145.檻
朝日を背に受けて、荒々しい岩場を黙々と登る。
山神の男たちは流石だ。息も乱さず黙々と登っていく。その後に続くイザも遅れは取らない。息の乱れはあってもその脚運びに揺らぎはない。
(さすがだな…)
エイドルは 乱れる呼吸と震える脚に悩まされながら、遅れまいと必死で岩にくらいつく。夜明け前から登り始めて、数刻はたっているだろう。
(そろそろ着くのか…?)
見上げる先は青空だ。
エイドルは気合を入れ直し 岩肌に手をかけた。
岩場を登りきると、そこは別世界だった。
膝の高さまで伸びた下草が生い茂り、深い森が広がっていた。
「この森の先が 国境になる」
タクラは森を指さした。
「その国境近くに、始祖を祀った神殿とそれを護る村がある。それがマオを匿っているとする神殿だ。普段は誰も住んではいない。神事の時だけ人が集まる場所だ。そこが我らの戦いの場になる」
目的地が近いと聞いてエイドルはホッとした。こんなに脚にきたのでは戦いどころではない。早く回復させなければ。短い休憩のあと、一行は森へと足を踏み入れた。
「ここが始祖の村だ」
そう言われないとわからない程、よく言えば村は森に溶け込んでおり、素直にいえば廃れていた。生活の営みの気配が皆無だ。
「神殿に案内する」
タクラ以外の山神の男たちは、村に生気を取り戻すように、荷を入れ、火を起こし、家屋を整えていった。手馴れた様子で進んでいく様を横目に、イザはその統制力の高さに驚いた。これが最強戦士と言われる山神の男たちなのだ。
タクラに案内されるまま、神殿に向かった。
神殿は村の様子と違っていた。
気配が違う。それはイザにも分かった。外観は石造りの簡素なものだが、一歩中に入れば 温かだが緊張感のある気に満たされており、自然と気持ちが引き締まった。エイドルをみれば顔つきが真剣なものに変わっていた。同じように気を捉えているらしかった。
「ここは神殿の中でも始祖の気配が強い場所だ。始祖であるシャーマンが生まれ、修行を重ねた場所だと伝えられている」
タクラの顔も始祖の気配を感じ紅潮していた。山神の使いにとって、始祖のシャーマンは神と等しい崇拝の対象なのだろう。
「エイドル、お前は囮だ。マオの身代わりだな」
イザがはエイドルの肩を叩き、包みを差し出した。
「噂だけでは弱いからな。これからヤツをここに引きつけるまで、お前はここで祈ってもらうぞ」
「えーっ!オレ、マオよりデカいですよ?」
しゃがんでいればわからないだろ、ちゃんと頭からもかぶれよ。ほら、着替えろ。
包みをぐい、と押し付けられ反射でエイドルは受け取ってしまった。
冗談じゃないんだよな…。
真剣にやり取りをするタクラとイザの様子にエイドルも覚悟を決めた。包みを開けて着替え始めたのだった。
簡素な神官服に近いものであったことに、エイドルは安堵した。ドレスはさすがに勘弁してほしい…。
色は淡いピンクで差し色と刺繍がされていて、いかにも若い女性が好みそうなものだった。色は仕方ない、エイドルは何度も自分に言い聞かせた。
その姿を見た二人は、意外と似合うな、と嬉しくないコメントを口にした。ヤシアの若い頃のものだ、とタクラも満更ではない様子で眺めていた。
いや、恥ずかしいからそんなにみないで欲しい。
「その姿では長剣は無理だろ?身体の近くにそれは隠して、これを使え」
イザは短剣をエイドルの胸元の合わせに隠すと、
「お姫様はオレが護ってやるよ」
とおどけた。ありがとうございます、と応えたが気持ちは複雑だった。多分、姫でなくても護られる対象なんだろうな…。そう思ったら胸がチクリ、とした。
突然、轟音と共にドン、という衝撃が神殿を襲った。地震のように突き上げる感覚に続けて襲われ、床に投げ出された。
タクラの表情が一変した。
神殿に走り込んできた山神の男たち数人と外へ駆け出していく。イザは直ぐに後を追いながら、説明を求めた。
「石版に害をなすもの、国境を破った者がいる」
詳しい説明は後だ。タクラは男たちに指示を出しながら森の奥へと向かっていた。
その頃、真緒はピンチだった。
石版から離れられないのである。まるでみえない檻のように、そこに囚われているのだ。
「なにこれ…。本当に勘弁して欲しい。これじゃあ、村に行けないじゃん!」
ドンドン、と空間を叩けばまるでパントマイムのようだ。
ナルテシアさん、一体何がしたいんでしょうか…
「おーい!」
とりあえず叫んでみる。悲しいかな、応えてくれるのはやまびこくらいだ。
何度目かのため息は、人の気配でかき消された。
草を踏む音に、期待を込めて見つめれば森の茂みには人の姿がチラついた。
「助けてー!」
声の限り叫んで 大きく手を振る。
お願い、気づいて!
