150.惹き合いの石
夕闇が迫る部屋の中、荒い息遣いが聞こえる。
剣を構え、ゆっくりと足に体重を移動させると ひと息に振りかぶる。間を開けず振り返りざまに 更に一太刀。後ろに足を引き正眼の構えから、剣を突き出す。剣舞のような動きを繰り返し、筋肉へ負荷をかけていく。
流れ出る汗に、柄を握り直し力を込める。
「━━ どれくらい戻った?」
その声にライルは構えをやめて、剣を置いた。流れ出る汗を拭い、シャツを変える。ひと息に水を飲み干すとライックをみた。
「相変わらず気配がないな。6割…と言いたいが半分も戻ってない」
ため息混じりにライルはつぶやくと、自分の腕をみた。随分と筋力が落ちてる。身体のキレもない。体力がないのが致命的だった。
「マオが囚われている」
ライックの言葉に、ライルの眼光が鋭さを増した。それを確認して話を続ける。
「始祖の村にある石版に囚われている。狙う奴らからは護られているが、石版の護りに阻まれて、保護することもできない」
ライルはライックの正面に立った。
「いかせてくれ。マオが待っている」
「そんな身体で?国境沿いの厳しい地帯だぞ」
「それは山神の側から行くからだろう?」
ライルはある程度心積りしていたようだ。ライックはライルの反応を見て口の端を上げた。
「覚悟はあるんだな?」
ライルの瞳には迷いはなかった。強い意志が瞳の輝きを一層強めていた。
ライックはライルに木箱を差し出した。
マルシアから預かったあの木箱だ。
何だ?という表情をみせ、視線でライックに了解を取ると、その箱を開けた。
濃い青色の石は、夕陽を浴びて深い青紫を呈して輝いた。親指ほどの石をライルが手に取ると、石が仄かに輝いた。ライルの表情が瞬時に変わった。
「それがなんだか分かるか?」
ライルは首を横に振りながらも、その石に魅入っていた。
「…マオを強く感じる」
「それは惹き合いの石、というそうだ。
お前とマオが渡りの樹に真名を誓ったことで生まれたもの。それが石版の護りから解放する鍵だ」
「… 惹き合いの石…」
胸に下げたペンダントと自身が身に付けてある指環をみた ━━━━ そういうことか。
これはマオと自分を繋ぐもの
お互いを想う気持ちが生み出した【絆】のかたち
ライルは ぐっと握りしめてマオを感じた。自身の内から力が湧き出てくるようだった。
「…父上の指示か?」
ライルは石を箱に戻すとしっかりと箱に閉まいながらきいた。
「違う。これは俺の判断だ」
その言葉に、ライルの手が止まった。
ライックはニックヘルムの腹心中の腹心だ。ライックの忠誠心も高い。
そんな男が?
最近のニックヘルムの様子を見ていれば、ライルを送り出すとは思えない、必ず反対するだろう。
そんなライルの思考を読んだように、ライックは口の端を歪め、目を細めてライルを見据えた。
「━━━ヘルツェイには宰相ではなく 自分側につくように誘ったらしいな。俺には声が掛からないが?」
ニヤリ。猛禽類を連想させる目がライルを捉える。
「俺は いつでもライル側なんだがな…忘れるなよ」
ポン、と肩を叩くと、俺が付き合うぞ。
出発は夜半だな、それまでちゃんと休んでおけよ。
そう告げると背を向けた。
立ち去るときは扉から出ていった。
相変わらず食えない男だ…
でも、昔から自分の味方だった。幼い自分をライックに預けたのは、父親なりの愛情だったのかもしれない。
軽く湯を浴び、ベッドに潜り込む。
思った以上に身体は疲れていた。すぐに眠りに誘われる。抗わずに眠りに落ちていく。
木箱が懐で存在を示す。服の上から触れると、不思議と温もりを感じた。
それがより深い眠りへと誘う。
(…マオ…)
いい夢がみれそうだった。
闇の支配が迫る中庭で ライックは気配を感じ、足を止めた。
「このところ梟が煩いな…。よもや主を見失ったかな?」
ニックヘルムはライックの横に並び立った。
「主を見失っても、主を変えてもいませんよ。梟は頭が良い鳥です。主のためになることにしか嗅覚は働かないものです」
静かな言葉の応酬のあと、しばしの沈黙が訪れる。
「梟は、主に忠実です。違えることはない」
ライックの言葉にニックヘルムは、わかっている、と応えた。
「━━━ ライルを 頼む」
やはりこの男は掴んでいたか。
ライックはニックヘルムに向き直った。
「今度は必ず護ります」
ライックはニックヘルムに深く一礼した。ニックヘルムはそんなライックの肩に手を置き、その手に額をあてた。
「お前が頼りだ。頼む」
「━━━ 承知しました。必ず」
長い付き合いの中で、こんなニックヘルムの姿は初めてだった。情の深い男だが、こんなにも脆い面もあるのだと知った。知ったことでより深く繋がりを得た気がした。
「…何時だ?」
「夜闇に紛れて サウザニア側から向かいます。今の体力ではこのルートの方が安全性が高い」
説明に、そうか、ニックヘルムは頷いて距離を取った。そしてそのまま振り返ることなく闇に消えていった。その後ろ姿を見送って、ライックは深く息を吐くいた。
期待に応えねばなるまい。
空を見上げて目を瞑る。大きく息を吸い、吐き出す。
集中を高めていく。
ライックはその足でライルの待つ部屋へと足を向けた。




