175.離宮の主
夕食を終えるころ、ライルはやってきた。
疲れが顔に出ているが、顔色は朝よりいいようだ。ほっとして笑顔を向けると、ライルはサロンで待っている、と言い残して出ていった。
残りの食事を下げてもらい、サロンへ向かう。
エイドルが物言いだけな視線を向けるが、無視だ。
夜は寝ずの番の侍女が今晩から つくことになったのだ。エイドルの気持ちは汲んだ筈だ。
オープンスペースになっているサロンはガラス張りの大きな天井が特徴的で、灯りを落とせばプラネタリウムのようだ。月の綺麗な今夜は星が降ってくるような錯覚に陥りそうだった。
ソファに寛ぐライルの姿は一幅の絵のようだった。
眼福。しばし見とれて目の保養をする。
久々だなぁ、こういう気持ち。
こういうことを自然に考えられるって大事よね、うん。調子でてきた。
思考に夢中で足が止まっていたようだ。エイドルに背中を小突かれて、再び歩みを進めた。
「体調はどう?疲れただろう?」
ライルは自身の隣を示すと、おいで、と誘った。
嬉しい、顔が綻ぶのが自分でもわかる。
気恥しさはあるものの、真緒はそれに従い隣に腰を下ろした。ゆっくり回される腕に包まれて、ライルの胸に寄りかかる。
鼻腔を擽る ライルの香り、 落ち着くなぁ…
やっぱり 私 この人が 好き
心臓がやけに早くて息苦しいよ…
温かい何かが胸に溢れて 胸を締めつける
ふっ、と意識が飛びそうになる
このまま
この腕の中で 消えたしまえたら幸せなのに…
━━ ダメ!
慌てて 打ち消して、ライルの顔を見上げた。
見つめ合うように視線が合うと、ライルは髪を撫でながら話しを始めた。
「しばらくここがマオの暮らす場所だ。俺もできるだけ顔を出すようにするからね」
「無理はしないで…。ところで、ここは誰の お屋敷なの?」
まだ挨拶もしてなくって。
真緒の言葉にライルの顔が苦々しいものになる。
あれ?ヴィレッツ殿下のものだとばかり思っていたけど、違うのかな?
答えを求めてじーっと見つめると、観念したように答えを教えてくれた。
「…アルマリア王妃の離宮だよ。王妃たっての希望だ」
えーっ!王妃さま!?
予想外の答えに目を見開いてライルを見つめ返した。
何故、王妃がそのようなこと仰ったのか よく分からないのだが、と前置きしてライルが語ったのは、とんでもない内容だった。
ナキアと共に淑女教育を受けることが決まっている、というのだ。国王の娘である渡りの姫は亡くなった。私は王妃の遠縁の娘で、王妃の後見を受けるのだそうだ。何故、王妃さま?そもそも何故、後見が必要なの?
…貴族の考えることはわからない。
心底不思議だと口にすると、ライルは少し怒ったような顔で、真緒を抱きしめた。
「公爵家と婚姻を結ぶには、それなりの身分と後ろ盾が必要になるんだ」
ふーん、そうなんだぁ。
ん? 婚姻?って結婚のこと?
え? 私が 結婚?
目玉が落ちそうなくらい見開いた状態でライルを見れば、本格的に怒気を含んだ表情で深い笑みを浮かべていた。
「俺では 不満?」
ええっ?
嬉しいけど、そんな状況でもなくってですね
えーっと…
言葉に詰まって、赤くなったり青くなったりしていると、ライルが吹き出した。
大丈夫、マオならちゃんとできるよ、
淑女教育に不安を感じていると 勘違いしてくれたようだ。そういうことにしておこう、
うん。これ、平和的解決。
明日、お忍びで王妃さまがここに来られる。
そのことを伝えに来てくれたようだった。
ライルはエイドルにいくつか指示を出すと、暗い森に消えていった。近衛騎士に復帰したライルは王宮で職務が待っているのだ。
その背を見送ると、ため息が出た。
「…マオ、やっぱりライル様に隠しごとは良くない」
エイドルの声色があまりにも真剣で、真緒は耳を塞いだ。…駄目。
知られたら ライルは私の傍を離れないだろう。職を放棄してでも、私を閉じ込めてしまうだろう。
だから、言わない。
そのときまで、幸せな夢を見ていたいから。
寝不足の頭を冷たい水で顔を洗って覚ます。
重い身体をゆっくりと動かして、王妃を迎えるための身支度を進めていく。ドレスなんて、一人では着られない。三人がかりで下着の着付けからヘアセットまで作業が続く。
締め付けられたコルセットが胸とお腹を締め付ける。
上手く吸えない息を、浅い呼吸で誤魔化して、下っ腹に力を込めた。
よし、やれる!
