133.宴の陰
真緒は馬車に馬で体当たりして気を失い、アルマリアの侍女たちが世話をしていた。衝撃を受けて脳震盪を起こした真緒は、目を覚ますと頭痛と酷い吐き気に襲われるため、医師の判断で深い眠りの中にいた。
(良く薬が効いているな…)
イヴァンは真緒の額に唇を寄せると、口の端を上げた。世話係の侍女たちは、アルマリアの指示だといえば、疑うことなく真緒をイヴァンに託した。
別室に移すフリをして、抱き抱えて外へ出る。
宴の喧騒を横目に、イヴァンは眠る真緒を抱いて馬上の人となった。
イヴァンはサウザニア王の実子だ。
兄が三人におり、王位継承権は低い。まだ王太子が定まらないとはいえ、さすがに兄が三人もいれば出番はない。臣下降格を早々に願い出て、アルマリアを頼りにエストニルに身を寄せ、悠々自適に過ごしていた。アルマリアはそんな甥を何かと目を掛けていた。
権力に欲が無い道楽者。
多くの者がイヴァンをそう評した。実際、エストニルに来てからはの生活は道楽者そのままであった。歳の離れた弟に接するように、イヴァンの行動をアルマリアは咎めることは無かった。
あるとき、サウザニア貴族がイヴァンに耳打ちしたのだ。
『王は渡りの姫に強い関心を示されている』
渡りの姫…?
イヴァンは初めて関心を持った。興味本位で調べてみれば、自身の予想をはるかに越えた逸話のある人物だった。
自身の影を使って調べてみれば、違う界からきたという娘は国王マージオの娘であるらしい。あのユラドラの王太子を袖にし、山神の使いを味方につけた娘。
逢ってみたい。
護衛騎士を解任して自身で近付いた。
会ってみれば、黒曜の瞳は強い意志を持ち 輝いていた。短い黒髪も凛とした佇まいに相応しく 魅力的だった。抱き締めれば折れてしまいそうな身体は柔らかく、イヴァンの心を乱した。
欲しい。 マオを手に入れたい。
父上が強い関心を寄せる姫。
この姫を手に入れることは、父上に認められること。
イヴァンは真緒をサウザニアに拐うつもりだ。ベルタの街から強引に連れ出せば、予想外の方法で逃走し、更に山神の娘を救出し、叔父上のハウライトが仕掛けた計画を潰したのだ。
予想外の行動は、イヴァンの退屈を嫌う気質を満足させた。
(やっと手に入れた。このまま国境を越えれば、たとえ叔母上であっても手出しはできない)
馬の揺れに振られる真緒の身体を引き寄せて抱き留める。胸に微かにかかる規則的な吐息が、イヴァンをくすぐる。その心地良さにイヴァンが真緒の頭に頬を寄せると、胸に熱いものが込み上げて、広がった。
…愛しい
こんな気持ちが自身に残っていたことに驚いた。
厩から走りでる騎馬を訝しげに見送る人影があった。
宴の喧騒はまだ引かず、松明の下で多くの騎士が行き交っていた。厩は松明の灯りから外れていた。意図的なのか、人々の視界の影になっており、エイドルも偶然目にしたのだった。
(こんな夜更けに?)
光に引き寄せられる虫のように、エイドルの足はその影を追った。言葉を交わすことなく三人の影は邸宅の門を抜けていく。統制の取れた動きに、エイドルの中で警鐘が鳴った。只者ではない。
何かを抱えて走り去る三人の影を追う。エイドルは門に繋いであった馬に跨った。異変を感じた守衛が駆け寄ってきたが、所属と名前を名乗ると、借りるぞ!と一方的に叫び駆け出していった。
守衛の報告を受けたライックは、視線でライルを呼ぶと、声色程にふざけていない真面目な表情でイヴァン殿下はどこだ?ときいてきた。
「殿下なら王妃と一緒に居られる筈ですが…」
ライルの副官が代わりに答えたが、全てを言葉にしないうちに、甲高い女性の声で遮られた。
ライックとライルは反射的にその悲鳴の元へ向かった。
それは真緒を休ませていた部屋。
荒らされた形跡はないが、真緒の姿もなかった。
ベッドの横には靴が並べて置かれたまま。乱れのないベッドにはまだ温もりが残っていた。
「イヴァン様が…、イヴァン様が別室にお連れすると…王妃様の指示だといわれて…」
顔面蒼白になりながらも、侍女たちは欲しい答えをライルにくれた。
真緒の温もりをかき集めるようにシーツを掴み、顔を埋める。
「畜生…!」
拳をシーツに沈めれば、ふわりと真緒の香りがした。
「追うぞ!」
エイドルが追っていったのは、間違いなくイヴァンたちだろう。マオも一緒だ。薬で眠らされていたマオは、そのまま連れ去られたのだ。医者も仲間か。
ここから森を抜けた街を過ぎれば、サウザニア国境だ。国境を越えられたら手出しができない。
ライックとライルは足の早い馬を選び、エイドルが消えた方向へ駆け出したのだった。




