138.寄り添う夜 迎える朝
涙が枯れることは あるのだろうか…
ライルを抱き締めて 声の限り泣けば、その温もりが恋しくてさらに強く力を込めた。声が枯れれば ライルの静かな息遣いが真緒を慰めた。
夜が明けたら、ライックが迎えに来る。
そうしたら引き離されてしまうかもしれない。
真緒は掛物を捲ると、ライルの身体に自身のそれを添わした。怪我のない肩を少しだけ持ち上げて広げると
そこに身体を滑り込ませる。ライルの鼓動が真緒の頬に伝わる。そっと上下する胸に指を滑らせる。
ぎゅぅ、力を込めて抱き締めればライルの香りがした。
「大好き…愛してる」
鼓動に向かい想いを告げれば、乾いたはずの涙が溢れてきた。その涙を拭うことなく、唇を合わせる。乾いた唇は熱を持たず、真緒は温もりを求めて更に唇を重ねた。
(オーロラ姫は王子様のキスで 目覚めたのにね…)
貴方は目覚めないのね…
表情の変わらないライルの顔を見つめ、切なく締め付ける胸の痛みを、布越しに伝わる温もりで癒した。温もりが冷めぬように身体を寄せれば、自然と眠りに誘われた。
ずっとこのまま、時が止まればいいのに。
白み始めた空が、真緒をどん底へ突き落とした。
夢なら醒めないで。
そんな希望も打ち砕かれ、絶望の中に希望の欠片を探して抱き締めた。
そして、心に灯した 決意。
(私が貴方を護る…)
温もりを手放すのは、身を裂かれる思いだった。
その想いを振り切るように唇を重ねて
「愛してる」
と囁けば、ライルの唇が、真緒の想いが灯ったように淡く色付いた。
自身のネックレスを外し、ライルの指環と重ね彼の胸に合わせた。その上に重ねた手に唇を落とすと、未練を断ち切るようにその身体を離した。
(貴方に生きていて欲しい。笑っていて欲しい)
━━だから、いくね
開け放たれた窓から、庭へ降り立つと振り返らずに朝霧濃い森へその姿を消した。
濃い朝靄の中、渡りの樹は真緒を迎えてくれた。
湖の澄んだ水面が 風を受けて波状を描き、水を含んだ風は真緒を優しく包み 迎えてくれた。
渡りの樹は【待っていた】
あぁ、帰ってきたんだ…。込み上げる想いが溢れ、渡りの樹の幹に腕を回す。身体の奥から湧き上がる温かいものが、瞳から雫になって流れ出る。
幹に身体を預け、大樹に抱かれる心地良さに溺れる。
『渡りの樹は渡り人の真の願いを叶えてくれる』
ヤシアのその言葉を信じる
私の願い 真の願い
━━━お願いがあります
私の愛しい人、ライルを助けてください
私は消えても構いません
でも、元の世界へ還さないで
この世界の風となり 大地となって
彼が生きるその傍で ずっと 見守りたいのです
渡りの樹の温もりに鼓動を感じる
それは自分のものかもしれない
樹の生命かもしれない
渡りの樹に自身が溶け込み、ひとつになるような感覚が真緒を包んでいった
いつでも貴方の傍にいるわ…
真緒の瞳から 一粒 雫が流れ落ちた
主の居ないベッドを呆然とみつめるエイドルに、イザが声をかけた。
「…居ないのか?」
ビクッと身体を震わせるエイドルに、責めてるわけじゃない、とイザは続けた。熱を感じないシーツは、夜のうちに抜け出したことを伝えていた。
さて、何処に行ったのか…、思案しながらライックを思い浮かべる。
珍しく思い詰めていた横顔がチラつく。
「…着いてこい」
イザはある場所を目指して歩き出した。
「…やはりあなたですか?」
ライルのベッドサイドに立つライックの背にイザは声を掛けた。エイドルも続いて部屋へと足を踏み入れたる。その声に応えず、じっと何かを見つめるライックの視線を追えば、目覚めぬライルの胸元で止まった。そこには真緒のネックレスが指環と重ねられていた。
「マオはここに居たのか…」
でも、姿が見えない。
「マオの気持ちの整理をさせたかった。
いや違うな、ライルをひとりで逝かせたくなかった」
寂しげな笑いを浮かべて呟けば、ライックは黙り込んだ。そして首を横に振る。
「いや、違うな。マオと触れ合えば、奇跡が起きるかもしれない。そんな願い、希望、かな」
らしくないな、自嘲的に笑う声は乾いていて、ライックの心を写しているようだった。
幼いライルを、ニックヘルムの代わりに育ててきたのはライックだ。そして、決して口には出さないが、自身が間に合わなかったことをずっと悔いているのだ。
「マオは別邸の庭にいた。だから、ここに連れてきた」
そして泣き崩れたマオを、ライルとの時間を持てるようにと二人だけにした。
では、マオは何処に行った?