私は 強い! 要は 気合いだ!
拳を突き上げたくなるのを必死で堪えて、鏡の中の自分と向き合った。
化粧で隠しきれない、隈が目許に鎮座している。
疲れが滲み出たような皮膚の張りの無さに加え、顔色の悪さ…
私、18歳だよね…ピチピチお肌のはずだよね…
商売のおネエさんたちもビックリな程の念入りメイクの自分にちょっと引く…。もう誰の顔だか、素地がわからないよ…
かなり本気で落ち込んでいると、鏡越しに視線がぶつかった。物言いたげな視線の主はエイドルだ。
しばらく鏡越しに視線を合わせていたが、侍女たちがいるからかエイドルから声をかけてくることは無かった。
言いたいことは、わかる
だから… 何も 言わないで
視線に願いを込めて見つめ返し、視線を外した。
「お嬢様、お支度が整いました」
年嵩の侍女の声にハッとして、思考の海から戻る。
ベリショートの髪は、焦げ茶の落ち着いたウィッグで覆われ、長めに流された前髪が影を作り、黒曜の瞳を上手く隠していた。念入りメイクで陰影のついた顔はすっかり別人だった。
「ありがとうございます」
ぺこり、と頭を下げれば その重さに目眩がした。
侍女が慌てて真緒の行動を制止する。
「身分のある方が腰を折るのは目上の方だけです。我々にそういったことはいけません」
静かだが、反論を許さない口調で年嵩の侍女に諭されて、とりあえず頷いた。
そんなこと言われても、しきたりとか知らないし
…息が詰まる
本当に 籠の鳥 だね
綺麗に着飾り 尋ねてくる誰かを待つだけの暮らし
そんなの 嫌だな…
何かを望めば 何かを諦めなければいけないのかな
ライルの傍にいるためには
自由を手放すしか ないのかな…
「お嬢様、お迎えのためエントランスへ」
侍女に従いドレッサーから立ち上がる。
足元がふらつくが根性で堪える。慣れないコルセットは苦しく、ドレスもめちゃくちゃ重い!靴なんて見えないんだから、スニーカーかサンダルにして欲しい。ヒールのある洒落た靴は、さぁ転んでください!と言ってるようなものだ。
毛足の長い絨毯の上を、忍び足で慎重に踏み出してゆく。スピードより安全重視だ。亀の歩みに侍女たちの顔色が変わる。私の耳にも馬車の音が聞こえてる。
分かるよ、分かるけどこれ以上は早くならないよ?
この感じでは、王妃様の方が先にエントランスに着いてしまいそうだ。
「失礼」
声と同時に真緒の視界は天井を映した。
エイドルが真緒を横抱きに抱えて、歩き出したのだ。
「うわぁっ!」
姫らしからぬ声が出たが、ご愛嬌だ。エイドルの後ろを足早に追ってくる侍女たちのホッとした雰囲気を感じながら、先触れの従者がやり取りをしているところに滑り込みセーフ!
手馴れた手つきで乱れたドレスと髪を治すと、侍女たちは後ろへ下がっていった。
頼りのエイドルも、少し離れて控えている。
頼るのは 自分だけだ。
もう逃げ隠れできない。腹を括るしかない。
気合いを入れて拳を握れば、エイドルの渋い顔と目が合った。
(わかってますって!)
表情筋を駆使して、なけなしの女らしさを引っ張りだして微笑み返すと、それでいい、とばかりに頷き返された。なんかムカつくなぁ…
エントランスの空気が一変した。
私以外の人達が、緊張感を持って膝をおり、礼を尽くして出迎えているのが伝わってきた。
カーテシー?そんなの知らない。
私の最上級の挨拶は90度のお辞儀だ。
真緒はゆっくりと頭を下げた。
勢いづいて下げたら ウィッグが飛ぶ。
それに気を配るくらいの気持ちの余裕はあるのだ。




