115.決着
真緒の逃走は呆気ないほどすぐに終わった。
アルタスの護衛は真緒にタックルを仕掛け、転んだ真緒に馬乗りになって取り押さえたのだ。悔しさと痛みに涙が滲む。霞む視界に映るのは怒りに表情を変えたアルタスの姿だった。痛むのか目をしきりと擦りながら、抜き身の剣をゆらりと真緒に向けた。
「どうやら躾が必要なようだな」
地面に組み敷かれた状態でできることなどない。それでも精一杯の憎悪を込めて アルタスを睨みつけた。
「良い目だ」
褒めてくれてどうも!なんて思う余裕はない。握りしめたスプレー缶をアルタスは真緒の手ごと踏みつけ、それを蹴りあげた。転がるスプレー缶を目で追うと、先程の爆破で燃えた薮の近くへと引き寄せられるように転がっていく。
(やばいんじゃない?)
引火したら爆発する。さっきの噴霧で使い切った記憶はない。目の前のアルタスの剣より引火の恐怖が勝った。このままでは辺一帯火の海だ。
お願い、逃げて…
「…逃げて…ば、爆発する!」
声を絞り出した。逃れるための方便だと思ったのか、剣先を真緒の首筋に当て迷いなく引いた。首筋に熱が走り、痛みが襲う。勝手に身体が波打ち悶えるが、押さえ付けられ自由がきかない。
「こいつを盾に、強行突破する」
その言葉をうけて、護衛の男は真緒を後ろ手に縛り上げはじめた。
これじゃ 逃げられない。
缶が熱せられれば、直に爆発しかねない。押さえつける力に全力で抵抗して拘束する手を妨害した。無駄な抵抗だとは思わない。それでも拘束が強まり、身体の自由が奪わたとき、ふっ、とガスが臭った気がした。
爆発音と同時に熱風が周囲を包んだ。
真緒の身体は地面に押し付けられ、身動きが取れなかった。護衛の男が爆風を受けて真緒にのしかかっているのだ。下草に引火し 周囲に炎がたつ。地面に伏しているので息苦しさはさほどでは無いが、地面の熱が伝わってくる。
(このままじゃ焼け死ぬ!)
背に乗る男は意識がないのか動く気配がない。爆発から真緒を護ってくれた恩人ではあるが、心中する気はない。
「助けて!」
声を絞り出して繰り返し叫ぶ。この爆発に気付いて助けが来るかもしれない。勢いを増す炎に囲まれ、真緒の身体も焼けるような熱に包まれ始めた。
「ライル!ライル…」
思わず零れた名前。その名前を口にしただけで真緒の心が満たされた。逢いたい、逢いたい。
そう強く願えば、胸の一点に熱を感じた。地面から伝わる熱では無い。
ペンダント…?
ペンダントがライルを呼んでいる━━━━
それは 希望。 微かな 期待。
ライル━━━━
山狩りは 陽が落ちてくるまでが勝負だ。
その姿を追いながら、ライルの胸騒ぎは治まらなかった。指環が熱を帯び、真緒の気配を意識させられるのだ。エイドルが付いて、チキの村に居るはずなのだ。安全な場所で待っている筈なのに、何故こんなに胸がざわめくのだろう。アルタスを逃したことで、焦っているのだろうか?集中しきれない己を叱咤する。
爆発音と共に炎が立ち上がった。
山の奥、沢伝いの岩場の一角だ。タクラとライルは顔を見合わせると、駆け出した。
胸騒ぎがする。
なぜか引き付けられる、指環が導く感覚に覚えがあった。ライルの足が更に速まった。
たどり着いたときには、山神の男たちが火消しに追われ、延焼を防ぐための作業が手際よく進められていた。タクラが報告を受けて指示を出す傍らで、ライルはなにかに引き寄せられるように、崩れた岩場へと足を向けた。焼けた茂みを踏みしめて進むと、ひとりの男の姿が目に入った。うつ伏せで倒れている男はユラドラの者だ。近づくとその不自然さに気付く。
ライルの鼓動は痛いほど強く打った。
夢中で男をどかせば、その下には後ろ手に縛られた真緒がいた。固く閉じられた瞳は濡れ、薄く開いた唇は微かな動きで何かを呟いていた。
「しっかりしろ、おい、マオ!」
軽く頬を張れば、真緒の瞳がゆっくりと開いた。焦点の合わない瞳は虚ろで、ライルの不安を煽る。強く身体を揺すれば、真緒の瞳に力がこもってきた。
「…あれ?…ライル…?」
頬をさすり、髪を撫でる。その温もりを気持ちよさそうに目を細めて受け入れる真緒の姿に安堵する。
「えっ?マオ?」
タクラの驚きは当然だ。ライルの腕にいる真緒にしばし固まる。タクラはハッとして、現実に戻るとライルに告げた。
「この近くにいるぞ」
もちろんそれは アルタスである。
ライルはもう一度、真緒を抱きしめるとタクラに真緒を託して、立ち上がった。
この爆発に巻き込まれたなら、そう遠くに行ってはいない。あれはアルタスの護衛の男だった。
気配を探りながら、岩場の影、茂みの中へ意識を集中する。
(━━いた!)
岩場の隙間に身を滑らせ、距離を詰めていく。
背後に迫ると一気に剣を突き出した。
辺りに剣戟の音が響く。アルタスによって払われた剣を強く握り直し、改めて構える。
アルタスも構えてはいるがその足元は揺らぎ 、押さえる腹は赤黒い染みが広がっていた。だからといって手加減の必要は無い。踏み込んでアルタスの剣を弾きあげると体当たりをして地面に組み敷き、剣を喉仏に突き立てた。
このまま力を入れれば、マオを苦しめた復讐ができる。柄を握る手にぐっ、と力を込める。このひと押しでいい。こいつは許さない。
荒い息遣いのまま、抵抗もなく横たわるアルタスは鋭い眼光をライルに向けた。
「殺れ」
それともその度胸もないか?あきらかな挑発に、かえってライルは冷静さを取り戻した。
「お前にはまだ役に立ってもらう」
感情を排した声で言えば、楽に死なせないことが正解に思えてきた。
アルタスを拘束し 意識を奪うと、ライルも冷静になれた。
ライックは援軍を抑えたのだろうか。
ヘルツェイと合流できたのだろうか。
更なる仕上げに向けて、ライルは気を引き締めた。




