16、待ち人
ライルは渡りの樹を眺めていた。
湖畔にしっかりと根を張り深緑の枝を大きく広げ森を包み込んでいる。精霊の力を宿すといわれている大樹は 存在するだけでその場を支配していた。その姿に畏怖の念を抱く。それは 自分は渡りの樹に導かれたのだと知らしめた。目を閉じ、森の息吹をに同化する。
心地よい湖からの風に包まれながら 真緒を想う。
ライルは早朝の宿屋を訪れた。離れた立ち木の陰からから中を窺う。
活気溢れる食堂でクルクルと良く動く彼女は踊っているようだった。客が何か話しかけている。真緒はそれを笑顔で返す。周囲に笑顔が連鎖し、笑い声は外まで響いていた。
真緒が宿屋の預かり子であることの確認でもあったが、彼女に会いたい気持ちが 早朝から馬を飛ばした理由でもあった。
真緒はくるだろうか…
聞きたいことは山ほどある。それが些細なことに感じるほど、ただ会いたいと思った。
心地よさに身を委ねていると、草を踏む音が微かに聞こえた。期待をもって身体を起こすと、木々の隙間からこちらに向かってくる真緒がみえた。シンプルな深緑のワンピースに白いエプロン姿の彼女は木漏れ日を浴びて輝き、束ねた髪が歩みに合わせて揺れている。胸の高まりを抑えられず、真緒に駆け寄ると腕に抱いた。
「…会いたかった…」
うわ言のような呟きが真緒を包む。捉えられた腕の中、真緒は身動きできずにいた。
歩いているときからライルに気づいていた。
いた!
口から心臓がでそう。鳥の囀りより自分の鼓動が耳に響く。あぁ もう煩い!鎮まれ!
恥ずかしさに わざと視線を外し歩いていく。
突然視界が遮られ、温かい何かに包まれた。ライルの腕に抱かれ、鼓動が一瞬止まった。何も聞こえない。認識してしまったら、脳の暴走が止まらない。言葉にならない心の声が悲鳴をあげていた。離して!私、死んじゃいます!
真緒を包んでいた体温がゆっくり離れていき、寂しい、と思ってしまう。強請るように上目遣いでみつめている自分に 気付き、俯いた。
(人も 南フランス仕様なのかな…。日本人には刺激強すぎ…)
本当に心臓が持たない。勘弁してください…
ライルと並んで座る。
湖畔の風が、火照った身体に気持ちいい。心の平穏を取り戻すために 深く息を吸う。木々の香りに真緒の心は凪いでいく。
「マオ、君のことが知りたい」
ライルはそう切り出した。キャンパスを差し出す。
「これは ここを描いたものだよね?」
話して欲しい、ライルの左手が真緒の右手にそっと触れる。少しずつ力が込もり、握られていく。
真緒は頷き、水面をみつめた。
━母と2人で生きてきたこと、その母が死んでしまったこと、母の願いを叶えるため渡りの樹に来たこと、気付けばここに居たこと。
宿屋のマルシアに世話になっていること。
この絵とペンダントは 母が大事にしていたものよ━━
真緒が話すのを黙って聞いていた。
やはり渡り人だったか。
「母上の名は?」
「未久よ。なんで?」
疑念が確信に変わった。真緒はやはり未久の娘だった。18年前、ミクは元の世界へ戻ったのだ。
「父上のことは?」
「…知らないの。お母さんは最後まで教えてくれなかったの。《あなたのお父さんは王子様なのよ》だなんてふざけてる」
真緒は肩を竦めた。
その言葉の衝撃は計り知れないものだった。




