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200.身代わり

森に立ち入れば、すぐに煤けた臭いが風に乗ってくる。疎ら(まばら)にすれ違う騎士たちの姿が、あの報告が現実だと知らしめる。


その報告を受けたのは、夜も開けきらない時間だった。寝室を訪れたニックヘルムから、早馬の報告だと聞かされ飛び起きた。その内容に 睡魔は飛んだ。


━━ 渡りの樹 焼失 ━━


言葉の理解ができなかった。

焼失…?

うわ言のように ニックヘルムに確認すると

「言葉通りです」

低く感情を払った声が 返ってきた。

その後はよく覚えていない。

まんじりともせず 夜明けの出立まで過ごした。

気づけば 馬車に揺られ王家の庭に向かっていた。


そして 今に至る。

もう何度も足を運んでいる場所なのに、見知らぬ場所へ向かっているようだった。現実を突きつけられるのが怖い。その気持ちが足を重くする。

「マージオ、大丈夫か?」

二人きりの時以外、名を呼ばないニックヘルムが小声で気遣いを見せるが、そんなことにも気付かないほど目の前の光景に呆然自失となっていた。


突然脇を支えられ、身体が傾いだのだと理解する。ライックとニックヘルムに両脇を支えられていた。

「…屋敷に戻りましょう。休息が必要です」

ニックヘルムの声に咄嗟に首を横に振った。


駄目だ、ちゃんと確認しなければ。


うわ言のように返して、支えの手を払い 一歩 、

また一歩と進む。


見ては駄目だ…!

お前はその事実に耐えられるのか…!


脳内に警鐘が鳴り響く。その音はどんどんと音量を増し、頭を殴られたような衝撃が襲う。

胃がせり上がる。

襲う目眩に、視界が狭まる。霞む視界に苛立ち、無理矢理目を見開いた。


焼け落ちた大樹は、幹すら形を成していなかった。


ふたりで語り合った太い根は、焼け落ち朽ちていた。


キャンパスを覗き込んだ張り出た枝の木陰も

ミクが微睡んでいた幹も


━━━ ない ━━━


膝から崩れ落ちると、支えの手を振り払う気力もなくなすがままに任せた。

渇いた笑いが漏れると 止まらなくなり、自分でもコントロールできなくなっていた。

「マージオ、戻ろう」

ニックヘルムの声すら可笑しい。耐えられず、支えの腕を振り払って笑い転げた。



真緒は森に響く笑い声に、一瞬身震いした。

「…」

護衛についてきたヘルツェイと無言で視線を合わせる。笑い声の主が誰であるのか、容易に想像できたからだ。

「…行くのか…?」

無理しなくていいんだぞ、暗にそう告げるヘルツェイに、真緒は視線を逸らすことなく頷いた。

「行くよ。これはミクの娘の役目だから」

その凛とした佇まいは、井戸脇で髪を自ら切り落としたあの時のように決意に満ちていた。


真緒は 意識して大きく息を吸い ゆっくりと吐き出すと、下っ腹に力を入れた。

「よし!」

小さく自分に喝を入れて、渡りの樹の湖畔に立った。


湖の対岸に、その姿を見た。

両膝をつき、天を仰ぐように笑い続ける姿。

マージオが 対岸の真緒に向けて微笑んだ。


「あぁ ミク。そこに居たんだね」


甘い声、優しい微笑み。

母に向けられていたであろう それは 今 真緒に向けられていた。


私が わからないの…?


真緒の衝撃を 対岸のニックヘルムとライックも感じていた。


「マージオ!あれはマオだ。ミクの娘だぞ」

ニックヘルムが慌てた口調で 肩を揺すれば、きょとんとした視線をマージオは向けた。

「何を言ってるんだ、ミクに子供なんていない。あれはミクだ。ほら、離れていてくれよ、彼女が恥ずかしがって近くに来てくれないだろう?」

少し照れた無邪気な笑顔、そわそわとした姿は18年前に見た、若き頃のマージオだった。

ニックヘルムは言葉を失った。


今 目の前に居るのは 誰だ …?


マージオの肩に手を置いたまま、ニックヘルムの動きも止まった。その手をそっと外して、マージオははにかんだ。

「どうしたって言うんだニック。いつも関心なさそうにさっさと居なくなるのに。彼女も宿の仕事がある。夕方までの少しの時間だけだよ」


その言葉を聞いたライックは迷わなかった。

「失礼」

短く声を発すると、マージオの首に手刀を落とした。

「邸宅にお連れしろ!」

感情を排した声で、離れたところに待機していた近衛騎士に指示を出すと、ニックヘルムの肩を掴んだ。

「貴方も!しっかりしてください!」

近衛騎士に担がれるマージオの姿を認識したのか、ニックヘルムはすぐに表情を引締めた。

「陛下と一緒にいてください。私は ━━━ 説明してきます」

ライックは対岸の真緒に視線をやった。ニックヘルムは無言で頷き、近衛騎士と共に 渡りの樹に背を向けた。


対岸の真緒は、マージオの言葉が脳裏に繰り返されていた。そして、その後の会話も 静かな湖畔で耳に届かないわけがなかった。

言葉なく立ち尽くす真緒に、ヘルツェイはいたたまれず声をかけた。

「…おい、大丈夫か?」

真緒は視線を対岸の一点を見つめていた。

「━━ 娘だって 分からなかったね。

あの人にとって ミクしか 必要じゃないんだね…」

それは つぶやき。吐露された心の悲鳴。


ライックの下草を踏む足音が近づいてきて、真緒は緩慢に視線を移した。

ぼんやりとした視線を送る真緒を、痛ましく思う。

ライックはヘルツェイに無言で視線を送った。

「見ての通りだ」

わかってる、ヘルツェイも無言で頷き返す。

「━━━ マオ、しばらくミクになってくれ」

「っ!おいっ!」

それはないだろっ!ヘルツェイがライックの襟首を掴んだ。ライックは静かにヘルツェイの腕を掴むと、ゆっくり外した。

「こんな状況だ。落ち着くまで でいい。特にサウザニアには陛下の様子を知られる訳にはいかない」

ヘルツェイも頭ではその重要性を 理解している。

でも、傍らで細い背中を小刻みに震わせ必死に耐える真緒に、そんな酷なことをさせるなんて そこまで非情になれなかった。

「しかし…!」

反論しようとしたヘルツェイを真緒が遮った。


「いいよ、私やるよ。ミクになる」


キッパリと言い切り ライックに向き直ると、どうすればいいのか教えて、と笑った。


確か マルシアさんのところに母さんのワンピースが何着かあったな、

髪が長かったから、ウィッグを用意してもらわないとね


邸に向かい歩き出していた真緒の表情は見えない。

その後ろ姿は 背筋が伸びて 歩みも力強いものだった。


でも、その華奢な背中は 儚く見えた。














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