186.願い
「おいっ!エイドル!」
ダンはテリアスの手から息子を奪い取ると、身体を強く揺すった。風に舞う木の葉のように、刺激に揺れるエイドルの身体は、ダンを強い不安に陥れた。
「ダン!落ち着け」
ライックがダンの腕を強引にエイドルから引き離した。テリアスはその隙にエイドルを松明の下へ移動させて、全身を確認する。
細かい傷は負っているものの、致命傷になる大きなものは無かった。大腿には鋭利な一文字の傷があり、これが負った傷の中では大きなものだ。その傷口を服を裂いて確認する。松明の火を近づけてみれば、傷口には血液とは違う緑が付着していた。ダンを押さえ込みながら、それを確認したライックの表情が変わった。
「…毒だ。サウザニアの暗部が使うヤツだ。恐らくライルが受けたものと同じだ」
エイドルの浅い呼吸は 速さが変わる。時折苦しげに顔を顰めるが、ダンの声に応えることは無かった。
ライックは懐から取り出した小瓶を、エイドルの口許へ当てると、迷うことなく流し込んだ。
「飲め!」
口から溢れるのも構わず、何度も頬を張り刺激する。喉仏が動いたのを確認すると、残りを傷口に振りかけ荒々しく傷を拭うと、自らのベルトで傷の上を縛り上げた。
「解毒剤だ、王宮へ運ぶぞ」
その声は、ダンに向けたものだったのだろうが返事など期待していないのか、イザを呼びつけた。
ライックに呼ばれたイザはエイドルを抱きかかえて走り出す。
「ここはいい、エイドルについてやってくれ。向かう道すがら襲われたら防ぎきれない」
ダンに強い視線と口調で指示を出すと、弾かれたようにダンも後を追った。その後ろ姿を視線で追って、大きく息を吐く。間に合ってくれ…
「済まない、私が遅れたばかりに…」
テリアスは下唇を噛み締め、拳を瓦礫に叩きつけた。エイドルを狙う刺客を始末しつつ後を追っていたが、予想よりも数が多く手練が揃っていたのだ。全て伏しはしたもの、テリアスが対峙の場に着いたのは爆発が始まった頃だった。その炎の勢いになかなか近づくことができなかったのだ。
「…済んだことです。テリアス様はライルのところへ行ってください」
淡々と指示を出すと、ライックは部下が取り押さえているクバムへ向かっていった。
その背には焔が立ち昇っていた。ライックの怒りが伝わってきた。
あの男は己を戒めている。
全能神など存在しない。人間も然りだ。
それでも、あの男は己を責め続ける。
宰相の手となり、幾多の闘いの中で多くの生命を奪い、仲間を失ってきた。自分が生き残っていくことが重い枷となっていることを、テリアスは知っている。
ライルがイヴァンの毒に倒れたときのライックは尋常ではなかった、と聞いた。
ここで彼を失えば、凧の糸が切れてしまうのでは…。その背に危うさを感じずにはいられなかった。
(死ぬなよ…)
テリアスは強く願わずにはいられなかった。
そして、あの青年と もっと話がしてみたい、そう思った。
「師団長殿、これはどういうことかな?」
後ろ手に拘束されたクバムは、近づいてくるライックを視野に収めると、声を荒げて抗議した。その様子を冷ややかな目で見おろし、ライックは己の剣を抜き、剣先をクバムに向けた。
「わ、私はあの護衛騎士に呼び出されたんだ。渡りの姫を条件にサウザニアに亡命したいと言われたんだ」
唾を飛ばすように身勝手な主張を繰り返すクバムに、ライックは一方の口の端を上げて、射殺しそうな視線を向けた。
「お前の孫娘は、第一王子との婚姻はできない。なぜなら既にこの世にいないからだ ━━ お前の息子共々、消された 」
「う、嘘だ…嘘だ…」
「お前の息子が第一王子派に与し、娘を王子の妃候補に取り立てることを条件にお前と連絡を取り合うように指示したことを掴んだ。長くエストニルにおり、王妃の信頼も厚いお前なら、渡りの姫を連れ出すことも可能だと考えたのだろうな」
クバムの瞳は焦点が合わず 宙を彷徨い、意味を持たない言葉を紡ぐ声は震えていた。
「ダジーラ公爵は厳正な方だ。サウザニアから我らエストニルに処罰は一任すると書状をもらっている」
覚悟するんだな、そう告げると部下に連れていくように指示する。
掃討は既に終わりを迎え、焚かれた松明は昼のように辺りを照らしていた。
あの爆発は エイドルが仕掛けたものなのか。
焦げたロープが瓦礫の隙間に残り、それを辿れば壺が置かれていた。ライックはそれを引き出し覗き込む。
油に浸されたロープが沈んでいた。
燃え残ったロープの近くには麻袋が置かれ、それを開けば白い粉が入っていた。
(これは…マオが言っていた粉に火がついて爆発するやつか)
エイドルは多数を相手にすることを想定して、仕込んでいたのか。
親不孝するなよ、エイドル。
俺より先に 冥土の門をくぐるのは許さない
追い返されてこい
這い上がってこい
ライックはまだ輝きが衰えない月を見上げた
長い夜になるな




