162.広場の夜
山の斜面を切り崩したような土地に階段状に作られたベルタは3区画に大分される。
高台のエリアは貴族の邸宅がある区域だ。
治安維持のため、通常は門扉で管理されていた。
中層には広場があり、貴族の邸宅区画と区別され貴族相手の商家が立ち並ぶ場所だ。邸宅区域との間に門扉があり、騎士団が常駐している。さらに庶民の暮らす下層との間にも門扉があり、守備隊が庶民の立ち入りを厳しく制限していた。
下層は平野部に広がる庶民の街で、通常ここがベルタの街と言われる場所である。
イザは下層と中層を区切る門扉の守備隊の隊長を人質にとると、開門させてベルタの街の住民を高台にある中層の広場へと避難させた。
誘導をしていた部下たちから避難完了の報告を受けると、先程の暴雨が嘘のように止んだ空を見上げた。
いま どうなっているのだろうか。
杞憂に終わればいい。
反逆罪に問われても構わない。それでこの街の人たちが護られるなら本望だ。
「副団長、大変です!」
駆け寄ってきた部下が、イザに耳打ちした。
水門を守る砦にウェイザス侯爵が兵を送ったらしい。
水門を開けるように迫ったが、命令に従わず立てこもっているらしい。命令を聞かないのなら武力行使するまでだと派兵したようだった。
「…状況はどうなんだ?」
「山神の男たちが懸命に濁流の勢いを殺そうと試み、方向を変えようと奮闘しているようです。それでもまだある程度の濁流がこちらに向かっています」
エイドルは砦に間に合っただろうか…
あそこの隊長はマルガだったな。
豪快な兄貴分の顔を思い出し、水門を死守してくれるだろうと確信して苦笑いする。
マルガ、すまないな。お前も巻き添えにしたな…
恨み言はあの世でたっぷり聞いてやるから、しっかりと護ってくれよ…
暗黒の空が突如、太陽のように眩しい球体に照らされた。広場の人々も何事かと空を仰いだ。
イザが水門の砦の方角に目を向けると、閃光を放つ球体が宙で爆発した。
ほぼ同時に大地を突き上げる大きな揺れが広場を襲った。
怒号、悲鳴、泣き声が混ざり、それを抑えるための男たちの声が飛び交う。広場はパニック状態に陥っていた。
咄嗟に目を瞑り、その光を避けたイザは、広場を見渡し部下に指示を出す。続くかと思われた大地の揺れは二度起こることなく、パニック状態の広場は徐々に落ち着きを取り戻してきた。
怪我人や病人がいないか、再度確認するように指示を出し、更に高台へと情報を得るために移動した。
もう濁流が到達してもおかしくない。
眼下に広がるベルタの街に変化はないようだ。
穀倉地帯へ逃れたか…
朝日が登れば被害の程度はわかるだろう。
崩れた壁に腰をおろし、大きく息を吐いた。
明日には捕らえられ、もうこの世にはいないだろう
この街も見納めだ。
ミクとの思い出が詰まった街。
時計台の鐘がなるとき恋人が愛を誓うと 永遠の愛が叶うというジンクスをかなり本気でミクに強請ったこと
噴水広場で待ち合わせをしたこと
いつも息を切らして、真っ直ぐに走り込んできたあの笑顔
屋台で食べ歩き、ミクの好きな花を買って贈ったこと
他愛もないお喋りが、
何気なく頭を撫でる細い手が、
イザの脳裏に鮮やかに蘇った。
「…ミク。死んだらまた会えるかな…」
そうだったら いい。
そうだ、ミクに会えたらマオの話をしよう。
さすがミクの娘だ、そう言ってやるんだ。
そう思ったら、明日が楽しみになってきた。
もう一度大きく息を吐き出し、勢いをつけて立ち上がった。
「…副団長…」
ガサガサと草を踏む音と共に腹心のハルトがやってきた。いつにない思い詰めた表情でイザの前にくると
「逃げてください」
とおもむろに詰め寄った。ここは、俺たちで何とかします。このままでは殺されてしまう。
真剣な眼差しで詰め寄るハルトを イザは両肩を掴んで優しい眼差しを返した。
「オレは間違っていない。だから、逃げない。街も人も救えた。それでも国家に損害を出した責任はとるつもりだ」
静かな決意が籠った声に、ハルトは身を固くしてイザを見つめた。
「お前らのことはオレが護る。ライック師団長が何とかしてくれる筈だ。後のことは頼むぞ」
お前に託すぞ。肩を叩けばハルトは振り払い、イザの胸ぐらを掴み顔を填めて拳を奮った。
「副団長…!殺されるってわかってるのに!」
拳を受け止めながら、イザは苦笑いをうかべた。
「おいおい、恋人の告白みたいだなぁ」
オレの好みはな、イザがおどければハルトは潤んだ瞳をぐいっと拭うと睨んだ。
「知ってますよ、こうでしょう?」
両手でボン、キュッ、ボンを表わせば、イザは、わかってるね!と満足気に頷いた。
ハルトの視線にイザは真顔になると、真剣な視線を向けた。
「後のことは任せたぞ。すぐに追ってきたら容赦しないからな」
すぐに背を向け、天を仰いだ。
そうしないと 何かが溢れそうで、何かを口にしてしまいそうだった。
しばらく二人で星空を見上げていた。言葉を交わさなくても、互いの気持ちが通じ合っていたと信じたい。
「さぁ、街の人たちを護らなければ」
イザはハルトに声をかけると、振り返らずに広場をめざした。
心の整理はついた。
明け方までの時間を ベルタの人々と過ごそう。
そんなイザの背中を複雑な心境でハルトは見つめた。
どうにもならないことなのだろうか…
助けることはできないのだろうか…
こんな漢を失うわけにはいかない━━━
「おい、ナイザル。そこに居るんだろ?」
暗闇に声をかければ、ガサガサと音を立てて男が現れた。
「副団長を助けたい、力を貸してくれ」
ハルトがそう告げれば、ナイザルは大きく頷いた。
二人はいくつか言葉を交わし、暗闇に消えた。




