159.贖い
近づく人の気配を感じ、真緒はライルから身体を離した。リュードは疲労を顔に滲ませながらも、満たされた表情を浮かべて真緒の前に膝を折った。
「感謝致します、渡りの姫よ。ことは成った。我々は新たな護りの力を得た」
深々と頭を垂れるリュードの姿に、慌ててライルの腕から抜け出し、真緒も深々と頭をさげた。
正座で両手をつき、額を地につけて━━
ん? これって土下座じゃん?
思わず自身にツッコミを入れた。
さて、私は何をしたのでしょうか?
お礼を言われるくらいだからやらかした訳では無いのよね…
ライルも怒った様子ではないし、そこは安心して良さそう…
山上の男たちによって松明が炊かれ、辺りが明るさを取り戻していくと、周囲の風景が顕になっていく。
その惨状を目の当たりにし、運び出されるナキアの後ろ姿に、楽観的だった自分を全力で後悔した。
やっちゃった…みたい…?
ナルテシアは始祖の力を繋ぐ役目を果たしてほしい、と言っていた。
で、繋いだ結果が これ?
なぎ倒された木々に散乱する枝や岩、運び出されるナキア。
やらかしの証拠が 目の前に広がっており、無言で批判されていると思えるのは、被害妄想だろうか…
もしかして、ナキアは私を止めようとして…?
なんだか居た堪れない気持ちになって、リュードに向けて再び頭を下げた。
「すみませんでした、ナキアは私を止めてくれたんですね…」
「違う、ナキアの力不足をマオが補ったのだ」
あのぅ… 結果 私は何をしたのでしょう?
この惨状の説明を是非お願いしたい
「黄泉の道を開いたのだ。その力が石版の護りの力を新たに築いた」
「…黄泉の道?」
んん? 新たなキーワード、何それ?
真緒が詳しく説明を求めようとすると、ライルがそれを遮った。知らなくていいんだ、そう態度が伝えてきた。
なぜ? なんで知ってはいけないの?
問い詰める視線から逃れるように、ライルは真緒を胸に抱いた。
「いいんだ、もう終わったんだ」
ライルはマオに告げながら、自身にいいきかせるように何度も繰り返した。
知らなくていい。
黄泉の谷で多くの生命が失われたであろうこと。
それが自らが関与している事実は、マオを苦しめるだけだ。彼女が望んだことでは無い。我々が彼女を利用したのだ。真実を知ることで、これ以上苦しませたくない。
リュードはライルの言動で、悟ったようだった。続けて説明することもなく口を噤んだ。
そこへ早駆けの蹄の音が聞こえてきた。
リュードとライルはその音の方へ視線を移すと、暗闇から松明の明かりに浮きだされたシルエットが、リュードの名を呼びながらこちらに向かってきた。
リュードが存在を示すように 石版近くの松明の下で大きく手を挙げると、騎馬はリュードの前まで走り込み止まった。
馬の息か荒い。
馬上の人物は、差し出された水も受け取らず、一気に言い切った。
「濁流がベルタに向かっています!」
告げられた事実に、作業をしていた周囲の男たちの動きも止まった。リュードは表情を殺して続きを促した。
黄泉の谷から放出された濁流は、支流と岩場に阻まれてその流れを弱め大地に還る筈だった。
しかし、その勢いが予想以上の力をもっていたこと、阻むはずの岩場の一部崩壊があり、予想を外れ 勢いのある濁流がベルタへの水路に向かっている、というのだ。
山上の男たちが、岩盤に発破をかけ、木を倒してその進路を変えようと手を尽くしているが、勢いを削ぐことはできても遮断は難しい。
「…水門は?」
「夕刻に閉められたようです。ですが、水門が閉じていることで多くの穀倉地帯が大きな被害を受けます。開門すれば ベルタの市街地は高台の貴族街を除き、被害が出ることになるでしょう」
言葉と共に膝から崩れた男を駆け寄った男たちが介抱し始めた。リュードもライルも押し黙り、動きを止めていた。
ねぇ、私のせいなの…?
だからライルは説明を遮ったの…?
真実を知るのが 怖い。
自分がしでかした事の大きさに 恐怖で押しつぶされそう。
このまま 知らないでいることは 簡単だ。今、問いたださなければいいのだ。
でも それではダメだ。
都合の悪いことに蓋をして見ないふりをするのは 逃げるのと同じだ。そんな自分はイヤだ。
どんな辛い事実でも、自分のしたことを受け止める。
何の償いができなくても、それはしなくてはいけないことだと思う。
意を決して、ライルに視線を合わせた。
「教えて。何が起きてるの?」
真っ直ぐな強い視線を受けて、ライルは心を決めた。
黄泉の谷で地殻変動が起こり、その水脈が崩された。その濁流が、ベルタの街に迫っている。
「私は始祖の力を繋いでナキアに力を貸し、護りの力を築くために黄泉の谷で地殻変動を起こした。
そして、それによって起きた濁流が街を襲おうとしているのね」
真緒の言葉にライルは視線を外すことなく頷いて肯定した。
「リュードさん、教えてください。止める方法はないんですか?起こすことができるなら、止めることも出来るんじゃないんですか?」
黙って首を横に振るリュードの腕にしがみついて、さらに言い募った。
「もう一度、私に始祖の力を繋いでください。その力で止めます!ベルタの街の人は始祖にとっても護るべき人達でしょう?きっと力を貸してくれる筈です」
「我が繋いだ訳ではないのだ。我の力ではそれはできない」
気持ちはわかるが、不可能だ。リュードは力なく答えた。
ナルテシアさん!
お願い、力を貸してください。
お母さん!
お母さんの思い出の街と 街の人を護りたいの!力を貸して!
マオは石版に両手をついて強く願った。惹き合いの石をライルから奪い取ると、更に願いを込めて祈った。
光が石から放たれて 石を包む真緒の手から漏れ放つ。眩しい光に真緒の身体は溶けてゆく。
その感覚を待ち望んだ真緒は、進んでその光に身を投じた。
(どうか私に力を貸してください!)
どうしたら止められるか、そんなことは分からない。
それでも、地殻変動を起こせるほどの力なら、何か手段があるかもしれない。
真緒の身体が光に溶けてゆく。
ひとりでいかせない!
ライルは溶けてゆく真緒の身体を抱いた。抱いた感覚はないが、その魂を離すまいと惹き合いの石に意識を集中させた。
眩い光が収束したとき、そこに二人の姿はなかった。




