143.山神の裁き
夕闇が迫る中、イザとエイドルは出立していた。
ベルタの街の自警団に寄り、チキの村に着いたのは闇が深まった頃だった。
チキの村は、松明が炊かれ昼間のような明るさだった。山神の男たちが数人で警邏にあたっており、緊張した雰囲気が伝わってきた。
「よく来た、待っていたぞ」
タクラは握手を求め、イザに手を差し出した。イザもそれに応え、その手を強く握り返した。その手はエイドルにも差し出された。
「エイドル、怪我はなかったか?」
タクラはエイドルがイヴァンを追撃したことを知っているようだった。相手にもされなかった自分を恥ずかしいと思うが、それが今の実力だ。偽ったところでこの先はない。
「大丈夫です。相手にもされなかった。そのせいでカイル様があんなことになってしまった、そのことが悔しいです」
そうか、そう言ってタクラはエイドルの肩を軽く叩く。気にするな、とは言わない。強くなれ、そう励まされたようでエイドルは胸が熱くなった。
タクラとイザは以前からの知り合いだ。
イザは、渡りの樹によく似た大樹があるチキの村を訪れては、その樹の前で物思いに耽っていた。
ミクが消えてしまった日からイザの時間は止まった。ミクを護れなかった自分を責め、護らなかった人たちを憎むことで自身を支えているように見えた。その危うさがタクラは心配だった。
タクラが街へくるときは必ずイザのもとを訪れた。
話してみれば歳が近いのもあり、気が合う。
どこか世の中を見限ったように生き急ぐ男は、マオがこの世界に現れて変わった。あれだけ憎んでいたライックとの関係も良い方向に変わりつつある。
18年前、ミクを失ったことで多くの人が心に傷を負い、癒されることなく時を重ね、その溝は埋まることがなかった。この歪を正さなくては、エストニルの先はない。マオの存在がその歪を正してくれた。
渡りの樹の意思。
真緒がこの世界に現れた意味がわかった気がした。
松明に迎えられ、リュードの元へ向かう。
すれ違う山神の男たちの表情は一様に固い。
臨戦態勢にあるチキの村の様子に、イザは仕上げの段階にあるのだと悟った。
真緒を手に入れることにイヴァンがどれだけ執着をしているのかが解る。
今度は逃がさない。
マオが戻ってきたとき、安心して過ごせるようにしておきたい。
闘いへの高揚感がイザの内から湧き上がる。早まる鼓動を、深く息を吐く事で整えた。
国王と宰相が報復に舵を切り、戦乱を招く前に決着をつけたい。ヴィレッツが計画を持ちかけてきた。
そのときタクラは即答で了承した。
これは山神の使いが 裁きを与えるチャンスだ。
ナキアを拐かし、卑劣な手段で一族簒奪を企てたサウザニアへの制裁でもある。
エストニルがこのことの全面に出れば、サウザニアとの関係は難しいものとなり、他国との関係に問題を生じかねない。
山神の使いが行うことで他国への牽制ともなるのだ。
ナキアを二度と狙わせない。
そして、この先の未来を繋いでくれたマオのため。
山神の使いは何にも屈しない。
イヤーカフに手を触れ、そのまま左胸に添える。
それは山神の使いがおこなう魂の誓い。
獲物はかかった。あとは狩るだけだ。
リュードへの挨拶を済ませて、用意された部屋で仮眠をとるため、ベッドに入った。目的の地は山岳帯の奥、厳しい行軍になる。
イザはエイドルの背中に、怖いか?と問いかけた。
「怖くない、そう言いたいですが、本当は怖いです」
正直な気持ちを吐露するエイドルを、イザはそれでいいんだ、と返した。
初陣のとき、ライックがイザに問いかけた言葉。今、自分が問いかけている。自分はなんて答えたのだろうか…。生意気なことを言ったのかもしれない。
ライックからの誘いが頭をよぎる。
━━━やってみようか…
身体を包む温もりが心地よく、ゆっくりと眠りの波に身を委ねた。




