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190.父と息子の新たな関係

(…私の役割は 終えたな…)

テリアスは邸宅の長い廊下を、ニックヘルムの執務室へ向かっていた。

ライルも明日には鍛錬を始めるようだし、父上も明には王宮へと戻る予定だ。


あの騒ぎのあとすぐに、ライルを見つけるまでの行動の自由をニックヘルムに願い出ていた。

エイドルを護りきれず、その上、ライルを失うことは許されない。自身の生命を賭けてもライルを取り戻す、強い決意をもって臨んだ。

それも 今日で終わりだ。

明日からは再び囚われの身。それが私の在るべき場所だ。


ノックのあと、短い返事を受けて入室する。

ニックヘルムは執務机に向かい、書類から視線を外すことなくテリアスを迎えた。

かつて後継としてニックヘルムについていた頃の光景が 脳裏を掠め、苦いものがせり上がる。それを意識しないように深呼吸をした。そして、視線を向けることの無い(ニックヘルム)に言葉をかけた。

「宰相閣下、我儘をお許しいただき、ありがとうございました」

ニックヘルムの元で膝をつき、猶予の配慮への謝辞を述べる。そして長剣を両手でニックヘルムに差し出した。声が震えなかったことが救いだった。

ニックヘルムが席を立つ気配がする。

毛足の短い絨毯を踏みしめながら足音が近づき、影がテリアスの前に落ちた。

「…何をしている?」

「…」

「…これは なんの真似だ?」

抑揚のないニックヘルムの声に、明らかに怒気の籠りを感じて、テリアスは思わず顔をあげた。

怒りと哀しみの混じった複雑な瞳がテリアスを見下ろしていた。

「…私は許されることの無い身です。在るべき場所に戻るだけです」

ニックヘルムから視線を外し、再び床に視線を落としてさらに深く頭を下げた。

「…」

テリアスの腕から重みが消えた。

長剣はニックヘルムの手に取られた。それを視界に収め確認すると、テリアスはその腕を降ろし、騎士の礼をとり言葉を紡いだ。

「宰相閣下…私の生命は王家に捧げ、その忠誠は命尽きるまで王家と共に」


「…父とは呼んでくれぬのか…」

しばらくの沈黙の後、吐露された言葉にテリアスは固まった。身動きできず、その言葉を反芻する。

見開いた視界に、ニックヘルムが鞘から抜き去り、剣を構える姿が映る。

「…お心のままに」

父の手にかかるのならば本望だ。

自身の身体のから力が抜けるのがわかった。

抜きみの剣が陽光を受けて妖しい光を放つ。それを恍惚と見つめた。


刹那。

首筋に向けられた剣先は、皮一枚に印を残して空を斬り、ひたり とテリアスの肩で止まった。

何が起こったのか…

瞬きも忘れ、剣をもつ(ニックヘルム)をみつめた。

「…牢獄に囚われていた者はこの世に存在しない」

凝視するテリアスの視線を正面から受けて、ニックヘルムは挑むように視線を返した。

「失ったものを取り戻すのは難しい。人の口に戸は立てられぬ。ましてや、敵が多いのは事実。茨の道となるだろう。それでもこの国のため、ナルセル王太子を支える礎となるか」

「はい。許されるならば盾となり剣となりましょう。命尽きるまで王家と共にあることを誓います」

ニックヘルムの問いにテリアスは迷わず応えた。

互いの意志を含んだ強い視線を交わし、無言のやり取りが為される。静かだが炎立つやり取りの末、ニックヘルムは頷いた。


「テリアス、お前を赦す。その身を終生、この国の平和と安定に捧げよ」


その言葉に テリアスの胸に熱いものが込み上げ、拳を握り礼をとる。目頭が熱くなり、溢れるものを抑えられなかった。

「…父上…」

男泣きに泣くテリアスの背中を、傍に屈んだニックヘルムの手が優しく撫でる。


父に赦される。

それは、王命よりもテリアスにとって価値あるものであった。



「そもそも、貴方は罪になど問われてなかった」

新たな声に、テリアスは開け放たれた扉に視線を向けた。ヴィレッツが扉にもたれ、呆れ顔でふたりを見ていた。

「宰相も人が悪い。テリアス殿は、あの企みの内偵に関わっただけのこと。そうでしたな?

陛下救出に力を尽くした者を罰する理由など無いというのに 一族の問題だと言って引かず、陛下が止めるのも聞かず処罰を加えようとするので、私があの監獄に投獄したのだ」


え…?

テリアスはニックヘルムを見つめた。居心地の悪い様子で視線を泳がす姿は、ヴィレッツの話しの信憑性を高めた。咳払いと共に立ち上がると、執務机に向かった。

忙しなく書類を手に取る。

仏頂面を必死で保とうとする努力が 透けて見え、ニックヘルムの人間味溢れる姿に、父を身近に感じた。

ヴィレッツとテリアスは顔を見合わせ その思いを共有した。

「改めてよろしくお願いいたします、殿下」

テリアスは長剣を腰に戻し、ヴィレッツに騎士の礼をとった。頼もしいね、ヴィレッツは人を惹きつける微笑みを浮かべ、握手の手を差し出した。

固く握られた手に、期待に応えたい、テリアスは そう心から思った。


「殿下、何か伝えることがあるのではないですか?」

ふたりのやり取りを書類を相手にする振りをしながら伺っていたニックヘルムは、会話の切れ間を待って声をかけた。

その言葉にヴィレッツの表情が、引き締まりやり手といわれる者の顔を見せた。

「ビッチェル王子が、留学先を密かに出国した。この王家の庭で保護することとなった」


反乱の旗印に担ぎ出されたビッチェルは成人前であったことから、王妃アルマリアの実妹の嫁ぎ先である国に留学の名目で預けられていた。

国王夫妻にとって、ナルセルと同じ愛情を向ける我が子である。それが更なる反乱の火種となりうることを承知で、生かす道を模索していたのだった。

そのため、隣国を避けて関係の薄い国へと送り出したのだ。そのままその国で一生を終える。そうなっても良いとさえ考えていた。生きていてくれれば、外交という手段の中で訪ねていくこともできる。

この留学に関しては、ヴィレッツもニックヘルムも異論はなく、ユラドラと事を構える前に速やかに実行されたのだった。


「なぜ、出国されたのだ?向かう先はここ(エストニル)なのか?」

ニックヘルムの問いに、ヴィレッツも困惑した表情を浮かべた。二人にとっても想定外の出来事だったのだろう。

「…テリアス、どう考える?」

ニックヘルムの問いに、顎に手を当て暫し思案する。

「目的はわかりませんが、エストニルを目指すのであれば、ユラドラを通過するしかないでしょう。どれだけの護衛がついているのか不安です。まだ国情が不安定な国ですから。サウザニアに保護されれば厄介ですね」

テリアスはユラドラの治安維持部隊に潜む(シュエット)を動かしてはどうか、と つけ加えた。表立って騎士を動かせば悟られかねない。

了承の意を含む頷きをすると、それを受けたヴィレッツは指示を出すために退出していった。


「テリアス」

その姿を見送って、ニックヘルムは息子の名を呼んだ。

「すまなかった…、息子を失うのならこの手で送ってやりたかった。それが、お前を追い詰めた父親としての責任だと思っていた」

テリアスはゆっくりと横に首を振り、真っ直ぐな視線を向けた。

「いえ、父上。私はそんな貴方の息子であることを誇りに思います」

その言葉にニックヘルムは天を仰ぎ瞑した。


ありがとう…


そんな言葉が、父の口から紡がれた━━ 気がした。












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