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109.イザの憂鬱

未明に出立したアルタスたちを見送り、イザはニックヘルムとヴィレッツの待つ部屋へと向かった。

明け方とはいえ、しらみ始めるにもまだ早く 街も眠りについている。濃い靄に包まれた路地をを抜ける風が冷気を孕み、戦いへの興奮に上気した頬を撫で 心地よい。二人の元へ着く頃には、自然と心も落ち着きを取り戻していた。


「入れ」

ノックで訪室を伝えると、短い 諾 が返ってきた。ニックヘルムがベルタに訪れて以来 何度か顔を合わせているが、イザはどうにもこの男ご苦手だった。

ミクが消えて以来、長年恨んでいた相手。

自分も大人になり、多少の事情もライックから聞いた。ミクをこの男なりに護ろうとしてくれたことはわかっているつもりだ。だが、頭で理解しても感情が素直に受け入れられないのだ。

(まだまだ ガキ ってことか…)

持て余す感情に自嘲する。ひと呼吸置いて、部屋へと入った。

「お呼びと伺いました」

イザの言葉に、ヴィレッツが自身の座るソファの対面を勧めた。勧められるままに腰をおろす。ニックヘルムは書類から目を離し、一人掛けのソファにやってきた。

「国王の警護を頼みたい」

挨拶はいい、イザが口を開く前に手で制し、用件を口にした。ニックヘルムはイザに視線を合わせ、身体を乗り出し声を潜めた。

「…すでに到着されてる」

ニックヘルムの顔は苦いものになっていた。ヴィレッツに視線を向けると、こちらも渋い顔だった。

「護衛を連れず、単騎で来られたんだ」

まったく、なにを考えているのか…ニックヘルムが愚痴をこぼす。この二人にとって、マージオの訪れは想定外のようだった。

「…街の警護があります。とてもお引き受けできません」

戦端が開かれようとしているとき、ベルタの街と住民を護るのが仕事だ。国王の警護は近衛なり 蜘蛛(アレニエ)がいるだろうに。納得いかないことが表情に現れていたのだろう。ニックヘルムがため息混じりに言った。

「国王自らの御指名なのだ。━━団長には話が通っている。戦火がベルタの街を襲うことは万が一にもない。だが、今朝到着予定の第四師団を街の警護につかせる」

第四師団は城下を護る師団のひとつで、実力派揃いと名高い。師団長は平民の出ながら、貴族の子弟からも人望があり、部隊の結束は固い。なら、国王警護はそちらに任せればいいのではないか?もっともな問いにニックヘルムは、そうしたいところなんだがな、と呟いた。

「言い出したら聞かない。飛び出して行ってしまうから頭の固い奴ではついていけない。機動力と柔軟性が大事だ、そして腕が立つこと」

このままでは護衛なしで戦場に行きかねない。ニックヘルムは深い溜息をついた。

「さすがマオの父親でしょう、突拍子もない行動ばかりする」

ヴィレッツも呆れ顔で苦笑いを浮かべていた。

「━━━話は以上だ」

ニックヘルムは無表情で淡々と告げると、再び席を離れ書類作業を再開した。

「急なことで済まないが、引き受けてほしい」

ヴィレッツは扉に向かって歩き出したイザの横に並び歩調を合わす。

「宰相は国王のことが心配でならないのだ。信頼できる者に警護を託せないなら、自らが務めるといって聞かない。それは困る。貴方なら託してもいい、宰相の推しでもあるんだ」

その言葉に驚いてヴィレッツ見れば、優雅な微笑みを浮かべ、さらに小声で続けた。

「国王は、ミクの話をしたいのだと思うよ。ミクが弟だと貴方のことを話していたからね」

扉に着いた。ヴィレッツがノブに手を掛けた。

「国王のところへ案内する」

ヴィレッツの後に続く。ガシガシと頭を掻き、重い気持ちと足取りでマージオのところへ向かった。



こんなに間近で会うのは初めてだった。

子どものころでも 木陰からマージオとミクの姿を覗き見るくらい。年に一度王家の庭に訪れるときの警護でも、遠くから姿を確認する程度だった。

哀愁を帯びた背中の印象しかない。ミクが愛した男。ミクを引き留めなかった男━━━

目の前の(マージオ)は、ゆったりとソファに腰かけ、湯気の上がるカップの香りを楽しんでいた。

線は細いが、決して華奢ではない。

しっかりと筋肉がついた身体つきに、強い意志を含んだアイスブルーの瞳、緩くたばねた金髪。質素な服に身を包んでいても王の風格までは隠しきれない。

マオがこの世界にやってきてから、以前のような哀愁を帯びた姿は消え失せていた。

ヴィレッツの紹介の間、騎士の礼をとり頭を下げながらも観察していると、マージオが、待っていた、とイザを近くに寄るように促した。

「一度話をしてみたいと思っていたのだ」

目尻に刻まれた深い皺をより深めて表情を和らげて、イザを見つめてきた。その視線に戸惑いながらも言われるがままに マージオの近くへと歩み寄った。

ヴィレッツに退室の許可を出し、その姿が扉の向こうに消えるのを待って、マージオが口を開いた。

「君がイザか。ミクが弟だといつも話してくれたよ」

親しみが籠った声色に、イザの方が驚いた。思わず直視してしまい 慌てて非礼を詫びれば、楽にして欲しいと逆に肩をたたかれ戸惑った。

「ミクを…彼女をとめなかったことを怒っているだろうな…」

そうだ、とは口が裂けても言えない。言葉を探していると、よい 分かっている、と自嘲を込めた言葉が帰ってきた。

「誰も私を責めてはくれなかった。それが何よりも辛かった」

君なら今でも私を憎んでいるだろう?

そう瞳が語りかけてきた。どうか責めてくれ、そう望まれているようだった。

望み通りしてなるものか!イザの心に焔が立つ。

責められて楽になりたいなんて許さない。ミクはこの男(マージオ)が引き留めてくれるのを待っていたに違いない。黙り込んだイザに寂しげな視線を向けて、独り言のように語り出した。

「…あの夜、ミクが現れたんだ 魂の存在となってね」

そして こう言ったんだ。平和で豊かな国を作って欲しい。イザ、君のような子どもたちが人を殺しに戦争にいかなくていいように。親を亡くしたり、飢える子供がいなくなるようにと。

彼女の願いを叶えるために、今日まで走り続けてきた。ミクに褒めてもらいたくて、駆け抜けてきたこの18年間だった。

私は知らなかった、ミクのお腹にマオが宿っていたことを。知っていたらどうしてたかな…多分縋って必死で止めたか、一緒にミクの世界へ行こうとしたかもしれない。だからミクは黙っていたのだろうな。

国より民よりミクを護りたかった。一緒にいたかった。王冠なんて欲しくはなかった、彼女のためなら捨てることに戸惑いもなかったからね。

だからミクは還ってしまったのだろう。


静かな声の独白は朝の陽射しに溶けてゆく。

18年間、時間が止まっていたのは自分だけだはなかった。イザはマージオの表情を盗みみた。

胸中を口にしたことで気持ちの整理がついたのだろうか。心持ち穏やかになった表情には微笑みが浮かんでいた。

「陛下の護衛、誠心誠意務めさせていただきます」

イザはマージオに向かい騎士の礼を取った。同じように苦しみを抱えているマージオ。

直接その心の内に触れたことで、イザは、心の滓が薄まっていくように感じた。





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