2.渡りの樹②
渡りの樹—
母から詳しいことを聞くことはできなかった。その存在を示すものは弱々しい線で綴られた地図だけ。もちろんネット検索してみた。ヒットせずお手上げだった。母の葬儀や手続きに追われ忙しく過ごし、なんだかんだと落ち着く頃には季節は春になっていた。
バイトの休みを利用してやってきたが、本当にその樹があるのか半信半疑だった。
「死んだやつに会えるとかなんとか。昔からそんなこと言って山に入る奴がいるなぁ」
会えたかどうかは知らんよ、まぁ、気が済むようにすればいいさ
何年かに一人私のような物好きが訪ねてくるらしい。地元のお爺さんは笑って見送ってくれたのだった。
渡りの樹を前に自分でも信じられないほど興奮していた。胸の高鳴りが治らない。
渡りの樹は真緒の訪れを【待っていた】
その意思を身体全体に感じ、幸福感に満たされる。
視界が涙で霞んでゆく。ゆっくり歩みを進め、そっと樹に触れてみる。その温もりに引き寄せられるように 膝をつき両腕を幹に回し頬を寄せると、母に抱かれているような安心感に包まれた。
頼る親戚もなく、泣く暇もなかった。
毎日、食べて、寝て、働いて…生きていくことに精一杯だった。
泣いていいんだよ、と、風が背を撫でる。
真緒の身体から少しずつ力が抜けていく。
母を亡くした悲しみを渡りの樹が包み込んでくれる。
気づけば真緒は声を上げて泣いていた。
嗚咽を森が吸い取っていく。
渡りの樹に抱かれ安らぎの中、真緒は眠りに落ちた。
(…ん…寒い…)
肌寒さに沈んだ意識がゆっくり浮上していく。
真緒は重いまぶたを無理やり開いた。薄暗い視界に眉を寄せた。どれくらい寝てしまったのだろう。
こんな山の中で夜を迎えるなんて無理!無理!
自分で自分を抱きしめて両腕を摩る。春とはいえまだ夜は冷える。長袖のシャツに膝丈のチェニック、スキニー姿では寒さは凌げそうにない。
とにかく帰らなくちゃ!
急に現実が迫ってくる。焦る気持ちを抑えて立ち上がるとあり得ないものが視界に入った。
えっ…?湖…?
真緒は息を飲んだ。
静かな水面に映る満月が辺りを照らし、木々のざわめきがこだまし合う。風に揺れる水面は精霊の吐息のように波紋を描く。
幻想的な光景に言葉もなく立ち尽くしていたが、
肌をさらう風に身震いして現実に引き戻された。
「ここ、どこよ」
そうよ、湖なんてなかった。こんな大きなもの見落としようがない。いつの間にか移動したとか?でも渡りの樹は確かにここにあるし。
考えれば考えるほど混乱してくる。長く息を吐き空を見上げれば星が光を放ち始めていた。
(なんなのよ…)
心細さに涙が出そう。慌てて混乱中の思考を強制終了する。とにかく凍え死ぬのは勘弁!
なけなしの気力を振り絞っていると、渡りの樹の影から小さな灯りが揺れるのが見えた。
「誰かいるのか?」
突然の低い声と共に灯りが近づいてくる。真緒の心臓は跳ねた。あまりの恐怖に身体が動かない。
近づく灯りを凝視していると、黒い影は薄明かりに照らされ姿を現した。