226.所在
ライルが立ち去るのを背中に感じながら、真緒は まだ気持ちの整理ができないでいた。
「歩けますか?」
柔らかい女性の声だ。そっと視線だけあげれば、優しい笑みを浮かべる騎士服の女性が寄り添ってくれていた。真緒は頷きはしたが、身体がふわふわとして漂う感じがして、正直心許なかった。
女騎士の肩を借りて立ち上がる。
裸足で床に立てば、ひんやりとした感触が気持ちよかった。踏み出した足は力が入らず、揺れる身体を支えきらない。その場に座り込んでしまった。
結局、男性騎士が真緒を抱き上げて、東屋を離れた。歩みに合わせて服の擦れは、規則的な音を奏でる。
真緒は小舟に揺られる感覚の中、いつの間にか深く眠りに落ちていった。
喉の乾きに襲われて、意識が浮上してゆく。それと共にグルグルと回る視界に悩まされる。
漂う身体の感覚と回る視界が、考えることを阻む。
見慣れない天蓋に瞬きを繰り返し、ゆっくりと身体を起こした。
ベッドサイドにある水差しを手に取り、煽るように水を飲む。何杯か飲むと胃がせり上がってきた。
トイレに駆け込み、しばし動けなくなる。
もうお酒なんて飲まない…
少し身体を動かすだけで襲ってくる目眩と吐き気の辛さに、真緒は心に強く違ったのだった。
そのまま うつ伏せて風に当たっていた。
夜風が熱を持った身体を冷ましてくれる。
その心地良さに身を任せ、風を求めて窓辺へ向かえば
松明が焚かれ、人が行き交う様子が伺えた。
(…ここ どこ…?)
お決まりのセリフにも、体調の悪さが邪魔をして考えがまとまらない。
もしかして…あの男の ところ…?
急に頭が冷えて 自身をみれば、誰かが着せ替えたのだろうか、見慣れない寝衣ドレス姿だった。
ライルと言い争った。それから…?
それから どうしたんだっけ…?
…イヤ…
記憶にない時間が真緒を恐怖に突き落とした。
私…、囚われたの?
━━ 逃げなくちゃ…
震える足で扉へ向かえば、扉の外から人の気配がした。見張られているのだ、ここからは出られない。
窓辺へ向かうが、ここは2階。
大きな木もなく、バルコニーも無かった。
万事休す。
ヒロインでないと、都合のいいことは起こらないらしい。でも、待っているだけなんて嫌だ。
隠し扉とか 無いかな?
暖炉とか本棚とかが定番だよね…
手当り次第、壁や本棚を押してみる。
歩く度に身体が揺れて安定しない。気を抜くと千鳥足は家具にぶつかる。物音を立てないように四つん這いで移動するが、手掛かりは得られなかった。
毛足の長い絨毯に伏せれば、自然と瞼が落ちてくる。
ダメ…逃げなくちゃ…
あの男が 戻ってくる前に 遠くに…遠くに…
目を瞑っているのに視界が回るなんて不思議だな…
動いたことで酔いが更に回ったようだ。自分の意思では身体が動かせなかった。
どんなに頑張っても、ライルはあのひとのものなんだよね…
そう思ったら 色んなことがどうでもよく思えた。
私の自由 、 自由 、 自由 …
自由ってなんだろう…?
身体が沈む感覚と共に意識も沈んでゆく。抗うこともせずに身を委ねた。
真緒が絨毯の上で深い眠りに落ちたころ、分厚いカーテンの束ねから、影が動いた。音もなく室内に伸びた影はやがて人の形を成して月明かりにその姿を現した。
絨毯のない床の上も足音が立たない。
背丈のあるがっしりとした体躯を黒衣で包み、しなやかな足運びで移動する。やがて、テーブルの下に背を丸めて眠る真緒の姿を捉えた。
近寄りそっと口元に手をかざせば、規則的な息遣いにほっとした様子が伺い知れた。
本当に 世話のやける娘だ…
こんなところで酔い潰れているとは
そっと抱きあげれば、眉間に皺を寄せてイヤイヤと首を振った。睫毛は濡れて、頬には幾本もの涙の筋があった。そっと指で拭えば、甘えるように指に頬を擦り寄せた。
フッ 男が笑みを漏らした。
任務中に感情を出すことなど珍しいことだった。
そのまま分厚いカーテンの陰へと身を滑らせる。
室内には その気配すら残らなかった。
夜が更けても 宴は続いていたが、フロイアスはホールに足を向けることなく、目当ての部屋へと向かった。
扉の前に立つ騎士はフロイアスに礼を取ると、扉を開けた。
ベッドに視線を向ければ、掛物からはみ出たオレンジ色のドレスが差し込む月光に照らされて仄かな輝きを放っていた。枕と掛物の間にみえる黒髪がフロイアスの心を落ち着かせた。
マオはこの手の中にある。
その事実はフロイアスの心に余裕を取り戻した。
マオが居れば いい。
せめて寝顔が見たい。その髪を撫でたい。。
ベッドに足を向ければ、フォルスに呼び止められた。
「フロイアスさま、陛下がお呼びです」
チッ、 無意識に出た舌打ちにフォルスの顔が歪む。
「フロイアスさま」
フォルスが語気を強めて、その行為を非難した。
深く息を吐いて、目を瞑る。
私は 何を 苛立っているんだ。
マオは私の手の中。焦ることはない。
己に言い聞かせ、フォルスに向き直った。
「すまない 。 …父上のところへいこう」
真緒に触れることなく、部屋を出た。
振り返り足を止めて、閉まった扉に手を当てる。
まるで宝箱を愛でるようにそっと撫でた。
立ち去る足音がなくなると、室内は静寂を取り戻す。
衣擦れの音だけが、辺りを窺うように響いた。
ベッドから抜け出た人影は、スラリと伸びた体躯を黒衣に包み、月光を避けるように暗闇に立つ。手に持ったオレンジ色のドレスをソファの背にかけると、テーブルにアクセサリーを置いた。
彼の姫に サウザニアのものは必要ない
口の端を歪め、薄らと笑う横顔に感情は読み取れない。真緒に向けた柔らかな微笑みとは違う。
彼の姫は 渡さない
再び手を出せば 容赦はしない
黒髪のウィッグを乱暴に外し 室内を一瞥すると、壁に背を添わせ、その姿を消した。
梟にとって造作ないことだ。




