207.夢見
ヴィレッツを先頭にアルマリア、ライルと続く。
奥まった所を過ぎると、堅牢な造りの扉の前で足を止めた。近衛騎士の精鋭が警護にあたり、物々しい緊張感が重く漂う。
その騎士たちが、ヴィレッツの後ろにいる人物━━━ アルマリアに気づく。流石に声をあげることはなかったが、驚愕の表情で迎えた。
「…母上!」
ベッドに転げていたビッチェルは、アルマリアの姿に気づくと、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「お久しぶりです。顔を見せず、失礼しました」
流石に抱きつくほどに幼くはなかった。アルマリアの目の前まで来ると、胸に手を当て貴族の礼を取った。
「久しいな、ビッチェル」
親子の挨拶としては 他人行儀なものである。
国王暗殺の旗印とされ、第三国に送られた息子との再会ではあるが、微笑みのひとつも浮かべることなく、アルマリアは息子を見つめた。
「なぜ、わたくしがここに来たのかわかりますか?」
通常ならドレスに身を包み、扇が口許や表情を隠してくれるが、夜駆けしたアルマリアは乗馬服である。
母の見慣れぬ姿に、駆けつけて来たのだということは理解できたらしい。
「私の功績を讃えるため、ですよね。
母上、私は成し遂げたのです!
この国を滅ぼす悪しきものを葬ったのです!
渡り人などにこの国を好きにはさせません!」
母上の長きに渡る憂いを払えたことが、何よりの喜びです。
目を輝かせ、真っ直ぐにアルマリアを見つめる瞳に曇りは無かった。そう信じて疑わないのだろう、その無邪気さが 哀れに思え、ライルはそっと視線を外した。
「…そうか…」
アルマリアは表情を変えることは無かった。淡々と感情を排した口調で返すだけだった。それでも、ビッチェルには十分だった。
何でもそつ無くこなす兄ナルセルと常に比較され、貴族や使用人達に陰口を叩かれていることを知っていた。
国王夫妻や兄王子に、そのような目を向けられたことは無い。常に温かく接してくれ、自分らしくあれ、と好きな剣術に励む自分を見守ってくれた。
短気で粗暴、そう評されていることも知っている。そんな自分を認めてくれていた、両親、兄の役にたちたかったのだ。
「貴方に見せたいものがあります。ついてきなさい」
そう告げると、息子に背を向けた。
「どちらへ向かわれるのですか?」
ヴィレッツも想定外だったのだろう。アルマリアに問い返した。
「…森へ」
ひと言告げると、足を止めることなくアルマリアは扉に向かった。
マージオはニックヘルムを伴い、湖畔を目指して歩いていた。ミクと過ごす、これが最近の日課だ。
いつもは心躍る道程だが、夢見のせいだろうか 不安が襲う。
行くな、知るな、と、もう一人の自分が警鐘を鳴らすのだ。そっと左人差し指にはめた金細工の指環を探った。
眠りにつく前に呈される杯に、添えられていた指環。寝室を訪れたニックヘルムに尋ねれば、貴方が大切にしてらしたものです と告げられた。
飾りのない金細工の指環は、透明な石のついたシンプルなペンダントに絡められており、何故だかわからないが マージオの心を捉えて離さなかった。
それを手に取り 指環を見れば、指環の内側にペンダントと同じ石が埋め込まれていた。
これは 私のもの━━━━━
確信めいたものが 湧き上がり、指環を自身の左人差し指にはめる。しっくりくる。まるでずっとそこに存在していたように違和感が無かった。欠けていたパーツが収まった、そんな感覚を得たのだった。
何時にない安堵感に包まれて眠りに落ちれば、湖畔に佇むミクが振り返り笑いかけてきた。マージオが駆け寄ればミクは渡りの樹の元に瞬間で移動する。目の前の彼女との距離が離れたことで、マージオは肩透かしをくらい苛立った。
「ミク!」
これ以上逃げられないように名を呼べば、ミクは渡りの樹を背に振り返った。
その瞬間、渡りの樹が燃え上がった。
焔が立ち、天に昇る。
近づこうとすれば、焔がメデューサのようにマージオを襲った。焔を避けて、ミクの元へ近づこうと試みるが、焔と熱に皮膚が焼かれ 息苦しさに むせ込んだ。
「ミク!ミク!返事をしてくれ!」
名を叫び続けるが、激しく立ち上る焔と 燃える幹が爆ぜる音にかき消される。 渡りの樹はすぐに焼き尽くされた。
膝から崩れ落ち、為す術もなく燃え尽き崩れた大樹にミクの姿を探す。
周囲を満たす黒煙の中から、シルエットが浮かび上がった。次第に濃さを増したその姿は、湖面に浮き、柔らかな微笑みを浮かべてマージオを見つめた。
「あぁ ミク。無事だったんだね」
安堵のため息を付けば、彼女は悲しみを瞳に湛えた。
「私はミクじゃない」
気づいているんでしょう?
ストレートの黒髪、黒曜の瞳。少し尖った上唇。
でも、何かが 違う。
「…ミクだろう…?」
マージオは目の前の女性に抱いた違和感を自ら否定する。だって、目の前にいるじゃないか!
「…気づいて。お母さんは あそこに居る」
すぅ、と指差す先は 燃え落ちた渡りの樹だった。
何を言っているんだ!
そう 叫んで 自身の声で目が覚めた。
皺の増えた節くれだった手。
20代の自分には明らかに似つかわしくないもの。
その手にある 指環とペンダント。
━━ 呼んでいる。
いや、呼ぶのは もう一人のミクなのか…
あの湖畔に、渡りの樹にいけば、わかる気がした。
ニックヘルムはマージオのやや後ろを歩きながら、ライックの報告を聞いていた。
「マオは渡りの樹の湖で その光に呑まれた、ということか…」
唸り声しか出ない。渡りの樹は燃え落ちてその力を失ったのでは無いのか?
「どちらにしても都合が良い。もうミクは現れないのだ」
ライルはどうか?
ニックヘルムが尋ねれば、ライックは出立前に渡りの樹にいる可能性が高いと伝えた、と返してきた。特に取り乱した様子もなかったという。
王妃の警護という任務を放棄することなく 遂行しているのであれば問題はない。
マオの捜索はテリアスが指揮を取っている。
それに任せておけばよい。
マージオを現実に引き戻す。
今、ニックヘルムにとって 最も重要な案件だった。




