197.この世界て孝行
なんだか、焼け野原だけど…
ここ、渡りの樹、だよね …?
松明に照らされた周囲は煙が立ち込めており、燻りがあるのか、時折爆ぜる音がした。
目の前の男 ━━━ テリアスは、ようやくその口を閉じ、言葉にしようとして開きかけ また閉じてを繰り返していた。
その後ろに控える男に視線を移せば、ニヤリ、と返ってきた。余程こちらの方が落ち着いているらしい。素性を偽って近づいてきた相手だから、本名は知らない。まあ、偽名でいいか。
「久し振り、エド」
「…あぁ。それにしても、凄いところから現れたな」
凄いところ?どういうこと?ここ渡りの樹だよね?
そこのところ、詳しく説明願います。
真緒が眉間に皺を寄せたことで、意図を汲んだのか、ヘルツェイは簡単に教えてくれた。
「渡りの樹から 突然現れた」
本当に簡単だなぁ。いろいろ 端折りすぎじゃない?
改めて見回せば、隣は湖。足元は燃え滓…
「…火事?」
「正確には 放火 だな」
真緒の呟きをヘルツェイは即 訂正した。
「マオがこの世界に帰ってこれないように、世界の入口になる渡りの樹を始末しようとしたんだ」
それで 放火した訳か… こわっ!
で、なぜ私はここに?
「ライル…無事で良かった…」
ようやく立ち直ったテリアスは、ライルの肩を軽く手を置いた。ライルの表情の歪みを見逃さなかったテリアスは、血相を変えて衛生兵を呼んだ。
「大丈夫です、これくらいなんでもありませんよ、兄上」
苦笑いと共に その手を振りほどいたが、結局駆けつけた衛生兵に左右を掴まれ屋敷へと戻ることとなった。
「マオ、お前も一緒に行け。ここに居ても邪魔だ。話なら屋敷でする」
冷静になったテリアスには敵いそうもない。
なぜ、どうして を解決したかったが 仕方ない。
ライルに大人しく治療を受けてもらうためにも、一緒に屋敷へと向かおうと ライルの後ろに続く。
衛生兵がライルに質問をし、やり取りが続いている。
ぼんやりと少し離れて後ろを歩いていると、松明の間隔が疎らな湖畔に しゃがみこむ影を見つけて、真緒は迷うことなく足を向けた。
肩を震わせるマルシアは、いつもよりも小さく見えた。丸めた背中にそっと手を添えて擦れば、その背がピクン、と動いた。
「…え…、マオ…?」
そうだよ、その意を込めて大きく頷けば 皺の多い乾いた手が真緒の顔を撫でた。
「ちゃんと足もありますよ」
おどけて言えば、マルシアの顔はシワだらけになった。マルシアにしっかりと抱かれて苦しかったが、マルシアの気が済むまでこうしているつもりだ。心配かけちゃったんだな…。この世界には、私以上に私のことを心配してくれる人達がいる。そのことが、嬉しく、胸を熱くする。マルシアの嗚咽を聴きながら、背中を摩り慰める。この世界のお母さんを大事にしなくちゃ、改めてそう思った。
落ち着いたマルシアに付き添って、宿屋へ向かった。マルシアは、足を悪くしてから森には近づくことがなかった筈。靴は脱げ、足には傷を負っていた。肩を貸しながら、ゆっくりと歩く。
「夜の森を散歩なんて 洒落てるね」
おどけていえば、マルシアは笑ってくれた。
「渡りの樹から伝わってきたんだ、強い悲しみの気配がさ」
ミクが帰ってしまったときと同じさ。今度はマオを失ってしまうのかと、慌てて駆けつけたんだよ。あの樹がもえ落ちるなんて考えてもみなかった。
ぽつり ぽつりと語られる言葉が、真緒の心に染み込んでゆく。涙が零れないように空を見上げた。
満天の星空が広がり、真緒を包み込んでくれる。
夜空の星が、輝きを競うように存在を主張する。この世界にも星座ってあるのかなぁ。マルシアに尋ねると、足を止めてゆっくりと星々を差して繋げた。聞き覚えのないものばかり。ここは異世界なんだと改めて実感する。
でも、懐かしさはあっても切なさは感じない。この世界が私のあるべき場所になっているから…かな?
