116.安息の夜
背後からの奇襲に アルタスの兵は機能を失った。掃討戦に一師団を残すと、ライックは残りを引連れて街道へと向かった。既に左翼部隊を配置しているとはいえ、援軍の規模がはっきりしないのなら、数の上で有利にすることは必勝条件である。
切り立った崖を縫うように走る街道は、さほど広くはない。この地に軍を送るなら、ユラドラ国王がしたように大きく迂回するのがセオリーである。しかし、可及的速やかに援軍を送るのならば、この道が最短である。
道に合わせて長くなる隊列を分断するため、崖上からの攻撃を合わせて行うつもりだ。配置した部隊からの報告をきき、判断を重ねていく。最終的な判断はヨルハルと共に王都を出立したヘルツェイからの報告を待ってからだ。
夜闇に支配される頃、ライルはアルタスを護送しながら、街道手前の本隊に合流した。
タクラは掃討戦の指揮を執るため、山神の男たちを指揮しながら山に残っている。マオはチキの村で手当を受けている筈だ。
アルタスを本隊の兵に引渡し、ライックの元へむかう。松明が煌々とたかれた中を進みながら周囲を伺えば、兵の動きは機敏で 前線の緊張感が伺えた。早朝からの闘いの中、兵の士気を維持し続けることは容易いことではない。それを可能にしているライックの手腕に改めて舌を巻く。
戦地にありがちな血生臭い空気は皆無だ。後方が自国であることもあり、傷病者は後方又は国へと送られているらしかった。
ライルに他国との戦争の経験はない。国内も安定しており、個人の諍いはあっても軍を動かしてのものはなく、ライックに学ぶことは多い。混沌とした争いの時代を、国王、宰相と共に闘い抜いてきた男なのだと器の違いを見せつけられたようだった。
自分はこの男のようになれるのだろうか。
この先、マオをめぐって国同士の争いになったとき、マオを、民を、国を護ることができるのだろうか。次世代を継ぐということが容易でないことを改めて感じさせられた。
「ライル、御苦労だったな」
報告のため司令室になっているテントへと足を踏み入れると、ライックが労いの言葉と共に迎えてくれた。目の下の濃い隈は鋭い目元をより際立たせている。
いつも飄々としたライックだが、本性はこっちなのかもしれない。宰相の懐刀であり、梟を率いた男。そして、自分を育てた人物。
ライルはひと通りの報告をおこなうと、真緒がアルタスといたことを話した。表情を変えずに報告を聴いていたライックだったが、真緒の件では、驚きを表情にだした。珍しい、それほどの驚きだったのだろう。チキの村で匿われているはずの真緒が戦場にいたのだから。
怪我や火傷は負っているが、無事であることを説明すると表情が緩んだ。護衛につけていたルーシェの弟エイドルも無事に保護し、今頃チキの村で再会していることだろう。真緒は予想外の行動が多すぎる、そんな話題で和む二人に、ヘルツェイからの報告をもった使者の到着が告げられた。
緊張感を纏い、ライックは司令官の顔になった。ライルも同席の許可を得て共に報告を聞く。
状況は予想以上に良いものだった。
第三王子ヨルハルはなかなかの人物のようだ。
ヨルハルを旗印に古参貴族の兵を纏めながらアルタスへの援軍を追撃していたが、ヨルハルに寝返る貴族たちが援軍を殲滅し、合流した為大所帯となった。
兵を再編成して、民衆の蜂起制圧に向かった第二王子の兵を抑えるべく派兵したという。そちらの鎮圧も時間の問題だろう。
ヘルツェイの事実だけの簡素な報告からも、ヨルハルの才が伺えた。
報告の使者を休ませるため下がらせると、ニックヘルムに向けて報告の使者を出す。
王太子アルタスは捕らえられ、ヨルハルによってユラドラ国内は纏まりつつある。
警戒は怠らないが、ここからはニックヘルムの出番だ。ライックはアルタス引渡しのための指示をだす。ライルも退室した空間でひとり 大きく息を吐く。背もたれに深く身を預け、目を瞑る。
長い一日がようやく 終わる。
疲労の波がライックを包み、瞼を 身体を重くする。
(こんな働き者では無いのだがな…)
少しだけ休もう。直に報告が来るはずだ。
静かに夜は更けていく。
迫る睡魔に身を委ねしばしの安息を貪った。




