202.現実との折り合い
王家の邸宅を飛び出した夜から、真緒はずっとマルシアの所で暮らしている。
夜更けに テリアスが宿屋にやってきたが 、真緒が居ることを確認すると見張りを残して帰っていった。
足を痛めているマルシアを手伝いたい。
ミクの代わりをするのなら、ミクのことをよく知っているマルシアから話を聞きたい。
屋敷内では国王と遭遇するリスクがああるし、自分も落ち着く時間が欲しい。
それっぽい理由を並べて、屋敷では無くマルシアの所で世話になっていた。
一番の理由は ライルに会いたくない から。
気持ちの整理が着くまで 離れていたい。
考える時間も欲しかった。
あれから10日ほど過ぎた。
はじめこそ、父親に甘い視線を送られることに躊躇いがあったが、考えてみれば、生物学上の父親というだけで、一緒に暮らしたことも無い。親子の名乗りを上げたとはいえ、過ごした時間も僅かであり、父親だという実感が薄い。
甘い視線に優しい言葉で紡がれるふたりの時間は、お母さんがどれだけ愛されていたのかを知る良い機会だった。そう思えたら、マージオの甘い囁きも気にならなくなった。むしろ、お母さんが幸せだった時間を知ることができた、そう自分を納得させた。
夕陽に水面が染まる頃、別れの時間がやってくる。
今日の任務も終了だ。
ライックとニックヘルムが迎えに現れ、振り返り手を振りながら立ち去る姿が見えなくなると、振っていた手を頭に乗せて、ひと息にウィッグを取り去った。
「ふぅ…」
地毛を手ぐしするついでに頭を掻きむしる。
もう煤けた臭いはしないが、無惨な渡りの樹の姿はそのままだった。
キャンパスを持ち込んでマージオは絵を描くのだが、緑豊かな大樹と水面煌めく湖を描いていた。
記憶の中で 幸せだけを見て 生きているんだな…
哀れ、という気持ちよりも 今は羨ましく思う。
都合のいい世界に逃げているのだから。
じゃあ 私は…?
元の世界へ帰る手段を失い、
愛する人を疑う気持ちに 苦しめられている。
でも、
会って確認する 勇気もない。
━━━ ああ、私も逃げてるんじゃん…
国王ばかりを 非難できないな…
乾いた笑いが洩れ出し、何が可笑しいのか 笑いが止まらなくなった。
「…おい、大丈夫か?」
テリアスは真緒の肩を掴んだ。それが合図のように、一段と高い声が急速に闇が迫る森に響いた。笑いたくもないのに止まらない。
肩を揺すられ、真緒は無意識にそれを跳ね除けると、身体を大きく左右に揺らしながら歩く。まるで千鳥足だ。テリアスのの伸ばした腕をすり抜けて進めば、木の根に躓いて派手に転んだ。ようやく笑いから解放された。起き上がろうとしない真緒を抱き起こそうとする腕を、イヤイヤと頭を振り拒否した。
今は 見られたくない。
酷い顔してる。
そんな乙女心を わかって欲しい。
地面の冷たさで冷静さを取り戻した今は、どうか放っておいてほしい、切実な願いだった。
「ほら、立てるか?」
そんな真緒の気持ちにお構いなく、テリアスは真緒を横抱きに抱え上げた。
ホント、空気読めないし、鈍い人だな…
泣き顔を見られたくなくて両手で顔を覆い、手の中で悪態をついた。
「ねぇ、もう大丈夫だから 降ろして?」
何度頼んでも降ろしてくれないテリアスに、可愛くお願い作戦に切り替えた。上目遣いで頑張ってみる。いくら薄暗くても、この距離ならさすがにまだ見えるだろう。
「…そういう顔は ライルに見せろ。お前たち、会ってないらしいな」
そう返されて真緒は視線を すぅ と逸らした。
いつかは言われるんじゃないかと思っていたが、このタイミングか。抱えられていては逃げることもできない。
「…行ったけど、寝てて会えなかったのよ…」
あの夜、会いに行ったのは本当だ。一回きりでも嘘ではない。それなのに、なんでこんなに胸が痛いのだろう。
「…侍従は きていないといっていたが?」
「…誰にも会わなかったの!」
ねぇ、もういい加減に降ろして!
真緒が実力行使に移る前に、テリアスの抱く力が強まり、身動ぎも許されなかった。
「今日は 付き合ってもらうよ。お前たちは話し合う必要があるんじゃないのか?」
テリアスの声の真面目さに、真緒は反論できなかった。それでも身を固くして目を強く瞑り、抗議の意を示した。テリアスもそれ以上は何も言わなかった。
医師の許可も下りた。父の監視が厳しく、その成果もあって指定された安静期間をベッドで過ごしたライルの身体は、借り物のように重かった。それでも、毒の後に比べればマシだ。身支度を整えて、父の執務室へと向かう。
執務室には父と兄、ライックが、難しい顔を突き合わせやり取りをしていた。
復帰の挨拶をすれば、一様に表情を和らげて迎え入れてくれた。
進められるままにソファに腰を下ろすと、ニックヘルムは宰相の顔になった。
「早速だが、明後日からマオの護衛につけ」
この二日で、身体と勘を戻せ。
そう告げると、執務机からソファに移りライルの正面に腰を下ろした。
国家機密だ。そう前置きして、ライルに今起こっていることを告げた。
「…マオと何かあったのか?」
ライックがライルに問いかけた。心配しているのだと その声色でわかる。この十日余り、真緒がライルの元を訪れていないことに、ライル本人だけだなく、周囲も気にかかっていた。
こんな状況だからこそ、なぜ 真緒が自分を必要としないのか、理解できなかった。
話を聴きながら、疑問が憤りへと変化していくのが自分でもわかった。
「…わからない、何も無い。思い当たることも無い」
ライルの絞り出すような言葉に、毎日護衛で顔を合わせるテリアスは、真緒の様子を語った。
「健気なものだ。宿屋を手伝い、昼過ぎから夕刻までミクになって陛下のお相手。夜は店を手伝っている。本当のミクになろうとしているかのようだ。淡々とこなしている、そんな感じだ」
ライックは顎に手を当て しばし思案していたが、ライルに向き直った。
「一度ちゃんと話し合え。顔を見て話せば、分かることもあるだろう。陛下にとっても大事な時だが、マオにとっても同じだ。マオのこころを護ってやれるのはライルだけだ」
「マオはお前を故意に避けているように感じる。会え、と言っても素直に聞かないだろう。今日、陛下との時間のあと、ここに連れてくる」
テリアスの提案にライルは頷き返した、
今すぐ会いに行きたいところだが、ぐっと堪えた。ここは助力を得た方が得策だ。逃げられたら元も子もない。
夜が 待ち遠しかった、




