋭い視線を放つ。
マオを隠しているのはこの男ではないのか…?
フロイアスの中で、収まりかけていた苛立ちがぶり返してきた。
言葉を発することなく 睨み合うふたりだったが、ライックがライルを拘束したことで終わりを迎えた。
「殿下、失礼致しました」
ライックはフロイアスに頭を下げ、ライルの身柄を近衛部下に拘束させると、連れて行け と下がらせた。
何度も振り返り、睨みつけなら連行されるライルの姿をフロイアスも鋭い視線で見つめていた。
「愚息が、失礼を致しました。お許しください」
ニックヘルムの詫びに、フロイアスも深く息を吐くと、片手を挙げ、構わない と謝罪を受け入れた。
何かあったのか?
フロイアスの問いに、ニックヘルムは関心の無い様子で淡々と答えた。
「いえ。失せものが見つからず苛立っているのです。なんとも情けない…」
その表情は、父親ではなく宰相のものだたった。鋭い眼光に表情はなく、その考えはうかがい知れない。
失せもの…? 物? …者?
感情の読みにくいあの男が、ここまで露わにするもの ━━ マオか!
あの男も、マオの行方を探しているというのか…?
では 一体誰が 何処に連れ去った…?
思考に耽けるフロイアスに一礼して、ニックヘルムとライックは執務室へと向かい歩き出した。すれ違いざまにライックはフォルスに耳打ちする。
「どうやら 鼠がいるようです。気を付けられよ」
鼠… 第一王子の手の者か?
それとも 新手か…
それがマオを連れ去ったのか。
第一王子の手の者なら厄介だが、あの娘を始末してくれるのなら好都合だ。
まだ思考に耽けるフロイアスの背を軽く押し、部屋へと足を向けた。




