158.発動
タクラからの報告は、予想通りの成果報告だった。
イヴァンの躯は、敗走の兵を黄泉の谷へと誘った。
更に《イヴァンが真緒を捉え救援を求めている》という偽の情報操作に サウザニアの援軍も谷へと向かった。そろそろ躯と偽情報に踊らされたことに気づく頃であろう。
リュードは石版の前でナキアを伴い、ゆっくりとした口調で 詠唱するように祝詞を唱える。
暗黒の空は厚みを増し、既に嵐の中あった。
石版の光の柱は、呼応は呼応するかのように遠い山々から天に向かい立ち昇り、稲妻がそれに応えるかのよに地上を照らした。
「━━━ ナキア」
リュードが娘の名を呼ぶと、ナキアは石版に両手を着いてリュードの詠唱に合わせるように、祝詞を詠む。
それは 言葉による旋律。
石版から生み出された光の柱は益々太さを増して天に突き刺さり、それに応じて稲妻が谷へと向かう。まるで何本もの矢が射られたような光景。
光の矢が大地を揺るがす。
振動が揺れとなり、大地を突き上げるうねりとなると、大地の咆哮が轟音となって暗黒の世界に不気味に響いた。
ナキアの声に甲高い声が混じり始め、大きな身体の動きがトランス状態にあることを知らしめた。
(…いよいよか…)
ライルは ナキアの姿を視界の隅に捉えなら、石版を凝視する。
始祖の力を繋ぐ真緒は、きっとこの場に現れる。
マオを護って… ナルテシアの言葉が思考を巡る。
そう、マオをこの世界に繋ぐのは 俺だ
懐の光を手に握り込み、真緒の存在を感じた。惹き合いの石は、熱を帯び、ナキアの詠唱の高まりに合わせて更に熱を帯びた。
(━━━ 来る!)
ライルは閉じていた目を大きく見開き、石版の宙を
睨みつけた。
一層激しさを増した大地の揺れは、立っていることが困難な程だった。ライルは石版にしがみつき、光の増した宙に近づいていった。
!!!
あまりの眩しさにライルも咄嗟に目を瞑り、顔を伏せた。爆発したような光の放出が周囲の視界を奪う。
より甲高い、悲鳴に近いナキアの声とおなじくして、鼓膜の震えが耐えられない程の轟音が大地を揺らした。
瞬差もなく大地が激しく突き上げられ、ライルは石版から投げ出された。
その大地のうねりは激しさを増して 収まることなく、幾つもの轟音はハーモニーを奏でて 大地の揺れを演出した。
地面に叩きつけられながらも、石版に向かうライルの視界には、宙に身体を預け、大きく手を広げている真緒の姿が映った。
「マオ!」
ライルの声は轟音に阻まれ、吹き荒れる風に掻き消さた。心の苛立ちに声を荒げながら、マオの元へ足を進める。石版に手がかかると一気に身体を引き上げて石版に身体を投げ出した。
そして、
宙にある真緒の身体に迷わず手を伸ばした━━━━
胸が熱い!
惹き合いの石が放つ熱が胸を焼く。その熱は真緒に反応している。その事実がライルの胸を悦びで満たした。
真緒の身体は 光の壁に包まれているが そんなことは関係ない。真緒の身体に触れた瞬間、稲妻がライルの身体を突き抜けたが、ライルの腕はとまらなかった。
「戻ってこい!マオ!」
光が皮膚を裂く。その痛みがライルを絶えず襲うが、それでも構わずに真緒の身体を抱きしめた。
向かい合いに抱き締めれば、惹き合いの石が互いの鼓動を感じて震えるのが伝わってきた。
絶えず切り裂く痛みと、眩しい光の中で、真緒を感じる唯一の手がかりはこの石の熱だった。
真緒の身体を奪われまいと、抱く腕に更に力を込めた。
渡さない!誰にも奪わせない!
強く想い、願う。
…どのくらいの時間が過ぎたのだろう。
ナキアの声が途絶えた。
その声の終わりと同じくして、光の柱は勢いを弱め、暗黒の空を彩った稲妻は姿を消した。轟音は遠雷のようなものに変わり、大地の揺れは殆ど感じなくなっていった。
真緒の身体に重みを感じて、真緒を抱き下ろすと 自身の膝に横抱きにした。
「━━ ことは成された」
リュードが静かに終わりを告げ、黄泉の谷の方角に視線を送った。
いつの間にか漆黒の空には星が煌めき、祝詞前と同じ月が石版に映し出されていた。
…終わった…? もう 消えることはないのか…
ライルは抱く真緒を見つめた。
確かに感じる、真緒の重み、温もり、息遣い。
渡りの樹に 導かれし者。
渡りの樹の意思は叶えられたのだろうか…
彼女の役目は果たされたのだろうか…
そっと真緒の髪を撫でれば、閉じた瞳が震えた。
「マオ」
その名を 耳元で 囁く。起きて、ねぇ、俺を見て。
そんな願いを込めて 愛しい人の名を口にする。
もうどこへもいくな、俺の傍にいてくれ…
瞳の震えが大きくなり、やがて黒曜の瞳がライルを捉えた。
誰…、私を呼ぶのは、誰なの?
眠りの海に沈んでゆく心地良さを邪魔されて、沈みかけていた意識が浮上した。マオは 眠りかけのまどろみを破られたことの不快感に、その声の正体を確認するべく 集中した。
「戻ってこい!マオ!」
ハッキリとその声を捉えたとき、自身の身体を強い力が引き上げる感覚に襲われた。その感覚がハッキリしてくるとそれが強い力がで抱き締められているのだとわかった。
胸が熱い!
何か堅いものが自身の鼓動に重なり、熱を放っているのだ。
惹き合いの石…?
焦がれるような想いが胸を満たし、マオは己を抱くものに集中した。
その体温を感じ、温もりを意識すると、自分の身体に重みを感じ始めた。
「マオ」
優しい声が真緒の身体を吹き抜ける。心の奥に灯される焔が、重い身体を目覚めさせる。
貴方の 顔が見たいの、ライル。
もっと声が聞きたいの。
もどかしいくらい自身の身体が思うようにならず、気持ちが焦る。重い瞼をこじ開ければ、ブルーグレーの瞳が見つめていた。
「…ライル…」
言葉と涙が溢れる想いを表していた。
会いたかった、更に続く言葉は声にならなかった。
絡み合う視線は自然に熱を帯びてゆく。
重なる唇が、熱を移してゆく
惹き合いの石が、輝きを増していった。