部屋をグルりと見回せば開け放たれた窓が目に入った。
「渡りの樹…」
エイドルが呟いた言葉に、ライックとイザは突然駆け出した。
渡り人の真の願いを叶えると言われている樹。
未久が消えた場所。
ライックは何度も心の中で繰り返す。
頼む、マオ!還らないでくれ!
ライルが目が覚めたとき、傍にいてやってくれ!
18年前の想いが、イザの心に蘇る。
渡りの樹に消えたミク。
この国の平和を願って、国王が幸せになることを祈って身を引いた。
頼む、ミク。マオを…連れていかないでくれ!
振り返らずに走る二人の後を必死で追う。
エイドルの胸には怒りと悲しみが混じり合い、マオを許せない気持ちが支配していた。
何故、俺を頼らない。オレなら、ひとりで泣かせたりしないのに!そんなに信用できないのか?
頼りにならないのか…?
三者三様の想いを抱いて、渡りの樹を目指す。
朝靄の残る森は、しっとりと重い空気が漂う。それは渡りの樹に近づくにつれて増していった。
乱れた息を整えることもせず、渡りの樹まで駆けつければ、眩いばかりの光の粒子が何かを包み込んでいた。それは次第に融合して大きさを増し、それに比例して輝きを増した。直視できないほどの眩しさに、目を細めその正体を探る。
「マオ!いくな!」
その光に向かってライックは叫ぶ。
それは18年前にもみた光景。
渡りの樹に抱かれるように吸い込まれて消えた、ミクの姿と重なった。
迷いなくその光に手を差し伸べれば、より輝きを増した光の集まりに弾かれた。
その光の影で、湖面が波立つ。
エイドルは湖に近づくと、波立つものに向かい飛び込んだ。それは渦巻く水の中。細かい泡に包まれた人影が見えたが、湧き立つ泡によってよく見えない。
渦に向かって身体を進めれば、強い力で弾き飛ばされた。
(マオじゃない!)
一瞬捉えたその姿は、白髪の女性だった。
穏やかな微笑みを浮かべ、エイドルに向かって微笑んでいたのだ。
『…大丈夫…あの子はきっと、還るわ…』
脳内に木霊する柔らかな声は、エイドルを深く意識の沼へ誘う。弾かれて 意志とは関係なく水面へ押し出される。
「しっかりしろ!」
強い力で身体を揺さぶられれば、ぼんやりした視界の先にイザがいた。
溺れたのか…
何度も頭を振り、意識を呼び戻す。
渡りの樹は、静かに存在していた。
眩しい光は収束し、朝日が水面に反射して光を放つのみ。
「…マオは…?」
エイドルの問いに、二人は答えない。それが答えだった。
エイドルは震える手で幹に触れる。
ゆっくりと擦れば、じんわりと温もりが伝わってきた。
「…おい、還ったのか?オレたちを置いて?あんな状態のライル様を残して?」
エイドルは拳を何度も渡りの樹に振るう。
「お前バカだろ…。なんでひとりで決めるんだ、何やってんだよ!」
絞り出す声に嗚咽が混じる。止まらない拳をイザがとめた。
「やめろ、血が出てる」
イザの力で強制的に止められた拳は行き先を失くした。まるでエイドルの心と同じだった。
何故なんだ…ミク…
何故、マオを連れていったんだ?
こんな結末を迎えるために、マオはこの世界へやってきたのか?
エイドルの手当をしながら、イザの胸に重く広がる喪失感が襲う。
失ったものの大きさを 改めて知った




