135.深い眠りの中
王都から呼び寄せた医師団は、恐怖に顔色を無くし立ち尽くしていた。目の前で静かに怒りを放つニックヘルムの気迫に呑まれ、身を固くしている。その事態に内心でため息をつき、ニックヘルムに向き合った。
医師団の代表を務めるノイサスはその鋭い眼光に正面から視線を合わせた。
「…何度言われましても、医療にも限界があります。最善を尽くしております」
「では、なぜ目覚めない?傷は浅いのだろう?」
ニックヘルムが努めて冷静に会話を進めようとしているのが、ノイサスにはわかる。この冷徹な男がこんなに感情を露わにすることがあるのだと、長い付き合いだか新鮮な気持ちで見つめていた。
この男の妻が自死を選んだとき、言葉をなくし立ち尽くしてはいたが、感情を表に出すことは無かった。淡々と職務をこなし、表面的には変わらなかった。
しかし、ノイサスは知っている。
夜更けまで自室で酒に溺れ、声を殺して泣いていた事を。愛する妻の面影をみるのが辛くて、息子との距離をとっていたことを。
ニックヘルムの息子・ライルが、イヴァンの刃を受けて運び込まれたとき、ニックヘルムは意識のない息子の傍らで一夜を過ごしたという。
手を握り、髪を撫で、祈る。
その姿は冷徹な宰相と同一人物には見えなかった。
情などもちわせていないなどいわれていたが、ニックヘルムは息子たちを深く愛していた。
「…最善を尽くしております。もう少し経過をみないとなんとも言えません」
ノイサスは同じ言葉を繰り返した。明らかにイライラとした様子で何度腕を組み直すニックヘルムは、瞑して気持ちを整えているようだった。
「…どれくらいだ?どれだけ経過を見るんだ」
抑揚のない低い声に、後ろに控える医師たちの悲鳴が聞こえてきそうだった。ノイサスは、わかりません、と正直に答えた。その途端、机を叩く重い音が室内に響いた。
「もう3日だぞ!これ以上は衰弱していくだけじゃないか!」
頭を両手で抱え机に臥す姿に、ノイサスの背後の空気が変わった。冷徹な宰相の、愛情深い本来の姿を垣間見て、医師としての使命を思い出したのだろう。
「最善を尽くします。ですから時間をください!」
ひとりの声をきっかけに、いくつもの懇願の声が上がった。
「━━分かった、頼む」
ニックヘルムにもわかってはいるのだ。この医師たちは最善を尽くしている。いつ目覚めるのかは誰にも分からない。ぐっ、と下腹に力を入れて姿勢を正した時には、いつもの宰相であった。ノイサスは深く礼を取ると、執務室を後にした。その足で、ライルの元へ向かう。
静かな呼吸を繰り返し、青白い顔で横たわる青年はまるで石膏の彫刻のようだった。頬の赤みも失せ、乾いた唇に多少の色味を残すのみ。
肩の傷は浅かった。脇腹の傷は長さはあるものの深さはなく、内蔵に達するものではなかった。傷の回復は若さゆえか順調だが、問題は一度も目覚めないことだった。痛覚刺激に反応していたのも 運び込まれた直後だけで、それ以降は補水もままならない。発熱も伴い脱水症状が進んでいた。
━━━遅効性の毒。
意識が戻らない原因。脇腹の傷を調べれば、検出された薬草系の毒は、サウザニアの暗部で好まれて使われるものだった。もちろんすぐに解毒剤は投与された。状態は安定したが、意識が戻らないのだ。
ノイサスの眉間に更に深くシワが刻まれる。
このままでは、衰弱死が待つのみだ。
微かなノック音に、思考を止めて振り返る。ライックが様子を見に来たようだった。ノイサスに軽く頭を下げると、小声で様態を確認する。ノイサスは首を横に振り、変わりのないことを示す。飄々とした男も、この状況に心を痛めているのか、険しい表情でライルの姿を見つめていた。
「…マオはどうですか?」
ライックの問いに、ノイサスは声を潜めて応えた。
「もう心配ないだろう。打撲の影響も心配ない。薬も抜けている。━━ライルのことは知らせないのだろう?」
「ええ、ユラドラに戻ったと言ってあります」
ライックはライルのこの状態を真緒には伏せていた。真緒の体調を気遣ってのこともあるが、これを知った時の真緒の行動が読めず、先延ばしにしているのだ。先延ばし している間に目覚めてくれれば。そんな期待もしていたのだ。
「…人の口にとは立てられん。あの子の耳に入るのも時間の問題だぞ」
ノイサスは釘を刺した。ライックの表情がより渋いものになり、わかってます、と唸るような声が返ってきた。
「あの子が呼びかけたら、ライルは目覚めるかもしれないな…」
ノイサスの心の声はつぶやきとなってライックの耳に届いてしまったようだ。ライックの驚いた顔がノイサスを見つめている。
「確証がある訳ではない、希望。いや、願い、かな」
ノイサスは大きく息を吐き、ライルを見つめた。
希望 願い …
そうだな、そうなったらどんなにいいだろう
おい、早く目を覚ませ。
マオをいつまで放っておくんだ?護るんじゃなかったのか?
ライックもライルを見つめた。




