198.お迎え
マルシアの宿屋の朝は早くて 忙しない。
真緒は 料理はできないが、配膳と片付けは朝飯前だ。バイト先のファミレスよりもずっと狭いフロアに朝のメニューはひとつ。後は、どんどん配膳して片付けていくだけだ。
商人が利用することが多いマルシアの宿屋は、鶏がなく頃には、出立するものが多い。
出窓から朝日が差し込む頃には、ピークを過ぎ、出立のゆっくりな客が食後のお茶を楽しんでおり、フロアにはまったりとした空気が流れていた。
「マオ、あんたも食べてしまいな」
厨房から 顔を出したマルシアが、トレイを差し出す。湯気の立ち上がるスープの香りが、真緒の食欲を誘った。洗い物は後でいいから、そう言われて窓際の席に腰を下ろす。ぐっ、と伸びをしてお茶を含んだ。
近くの席では、夜更けの出来事が語られていた。
「どうやら王家の庭の火は、付け火らしいぞ」
「そうなのか?物騒だなぁ…。騎士団が常駐してるだろ?そんなところをわざわざ放火するって、何考えてるんだろな、犯人は捕まったのか?」
「…それがなぁ…、ここだけの話、サウザニアの回し者らしい」
「あ?サウザニアっていえば、ちょっと前に何番目かの王子が死んで、何番目だったかが王太子になった国だろ?国境も近いのに大丈夫なのか?」
「隣の国だしな。ユラドラが安定しないうちに、サウザニアときな臭くなると、この国も危ないな」
商人たちの会話は商売のことに逸れてゆき、別の話題に移っていった。
真緒は話題が逸れて、ようやく自身の食事に集中した。食堂の会話から自身が巻き込まれた 事の次第を聞くなんて、ちょっと複雑な気分だ。付け合せの野菜にフォークを勢いよく突き刺すと、乱暴に口に放り込んだ。
「…お嬢ちゃん、荒れてるねぇ」
突然耳元で囁かれ、驚いて椅子から転げ落ちそうな真緒の身体を背後から支えながら、小言が続く。
「…荒れたいのはこっちだけどな。勝手に居なくなるから、こっちは寝ずに探す羽目になるし 散々だよ。
優雅に朝ご飯とは…羨ましいことだな」
がっちり両肩を掴まれて、立ち上がれないように押さえられると、更に追い打ちをかけてきた。
「きっちり 説明してもらおうか」
いやぁ、きっちり説明と言われましても…
マルシアさんを見かけて、宿屋に帰るのを手伝って、遅くなったから泊まった。そのお礼にお手伝いしてました。
事実を淡々と告げれば、ヘルツェイの指が肩にくい込んできた。
「そんな簡単な事じゃない、分かるよな?」
いや、そんな簡単な事なんです…、痛みに潤んだ瞳で見上げれば、ヘルツェイの目は笑っていなかった。片方の口の端を上げて、更に力を込めてきた。
「…ごめんなさい…」
ここは素直に謝っておこう。何を言っても言い訳にしかならない。
「ん?聞こえないなぁ」
いや、聞こえてるでしょ!聞こえない振りとか、性格疑う。さすがテリアスを仕込んだ人だわ。
「━━ それくらいにしておやりよ。本当にこの子はあたしを助けてくれたんだ」
マルシアが、ふくよかな身体を左右に振り、皿を集めながらやってきた。
「マルシアさん、それ私やりますよ」
足、まだ辛いでしょう? よし!逃げるチャンス!
慌てて立ち上がろうとすれば、ヘルツェイはさせないとばかりに肩の手に力を込めた。もちろん真緒の身体はびくともしない。悔しさに睨めつけるが、悔しいほどに涼しい顔で見返された。
「片付けたら、ちゃんと従うから。お願い。マルシアさん 足悪いのに、昨日更に痛めちゃったの」
こうなれば 下手に出て お願いしてみる。自分が狙われるのであれば、宿屋に世話になる訳にはいかない。マルシアを危険に晒したくない。出ていくつもりだったのだから、迎えにきてもらえて良かったのかもしれない。
「…わかった」
渋々、という言葉がピタリくるような低い了承の声と共に、肩の圧迫から解放された。さらに残った野菜をかきこむと、皿を集めて厨房へと向かった。
昼前に、隙のない護衛という名の監視と共に王家の屋敷へと向かった。片付けながらのマルシアとの会話でわかったことは、ヘルツェイは宿屋に帰宅したときから居たらしい。朝の混み合う食堂の入口付近の席で睨みをきけせていたときいて、まるっきり気付かなかった自分に、ショックを隠せなかった。
気付かなかいうちに、溜息が漏れてたのだろう。
ヘルツェイは真緒を自身の前に抱いて馬を走らせていたが、馬の速度を落とすと声をかけてきた。
「…そんなに気が乗らないか?」
ふるふる、横に首を振って真緒は自嘲気味に笑った。
そうじゃない、嫌な訳じゃない。
「…私の存在は いつになっても争いの種なんだなぁって思ったの。それなのに なんでこの世界に呼ばれたんだろうって。本当に必要なのかな、私…」
自分で言葉にして 切なくなった。自分の存在を自分で否定するって、想像以上に、辛い。
俯き、馬の鬣を見つめる。歩みに合わせて鬣が揺れる。その柔らかに見える鬣にそっと手を伸ばした。ゆっくりと手を添わせて撫でれば、馬の体温が伝わってくる。時折、頭を振る動作をするのはくすぐったいのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、揺れに身体を任せていた。
「人には与えられた役割がある。不必要な人間など 居ないと思う。その役割から逃げることは容易い。その役割を果たせないで終わるかもしれない。それでも、足掻いて 抗って 自分らしい人生を送れたら良いな」
ヘルツェイはポツリと呟いた。
性別も偽り、酒で髪色を変えて逃げるために必死だったこの子も、ずっと苦しんでいたのだろう。
それでも、その役割を降りることはできないのだ。
国王の娘、渡り人、渡り人の知恵…
この娘の価値は、国内外に知れ渡ってしまった。
死亡説を信じている者は、皆無だろう。
全ての脅威から、護ることは難しいが、
想い合うふたりが 幸せに暮らすくらいの平和を築いてやりたいと思う。
馬に揺られる小さなせなかに 幸せを願った。




