144.懐かしい温もり
ノイアスの診察を受け、ライルはベッドで微睡んでいた。
夢の出来事ではない。
それは胸の華が教えてくれる。
脇腹は動けば痛みはあるが鈍いもので、動きを妨げるものでは無い。肩の傷も浅く問題ない。
問題は体力の方だった。
毒の影響で、深い眠りに落ちてから目覚めまで5日間。
ろくに水分が取れなかったことが、著しく体力を奪う結果となっていた。食事は喉を通らず、水分をこまめに摂るところから始めた。
倦怠感がライルの思考を妨げる。
それでも心が満たされた今を幸せに思う。
先程まで国王が座っていた椅子が目に入る。
診察のあと、見舞いと称してマージオが訪ねてきた。ライルは深い眠りの中での出来事を伝えた。ナルテシアの名前がでると、瞳を潤ませ祈りを捧げていた。そして、
「マオは かえってくる、そういったのだな?」
そのことを何度も確認して、ニックヘルムに強引に連れ出されていった。その姿は国王というより、娘を心配する父親の姿だった。父の心に触れた今なら、父親の心情が少しは理解できる。
(マオ、早く帰ってこい)
話したいことがある。伝えたいことが沢山ある。
胸元の華を指でなぞると、その柔らかい唇が蘇る。
再び、微睡みながら愛しい人のことを想った。
ライルの身体が消えたあと、真緒も光に呑まれて意識を飛ばした。
そして、再びの光の中で意識が浮上した。
もう三度目となれば あまり驚かない。
痛くも苦しくもなく、生きていればよし、だ。
ライルの魂は、無事に身体に戻ったのだろうか。
一緒に帰れると思っていたので、居残りになるのは想定外だ。大変不満である。
さて、私はなぜここに?
ナルテシアの意思が働いているのだろうか。
帰れるっていったのに…。
寄り道は好きじゃない、早く帰りたい。
そんな悪態をついて辺りを見回す。
方向がない空間。虹色の光が揺らめき、やわらかなそよ風が身体を包み込んでいたが、そんな心地よい空間よりも、ライルの傍がいい。
そろそろか…。いつもこのパターンで誰かが現れるか、何かが起こる。さぁ、こい!
気合を入れてイベントを待つが、何も起きない。
あれ?
もしかして…本当に閉じ込められたの?
ライルを助けた代償に、この空間の住人にされの?
…なんか話が違いません?
不安になってきたころ、可愛い笑い声がした。
━━━ くすくす、いたよ、うふふふふ
これは、神殿で聞いた声?
ってかの頭の中に声が直接響くのは なんだか気持ち悪い。こればっかりは慣れない…
━━━ あそぼう あそんで
声はするが姿はみえない。なんとなく自分を纏う何かが揺れている、そんな感触だ。
「…なに?あなたはだれ?」
その正体を探ろうと、真緒も手を伸ばし纏う何かを探した。まるでモグラ叩きゲームのようだ。
これがなかなか面白い。
『━━ 真緒』
いつの間にか夢中になっていたようだ。突然の声に身体が跳ねた。
『━━ 真緒』
再び名前を呼ばれ、その声に身体が震えた。
恐怖では無い、それは 悦び。この声は…!
「どこっ!どこにいるの!」
方向のない空間で、手当たり次第に腕を振り、その姿を求めた。
「お母さん!」
涙声で叫べば、纏う何かが風を受けたようにそよいだ。
『ナルテシア様が マオとの時間をくださったの』
そよ風が真緒の髪を撫でた。薄絹に包み込まれるような感触が真緒を包み込む。
(お母さんが抱きしめてくれているんだ…温かい…)
その心地良さに目を瞑る。するとより鮮明に母の温もりを感じられた。
『真緒、あなたに辛い思いをさせてごめんね』
ううん、真緒は静かに首を横に振る。
そんなことない。異世界とかびっくりしたけどね。
『マージオが あなたのお父さんよ』
本当に王子様?王様?でビックリしたよ。お母さんの物語は本当にあった話だったんだね。遠い目をして、色々ビックリな事実を思い出す。
━━━ たのしい わらってるよ うれしいの
可愛い声が賑やかになるのを、お母さんは優しく諭すと、心配する気持ちを声に乗せた。
『…この世界で生きていくのね?』
「うん!お母さん、私決めたの。ライルと一緒に生きていくって。向こうでは独りぼっちだけど、この世界にはお父さん的な人や兄弟姉妹もいるから』
だから寂しくないよ。
『渡りの樹と共に見守っているわ。私はそこにいる』
真緒を纏うものが 一瞬熱を帯び、失われた。
『真緒、私の真緒…』
声と同時に気配も消えた。急に温もりが消えたことで真緒は大きな喪失感に支配された。
「お母さんっ!」
思わず叫んだ。叫んだらより寂しさが込み上げてきて涙が溢れた。心の闇が滲み出るように、光の空間は輝きを失い、闇が支配していく。
まずい、止めなくちゃ!
闇に呑まれる空間を止めようと、真緒は涙を拭き心の闇を追い出すべく、愛しい人の笑顔を想い描いた。
左胸に手を当て、彼の鼓動を思い出す。互いの鼓動が段々と重なり、真緒の鼓動を強くした。
大丈夫…、大丈夫…!
私はライルの処へ かえる
どうか私を導いて━━━━━━
真緒の身体を闇が包む。
一条の光が、真緒を迎えた。
夢中でその光に向かって飛び込んだ。
その瞬間、閃光が走る。
眩しさに強く瞳を閉じて、身体を丸め、自身の鼓動に集中し、ライルの名を繰り返した。
言霊を信じる。
どうか ライルの元へ連れていって━━━━━
背中に強い衝撃を受けて、真緒は仰け反り悶えた。
痛いと思ったら、石版の上だった。
ナルテシアさん、それは無いんじゃない?
石の上に落とすなんて酷すぎる。
痛みが薄れてき痛むお尻と腰をさすり、ゆっくりと起き上がった。
ここどこ…?
はい、こらもお馴染みのセリフになりましたね。
深い森の中、人気はない。というか、何も無い。
本当に ここどこ?
ライルのところへ連れていって欲しい、とお願いしたんだけどね…いろいろと違うよね…
ため息が零れた。触れる空気や感じる身体の重みは、この世界に戻ってきたことを教えてくれる。
(…仕方ない、太陽が昇ったら村か街を目指そう)
まだ星が輝きを放つ夜空を見上げて、もうひとつため息をついた。
(感謝してるって言ってた割には扱いが雑よね…)
せめて人里に飛ばして欲しかった。遠くに獣の遠吠えが聞こえる。朝まで自分の身が心配だ。




