161.水門の攻防
ベルタの街へと急ぐイザに、水門を守るようにいわれたエイドルは馬を走らせていた。
ベルタの街へと引き込まれる水路はこの水門で管理されており、夜は必要なものを除き水門が締まる。
濁流が迫るとわかれば、穀倉地帯を守るために貴族たちが水門を開けろと 言ってくるだろう。場合によっては強硬手段に出るかもしれない。
それを阻止し、ベルタの街に濁流の被害が及ばないようにすること、これがエイドルに託された使命だった。
エイドル、すまない。
ベルタを守るためにお前を危険に晒すことを許してくれ。貴族に逆らえば、場合によっては国に逆らうことと同じになる。反逆罪に問われるかもしれない。
それでも、街のみんなを護るのが自警団の使命だ。
オレはみんなを高台へ避難をさせる。
水門を開けさせるな!
イザの覚悟を持った眼差しが、エイドルの脳裏に蘇る。走る馬の上、荒れた天候は嘘のように消え失せ、月光に照らされた水門を見据えた。
尊敬するイザに頼りにされたことの悦び、重大な任務を担う緊張感が、高揚感を生む。
馬の勢いを止めることなく、水門を管理する砦に走り込んだ。
この砦の管理は自警団が委託されている。
砦には騎士団も紙面上は常駐しているが、生活用施設のため、有事の際にベルタの騎士団が駆けつけるようになっており、通常は水門管理の技師と自警団から数名の騎士がいるのみだった。
エイドルが管理室に駆け込むと、数人の男たちが望遠鏡を片手に集まっていた。
いきなり現れたエイドルに一様に驚いたが、そのような状況ではないのか、すぐに議題に戻った。
「━━━ 水門を開けろ、というのか?」
「あぁ。ウェイザス侯からの命令だ。穀倉地帯を守れ、と」
「!!開けたらベルタの街に濁流が流れ込むぞ!」
机を叩き激昂する者が声を荒らげる。
濁流の報告が伝わっている。
そして、イザが懸念したように貴族の命が下っていた。
エイドルは意を決して、喧喧囂囂に割り込んだ。
「イザ副団長から水門を死守せよ、との命令です!」
怒鳴るような大きな声でひと息に叫んだ。
水を打ったように静けさを取り戻した室内に、エイドルの低く静かな声が響く。
「副団長は、ベルタで街の人たちを高台へ避難させるために向かっています。この水門を開けさせるな、貴族たちから護れ、そう命令を受けました」
反逆罪に問われるかもしれない。
それでも街を守る、それが自警団だ。
エイドルはそのためにここに来たのだと、男たちを見回して告げた。
山神の男たちが懸命に濁流の勢いを殺そうと試み、方向を変えようと奮闘していることを伝えると、砦の隊長はエイドルの肩に大きな手を置いて、わかった、とひとこと返した。
ここに居るものの多くは、ベルタに家族や親しい人が居るのだ。
水門技師を守るため安全なひと部屋に集めて護衛に3人残すと、隊長とエイドル、3人の男たちの5人は砦の門へと向かった。
先刻から水門が開かないことに業を煮やしたウェイザス侯爵が寄越した騎士たちが、砦の門外で開門しろ!と 声を上げていたからだ。
「おいっ!ここを開けろ!水門をなぜ開けない!貴様らは命令に逆らうのか!」
高圧的な声が扉の向こうから聞こえてくる。
隊長は両肩を竦め、エイドルをみると口の端を上げて不敵な笑顔を浮かべた。
「誰の命令で動くかなんて 分かりきったことなのにな。オレはイザの命令に従うぞ」
それに呼応するように三人の男たちも、そうだ!貴族の都合なんて知らねぇよ、と気炎を吐いた。エイドルよりも20は歳上の男たちはイザとよりも年嵩に見える。イザがどれだけ信頼を得ているのかを改めて知った。
「外は何人だ?」
隊長は砦の見張り台に怒鳴った。
「20~30弱ってところでしょうか」
なんとも大雑把な数字が返ってきた。隊長にとってそれはどうでもいいようで、一人5.6人ってとこか、と呟き抜刀した。
「おい、坊主。俺が何人か貰ってやるよ。だから死ぬなよ」
エイドルも男たちに倣って抜刀した。抜きみの剣は月光を受けて青白く怪しく輝いた。それを軽く払うとエイドルも門を睨んだ。
「いい面構えだ」
隊長の言葉を最後に、皆が口を噤んだ。
門が外から打ち破られるときが迫りつつある。軋む門扉に視線を集中し、剣を構えその瞬間を待った。
「いくぞ!」
低く短い隊長のひと言が合図だった。
なだれ込んできた騎士たちに5人は切り込んだ。松明が炊かれているので相手の姿を追うのに苦労はない。水門の施設に入れないように、わざと施設までの道を封鎖してむかえ、通り道を細くして隊長を先頭に間隔をあけて男たちが縦に陣取り、すり抜けてきたものを次のものが相手をしていく。エイドルも隊長が切り結ぶ脇を抜けてきた騎士に一撃を繰り出した。
いきなり昼間のような明るさに照らされ、大地が割れるのような大きな突き上げは轟音を伴い砦を襲った。
「なんだっ!」
大地に投げ出された隊長はすぐに立ち上がり、睨みをきかせながら油断なく周囲を警戒する。
見張り台から投げ出された男が持ち場へ戻る。
照明弾のように辺りを照らした光は、新たに生まれた湖を見張りの男に晒した。
「え…、え…っ!」
「ハッキリしろっ!」
信じられない光景に声を失っている見張りを一喝し、エイドルと背向かいになると、エイドルに背後を任せて見張り台に怒鳴った。
「見たままを言え!」
「きょ、巨大な湖がっ、できてます!濁流は見当たりません!」
「水路の水位はどうだっ?」
「上昇はありますが、溢れていません!」
そのまま監視を続けろ、と怒鳴ると、目の前の騎士たちに向き直った。
「聞こえたよな?争う理由があるか?」
まだやるなら相手になるぞ、そう続けると剣を構え一歩踏み出した。
明らかに戦意喪失の騎士たちは、剣を引いた。
死者は無いものの 怪我人を多く出し、横柄な態度で砦の荷馬車を勝手に持ち出して収容すると、負け犬の遠吠えのように、逆らった罪は重いぞ、など喚き散らしながら引き上げていった。
その後姿を見送りながら、隊長はエイドルに向き直った。
「お前はすぐにここを離れるんだ」
存外な言葉をかけられて、エイドルは固まった。
なぜ…?
「あのプライドの高い侯爵の事だ、すぐにオレたちを捕らえに来るだろう。責任はオレが取る。理不尽なことで死ぬのは少なくていい」
なぁ? 隊長が他の三人に求めれば、そうだよ、こういうのは俺たちに任せろや、と同意の声と共に 背や頭を小突かれた。
「イザを頼む。多分アイツも捕らえられるだろう。だが、アイツのやった事は街を救った。間違っちゃいない。ライック師団長にことの次第を訴えるんだ。真実がちゃんと伝わるように」
お前だから頼むんだ。そう告げる隊長の真剣な視線をエイドルはしっかりと受け止め頷いた。
引かれてきた馬の手綱をエイドルに押し付けるように渡すと、隊長は豪快に笑った。
エイドルはは深々と頭を下げると、馬上の人となった。
「行きます!」
そう告げると、馬の腹を蹴り振り返らずに砦を後にしたのだった。




