132.招待客
エルートはスライト商会の会頭ドルディ、バサーニ公爵、アルテニー侯爵と共に、案内された部屋で寛いでいた。各々がグラスを傾け、アルマリアが来るまでの時間を過ごす。グラスの酒は芳醇な香りを放ち、それを口に含めばエルートの心を至高の幸福が満たした。
「…遅いですな」
アルテニーが独りごとのように呟く。その声に現実に引き戻されたエルートは、ドルディに視線を送った。
「まぁ、女性というものは色々と時間が必要なようですよ」
肩を竦めて苦笑いを浮かべ、グラスを掲げた。そんなものか…、ドルディの言葉を素直に受け止めるとエルートも合わせてグラスを掲げた。
密なる話をしたい。
そう王妃に告げられてこの四人は、宴の催されている本邸から離宮へと案内された。国王マージオの祖母ナルテシアが終の住処とし、その後はマージオがミクとの想い出の地として訪れるのみの邸宅である。
さほど広い訳ではない。宴の賑わいが微かに聞こえてくる。
「…少し風に当たってきます」
アルテニーが席を立ったところで、アルマリアの入室を告げる声がかかった。アルテニーは庭に向かっていた足を止め、ソファへと戻ると他の三人に倣ってアルマリアを迎えるために礼をとった。
「待たせましたね」
微かな衣擦れの音と共に、アルマリアが入室してきた。濃厚なローズが香気を放つ。それがアルマリアの動きに合わせて濃さを変える。妖艶な微笑みに添えられた香りは、それだけで男たちを虜にした。
アルマリアが着席を促すと、男たちはハッとして我に返り、着席した。
「このようにお声掛けいただけることを、大変光栄に存じます」
エルートが代表して礼を述べれば、アルマリアは妖艶な微笑みを浮かべてそれに応えた。
「構いません。私もお話をしたいと思っておりましたのよ━━花嫁行列に仕組まれたもの。とても興味がありますわ」
チラリと流し目でドルディに視線を送り、エルートを見据えた。
「それはサウザニアに益をもたらすものかしら」
バサーニに視線を変えると、ハウライトあたりかしら?と小首を傾げた。
「この国の中にも多くの協力者を集めたようですわね、アルテニー侯爵」
最後はアルテニーに視線を向けて、含みのある笑みを浮かべた。
一様に驚いた様子をみせたが、すぐに表情から消し去り、アルマリアに賛辞を贈った。それを制して話の続きを促す。
「仰せの通り、サウザニアにとって益をもたらすものです。我らサウザニア貴族はハウライト様を次期王と定めております。国益をもたらすものが後継に相応しいのは周知の事実。そのためには山神の使いを傘下に引き込み有利に鉱物資源を利用することは必定」
エルートは物語を朗読するかのように澱みなく語った。その頬は紅潮し、崇高な理念に基づいた自身の行動に酔いしれているようであった。
「山神の使いは誇り高きエストニルの始祖の一族。容易に屈しないであろう。どのような策を弄するのか」
「山神の娘が交渉材料にございます。既に手中に収めております」
弄んでいた扇を広げ口元を隠すと、声を潜めた。
「私に益となるのか?」
「女帝となれましょう。サウザニアの力を盾にこの国は貴方様のもの」
目を細め満更でもないとエルートを見返す。
「国王がいるではないか」
「━━━退位いただくのが筋道かと。身罷られることがあるやも知れませんな」
恐ろしいことを。言葉だけは怯えた様子だったが アルマリアの瞳は妖しく輝き、恍惚とした表情を浮かべてみせた。
「それならちょうど良い。会わせたいもの達がおる」
その言葉と同時に、ノックもなしに扉が開いた。
「捕らえよ!」
なだれ込む騎士はソファを囲み、四人の男たちを拘束した。突然のことに抵抗する間もなかった。男たちは組み敷かれ、抗うこたができない状態におかれた。
呆然とする男たちの前に、捕縛の命令を告げた主が姿を現した。アルテニーが息を呑む。
「…国王がなぜここに…?」
アルテニーが苦しげに呟くが、その問いに答える者はなかった。
「我の娘はサウザニアに嫁ぐとは誠か?我の知らないところで随分な話ではないか。脅しには応じない、何度も伝えたはずだが?」