宿屋についたら、マルシアを座らせてから井戸へと走った。桶に汲んだ水は冷たいが、我慢してもらおう。床に膝をつき、マルシアの足をそっと桶の水に浸す。
「ごめんなさい…冷たいですよね。でも、傷が膿んじゃうと大変なことになるから」
「大丈夫。気にする程じゃないさ」
かじかむほどではないが、真緒の手も冷たくなっていく。マルシアだって相当冷たい筈だ。心の中で詫びながら、どうにか両足を洗い終えると、息を吹きかけ足を摩った。
「およしよ、くすぐったい」
マルシアは ひょい と足を引っ込めるとお茶をいれるよ、と奥へ入っていった。
桶を抱えて外へ出れば、森の奥に動く明かりがぼんやり見えた。
そういえば、何も言わずに来ちゃった…
手近な花壇に水を撒きながら、気づいてしまった。
あー これ、怒られるヤツだ…
だいたいこの世界の人はお節介というか 世話好きというか 心配症だよねぇ…
うんうん。
自身の考えに大いに同意する。もう18歳よ、バイトの締めになれば、お店閉めてからひとりで帰るなんて当たり前だし。どこかにいってきます、なんて一々 申告しないしね…
自分を正当化して、心に湧いた罪悪感を隅に追いやる。
…明日の朝、謝ればいいっか。
開き直った。今更 帰れないしね!
マルシアの淹れてくれたお茶は甘みがあって美味しい。ひとくち含めば ほぅ、と声が漏れた。
「…マオ、よく帰ってきた」
燃える樹を見たとき、今度はマオを失ったんだと思ったよ、こうやって会えて嬉しいよ。
マルシアは目を細めて、カップに視線を落とした。
「…あんな悲しい思いをするのは 一度きりでいい」
それは お母さんが帰ってしまったときを言ってるのかな。なんだか申し訳ない。
「ところで、私はなんであそこにいたんでしょう?」
真緒はずっと疑問に感じていたことを聞いてみた。
自分の記憶は、王妃の別邸で止まっている。
…そういえば、透けてない。
両手をかざし 何度も返して 手を見つめている真緒をみて、マルシアは声を出して笑った。もう大丈夫だ、そう言って真緒の手を優しく包み込んだ。
「濁流を止めただろう?そのとき始祖の力を繋ぐのに大きな力を必要としたんだ。真緒はこの世界と繋がる力も使い果たしてしまって、繋がりが不安定になっていたんだ」
繋がりが不安定なときに、透けちゃうってこと?電波が悪くて映像が飛ぶ感じ?
「真緒とこの世界を繋ぐためには、真緒の内にある繋ぐ器を修復しなければならなかったのさ」
私の受信アンテナがダメになったから、メンテナンスが必要だったってことね。それで、渡りの樹の中にいた訳だ。うん、納得。
で、なんで渡りの樹が燃えてたの?
「どうやら 渡りの樹ごとマオを始末したかったようだね。あの樹を燃やせば、マオはこの世界に戻ることは無い。渡り人は要らない、そういうことさ」
渡りの樹は異世界からの入り口。
始祖の力が宿る樹が無くなれば、渡り人が召喚されることも無い。マオが現れることも無いのだ。
真緒はスカートのポケットから、青紫の石を取り出した。
「…ほぅ、見事な…」
少し目を見開いたが、すぐに目を細めて呟いた。マルシアさん、これがなんだかわかるの?
「これは惹き合いの石だ。渡りの樹に選ばれ、真名を告げた者たちに託されるもの」
「目が覚めたらライルがいて…。早く帰りなさい、この石が導いてくれるからって、お母さんに言われたの」
そうかい、マルシアは否定せずに最後まで聞いてくれた。そして、石ごと真緒の手を包むと、大切にするんだよ、と手に力を込めた。
「夜も遅い。もう寝るよ。ミクの部屋を使いな、そのままにしてあるから」
ゆっくりと椅子から立ち上がるマルシアの傍に駆け寄り、支えて寝室へと付き添う。
「朝、店を手伝っていい?」
真緒がお願いすると、助かるよ、とマルシアの声を背中に聞いて扉を締めた。
2階の部屋へと向かい、扉を開けると懐かしい香りがした。
ー おかえりなさい ー
お母さんの声が迎えてくれた気がした。