真緒の願いが通じたのか、その人影はこちらに近づいてきた。
やった!すぐに助けが来るなんて、この世界に来て初じゃない?
待ってました、王子様!なんてね!
期待を込めて人影見つめれば、森を抜けて陽の光に照らされた王子様は 最悪だった。
(この王子は求めてない!なんでよっ!)
イヴァンにもマオの姿を認めたのか、向かう足を早めた。隠れたいが身を隠すものもない。マオは狩られる前の獲物だった。
(ナルテシアさん恨んでやる!)
奥歯をかみ締めてギュッと目を瞑り、せめてもの抵抗で背を向けた。
足音が止まる。万事休す!
「罠かと思っていたが…、本当にここにいたのだな。会いたかったよ、マオ」
いえ、私は会いたくありませんでした。とっととお帰りください。
「姫を救い出すのは王子の役目。私を待っていたということか」
くっくっく、と嬉しくて堪らないとばかりに言葉に笑い声が混じる。
この王子は死んでもお断り!なんでこうなるのよ…
膝に顔を填め、背中越しに聞くイヴァンの声に悪寒が走る。
(助けて!誰でもいいからこの男から助けて!)
心の中で救援要請するが、残念、ヒロイン以外には助けは来ないものだ。この世界で何度も味わったじゃない!それでも諦めきれず、何度も心の中で叫んだ。
ドン!
と突き上げるような衝撃に襲われ、真緒は姿勢を崩した。それでもみえない檻が真緒を護ってくれる。
どうやら衝撃だけじゃなく、イヴァンからも護ってくれたようだった。そっと振り返れば、イヴァンと何人かの男たちが地に伏していた。
「…お前、何をした?」
地鳴りのように低い声が、真緒を襲う。イヴァンは何度か頭を振り 手を借り立ち上がると、剣を抜いた。真真緒に向かい構えると、迷いなく振り下ろした。
殺される!
咄嗟に目を瞑ったが、身体は動かない。すぐに訪れるであろう痛みを覚悟した。
再び突き上げるような強い衝撃を受けて、金縛りの身体はようやく動き 尻もちを着いた。
イヴァンはいない。少し先で男たちに介抱されていた。
もしかしてこの檻…、私を護ってくれてるの?
パントマイムのようにある一定の空間を触るが、遮られてしまう。向こうからの侵入も拒んでくれるならありがたい。言うこと無し、だ。
イヴァンに着いていた騎士が真緒に向かい剣を振り上げた。突き上げる衝撃と共に、その騎士は視界から消えた。草むらに伏している姿がみえた。
やっぱり護られているんだ!とにかくありがとう!
気を悪くして、護りを解除されては堪らない。すぐに感謝を口にした。
新たな足音が茂みから聞こえてきた。
一難去ってまた一難、いや、一難も去ってないけど。
この透明な檻を信じよう、うん。
今の味方はこの檻だけだ。頼むよ!
森の茂みの中から、剣戟の音がする。
状況が掴めず真緒は恐怖に耳を塞いだ。でも、見ずにはいられない、何が起こっているのか知りたい気持ちが勝る。目を凝らし その茂みをみれば、イヴァンの声が撤退を告げていた。
(…なんだかわからないけど…助かったの?)
剣戟の音は潜み、人が忙しなく動く気配がする。
のろのろとした動作で身体ごと茂みに向き直れば、恐怖は安堵に変わった。
「タクラさん!」
足早に近づいてくる、タクラとイザだった。