マージオに並び立つ人物━━山神の使い一族の長リュードは鋭い眼光を向けた。
「山神の使いはエストニル建国の一族。この国と共にある。何者にも屈しない。たとえ脅されても屈することは無い」
リュードの言葉を継いでマージオが言い放つ。
「山神の使いはエストニルと対等の関係にあり、ユラドラと同盟関係にある。勿論、サウザニア王も知っていること。愚か者たちの処罰にはサウザニア王も同意しておる」
マージオの視線を追えば、宴でみたサウザニア貴族が数人室内に現れたところだった。
マージオに礼をとると、そのままエルートの前にやってきた。
「サウザニア王の前で弁明するのだな」
感情のない声色でそう告げれば、エルートの身体は床に崩れた。
「…まだだ…娘は我が手にある!」
エルートはギロリと鋭い視線でリュードを睨みつけた。地を這うような絞り出した声にアルテニーが反応した。
「国王陛下。私は陛下に忠誠を誓うもの。情報を得て 不穏な動きを探るために仲間となったまで。その証拠に、山神の娘は私が保護しております」
拘束されながらも、マージオに懇願するかのような視線を向けた。
「…あら、その娘はどこにいるのかしら?」
マージオの後ろに控えていたアルマリアはアルテニーを一瞥すると、嘲弄した。
タクラに手を引かれ、山神の使いの正装に身を包んだナキアが姿を見せた。リュードと視線を交し、国王夫妻に礼をとった。
「助けていただきありがとうございます、王妃様」
アルテニーは顔色を失った。言葉なく憎悪の焔を燃やしてナキアを睨みつけていた。ナキアの身体が震える。それを察したタクラはナキアを背にかばった。
「ナキアの周りにいた煩い虫は全て処分した」
アルテニーの視線を受けて立つ。目で殺す、そんな言葉が合う、そんな殺気立つ視線が絡み合う。
「━━━姫を護るのは王子の役目ではないかな?」
そんな睨み合いにそぐわない柔らかい声が響き、王妃が息を呑むのがわかった。
「宴の虫たちは全て捕獲しましたよ、父上」
ナルセルは大袈裟なくらい大きな動きで礼をとると、ナキアの元へ近づき、その手をとった。
「お初にお目にかかります、ナルセルと申します。ナキア姫」
唇が触れた手から熱が上がる。ナキアの顔は真っ赤だ。それを満足気に見つめてナルセルは微笑んだ。
「未来の妻の危機に駆けつけない夫はおりませんよ」
王子様スマイルの破壊力にナキアは言葉がでない。そんな妹の様子に明らかに不機嫌な様子でタクラはナキアを引き寄せた。
「…これは…。こちらに認めてもらう方が難題のようだな…」
苦笑いと共に漏れた呟きは、捕縛された愚か者たちが連れ出される音でかき消された。
「…ナルセル、何故貴方がいるのです!」
アルマリアの責めるような声に、ナルセルは穏やかな笑顔を向けた。
「私はこの国の王太子ですよ、母上。このような国賊を捕らえる場で指揮するのは当然のこと」
息子の態度に アルマリアのいい募りたい気持ちをマージオが制した。
「サウザニアの者は国境まで護送し、引き渡しせよ。我が国の者はナルセルの下で審議後に処罰を下す」
マージオの指示にサウザニア貴族は一礼し、退室していった。リュードの含みのある視線に気づいたマージオは、返す視線で言葉を促した。
「…策士だな、マージオ」
ふん、と鼻で笑いマージオはナキアに視線を向けた。
「お祖母様も出会いは意図的だった、と話しておられた。やはり好き合うもの同士が上手くいくだろう?我が息子はなかなか見込みのある男だぞ」
リュードは大袈裟にため息をつくと、ナキアの気持ち次第だ、政治的な婚姻はさせないと釘を刺した。勿論だ、マージオはそう返しながらタクラに視線を移す
「先ずは、次期長に王として認められことが先決だな」
「あれは厳しいぞ。統べる者としても、兄としても」
リュードの言葉にマージオは苦笑を浮かべた。その通りだな、同意を含む笑いだった。
マージオの笑いと共に、愚か者たちの宴は幕を閉じた。
王家の庭は宴の余韻が残り、喧騒が続いていた。月は高く登ったが、まだ収まる気配は無かった。




